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□海のそばでの独り言
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バスの終点であるそこを降りた時、空にはもう黒い幕が降りていて、私の部屋の窓からは見られない、たくさんの星が瞬いていた。


降りたのは、私一人だけ。


頬を過ぎる風が湿っぽい。
音が聞こえる。
匂いがする。




防風のための木々を抜けて、その場所の砂を踏みしめた時、自分の履いていた靴が、ヒールであることを思い出した。


しかもいちばんのお気に入り。


後悔にもならない軽い後悔をしたけれど、帰るつもりもない私は、ゆっくりそこに近づいた。





月は下弦。


それでも光は水面を照らして、波の動きを見守っている。



いつからだろうか、私は泣きたいことがあった時、ここに来るようになった。


涙は強い潮風が飛ばしてくれて、泣き声は繰り返す波の音が消してくれる。


ひとしきり喚けば、その広大な景色は、私を生き返らせてくれる。



ここは、私の母なる海。






波打ち際に近づいて、お気に入りのヒールを揃えて脱いだ。


固い砂が少し冷たい。


寄せる波が私の足首までを覆っては、名残惜しげに引いていく。


水は冷たくなかった。


目を上げて水平線を見る。でも夜は暗すぎて、その境目ははっきりしなかった。


タオルなんて持ってないし、この濡れた足はどうしたらいいんだろう、とかなんとか考えて、その場に立ち尽くした。


繰り返して聞こえる波の音は、早く忘れたい私の記憶を洗い流す前に甦らせる。





熱くなりだした瞼を自覚して、思わず目を閉じた。それと同時に、涙は頬を流れていった。



…今頃、何してるだろう?


私のことを、少しでも思い出してる?


春には桜を見て
夏は海に行って
色付く木の下を歩いた秋
ふたりで雪を眺めた冬


思い出は、長くて短い。




大事にしてたのにな――






―――と、しばらく感傷に浸るつもりが




肩を捕まれた大きな手によって、阻止された。


 
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