novel-old

□※想い
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熱気が残るだだっ広い建物から吐き出されるように、人々に流されて外に出る。

「やっぱすげぇな、佐久間さん!」
興奮冷めやらぬ様子で見上げてくる愁一の帽子を、樹把は慌てて深く被せなおした。
「お前顔隠してろよ!わかってんのか?そこらじゅう竜一ファンだらけなんだぞ」
言われて愁一はぐるりと辺りを見回し、不満げに口を尖らせた。
「オレ関係ねぇじゃん、みんな佐久間さんのファンなんだから」
「竜一ファンは、お前のファンかアンチだぜ」
間髪おかずにさらりと言われた言葉に納得したのか、愁一は口を噤み大人しく下を向いた。
キャアキャア言いながら隣を歩く女の子たちに怯え、肩を竦める。
そんな愁一をよそに、樹把は大きく伸びをして満足そうに微笑んだ。
「今日も可愛かったな〜竜一」
「お前ツアー全部行ったんだろ?いいよなぁオレも行きたかったー」
小声になった愁一が、帽子のつばから顔を覗かせる。
全国をまわるNITTLE-GRASPERのライブツアーはことごとくBAD LUCKの仕事と重なり、結局愁一が行けたのはラストである今日の東京公演のみだった。
「超良かったぜ、札幌でなんかあの曲やったし」
「マジで!?なんだよー東京でもやってほしかったぁ」
「でも東京はあれやったじゃんか。東京だけだぜ?あの曲」
「そうそう!オレ、あれめっちゃ好きなんだよなー!…っと」
つい大声になってしまった愁一が、慌てて口を押さえてキョロキョロと周りを伺う。
その姿が可笑しくて、樹把は笑って辺りを見渡した。
会場から細い道を選んで歩いて来たため、人通りは少なくなっている。
「もう大丈夫だろ、結構離れたし」
その言葉に、愁一もほっとしたように笑顔を見せた。
辺りが暗いせいか、街灯だけで見えるその表情が竜一と重なり、樹把は思わず息を飲む。
(ほんと、似てるよな)
ついさっきまでステージに立っていた愛する人。
しかし自分は大勢の客の中の一人で、彼は手の届かない存在で。
歌が始まれば引き込まれ、自分と彼の間のたくさんの人々が消えたような錯覚に陥った。
誰にも負けないほどその姿を目に焼き付けているからこそわかる。
顔のつくり、背格好など、基本的なところがあまりにも似ているのだ。
「樹把?どーかした?」
「…いや、なんでも 」
曖昧な返事をして、またゆっくりと歩き出す。
不思議がりながらもついてくる愁一からすれば、自分は話の合う友達みたいなものだろう。
現にライブで一緒に盛り上がれるわけだし、それ以上の対象ではないことはわかっている。
そして何より、あの兄の恋人であるのだから。

「樹把、今から京都帰るの?」
「ん?あぁ…そうだな」
ちらりと見た腕時計は、まだ最終の新幹線には間に合う時刻を指している。
頭の中で到着時間を計算していると、不満げに愁一が裾を掴んだ。
「うち来ればいーじゃん。ライブビデオ見よーぜ」
それはおねだりというには可愛くないが、ただのお誘いにしては可愛すぎる仕草だった。
ただ単に、ライブの興奮が冷めないまま帰るのが嫌なだけなのだとはわかる。
家に帰っても、それをほんの少しも分かち合ってくれない恋人に冷たくあしらわれるだけなのだろう。
「・・・べつに、いーけど」
できるだけそっけなく返すのが精一杯だった。
その返事に狂喜乱舞する愁一は、純粋に友達として接してきている。
樹把はちくりと痛む心をごまかしたくて、真っ暗な空に白い息をはいた。


「ただいまー…由貴?」
玄関を開けて広がる暗闇に、愁一が呼びかける。
返事はなく、代わりに漂う冷たい空気が家主の不在を教えてくれた。
「兄貴いねぇのか?けっこうな時間だぞ」
靴を脱ぎながら言うと、戸惑ったように愁一の瞳が揺れた。
「たまに、遅いんだ・・・仕事だし、しょうがないけど。すぐ帰ってくるよ」
無理したような笑い方に、樹把は心無いことを言ってしまったのだと気付く。
あの兄がわざわざ帰宅時間なんて伝えて出かけたりはしないだろう。
それを愁一が不安に感じるのは目に見えてわかることだ。
「…愁一」
「ん?」
思わず出た同情を含んだ声に、愁一はなんともないように答え、真っ暗な部屋に灯りをつける。
もし自分があのまま京都に帰っていたら、愁一は誰もいないこの部屋のドアを1人で開けたのだろう。
兄がいないと気づいたとき、一体何を想っただろうか。
それを考えると、前を歩く愁一がとても小さく感じた。


すっかり暖まった部屋に、佐久間竜一の歌声が響く。
樹把はすっかり画面に夢中になっていて、隣でうとうとしている愁一に気付くのに時間がかかった。
「眠いのか?」
こっくりと頷く愁一に、今日のライブの為に仕事をつめたと話していたのを思い出す。
きっとろくに寝ていなかったのだろう。
「オレ、風呂入って寝る…ソレ見てていーから」
山積みにしたDVDやらビデオを指して、愁一はふらりと立ち上がった。
歩く姿が危なっかしくて目で追えば、案の定ドアに激突しながらもよたよたとリビングを出て行った。
ほどなくしてシャワーの水音が聞こえてきたので、ついテレビの音量を少し上げてかき消す。

今は、画面越しのこの人のことだけを。
兄のものである愁一に何を想っても、見返りはありえないのだから。


「…もうこんな時間か」
あれからまた暫く画面に見入って、ふと時計を見て呟く。
とっくに日付は変わっていた。
「兄貴、帰ってこねぇな…」
兄に会いたいからそう思ったわけではない。
こんな風に、待っていても恋人が帰らない夜を愁一はどうして過ごしていたのだろうか。
1人きりで気持ちを持て余して、朝を迎えてしまうのかもしれない。
静まり返った部屋でひたすらに待ち続ける姿を想像して、居たたまれなくなってしまう。
「…関係ねーじゃん、オレには」
振り払うように立ち上がり、浴室に向かった。
さっさと眠ってしまいたかった。
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