novel-old
□※アルコール・マジック
1ページ/2ページ
めずらしく穏やかな日だった。
瑛里の締め切りも迫っておらず、愁一はいつもより早く仕事を追えて帰宅した。
夕食を終えたあと、愁一はバスルームへと向かい、瑛里は食器を片付け、グラスを1つとまだ手をつけていないワインを手にしてソファに腰をおろす。
適当にテレビをつけ、ゆっくりと赤い液体をグラスに注ぎながら、ふと思った。
「あいつ、酒弱いんだよな・・・」
思い返せば、愁一と酒を飲んだことなんてほとんどない。
本人が特に酒好きでないというのもあるが、知る限り強いわけではないだろう。
たまに仕事のメンバーやスタッフと飲んでいるのであろうときに電話がかかってくることがあるが、、何を言っているのかわからないほど呂律が回っていない。
そしてそんな日は必ずと言っていいほど数時間後に、つぶれてしまった愁一を会社に泊まらせますという旨の電話が相方かマネージャーからかかってくるのだ。
いちいち連絡してこなくてもいい、と伝えても毎回欠かさずくるその電話に、もしかして迎えに来いということなのだろうか、とも思ったが実行したことはなかった。
なので瑛里は、愁一が酔うとどうなるのか知らない。
グラスに口をつけ、味見を兼ねて一口飲みこんでみた。
甘みが強く、瑛里が普段飲むバーボンやらウイスキーよりずっと飲みやすいだろう。
瑛里はいったんグラスを置いて立ち上がると、台所へと向かった。
食器棚からグラスをもうひとつ取り出してリビングに戻ったとき、ちょうど愁一も風呂から上がってきたところだった。
パジャマのボタンを閉めながら、瑛里が手にしているグラスと、テーブルに置かれているグラスを見比べて不思議そうに首をかしげる。
「誰か来るの?」
瑛里が答えずソファへ向かうと、愁一もそのあとをついて来て隣に座った。
「なぁ、誰来るの?瀬口さん?・・・オレ、部屋にいたほうがいい?」
風呂あがりの温かい体でぴったりと瑛里にくっついて、ちょっと寂しそうに俯く。
それにも何も答えず、瑛里は持ってきたグラスにワインを注ぎ、黙って愁一に差し出した。
「・・・・え?」
意味を図りかねた大きな瞳が、瑛里を見つめた。
ぐい、と押し付けられるようにグラスを持たされると、今度は戸惑ったようにその中の赤い液体に視線を落とす。
「由貴、あの、オレ・・・酒は・・・」
弱いことは自分でもわかっているのだろう。
毎回飲んだあとは記憶をなくす上、次の日二日酔いで頭痛に悩まされることはおもしろいことではない。
仕事の付き合い、という理由でもなければ飲みたいものではないのだろう。
「少しなら平気だろ」
「ど、どうしたんだよ急に・・・いっつもひとりで飲んでるじゃんか」
瑛里を怪訝そうに見ながらも、愁一は持っているグラスをゆらゆらと揺らしてどうしたものかと唸っている。
「ひとくち飲んでみろよ。甘くて飲みやすいから」
そう言って瑛里が飲んで見せれば、少し興味が沸いてきたらしい。
おそるおそる口をつけ、コクリと喉を鳴らした。
「・・・あ。おいしい、かも・・・」
「だろ?」
瑛里が空いた自分のグラスに2杯目を注ぎながら、もっと飲めと目で勧める。
苦手な酒っぽさがあまりない甘さにすっかり味をしめた愁一は、一気にグラスを飲み干した。
「・・・っは〜、甘くておいひい」
「・・・お前、顔赤いぞ・・・」
「おかわり。」
「・・・・・」
コン、と空いたグラスをテーブルに置き、その横のボトルを睨んでいる。
注げ、ということなのだろう。
明らかに態度と表情が変わった愁一に、さすがの瑛里も一瞬怯んで動きを止めた。
・・・まぁ、そこまで飲みすぎない限りは大丈夫か。
そう自分に言い聞かせつつ、好奇心も手伝い、瑛里は愁一が握り締めているグラスに2杯目を注いだ。
ゆっくり満たされていくグラスを、最早焦点の合っていない瞳がぼーっと見つめている。
「どんな体質ならグラス一杯で出来上がれるんだ・・・」
「ぁにぃ?なんかゆったぁ?」
「・・・黙って飲め」
「はぁい♪」
途端にぱぁっと明るい笑顔になった愁一に、思わず瑛里は言葉を失った。
・・・可愛かったのである。
「・・・・・・」
不意をつかれた瑛里の心情など知らずに、愁一は嬉しそうに2杯目を飲み始めた。
コクリ、と小さく喉に流し込む音が聞こえる。
さすがに一気に流し込むことはできないようで、少しずつ味を確かめているようだ。
両手で一生懸命グラスを固定し、体のバランスを崩して瑛里にもたれかかる。
「・・・おい、大丈夫か」
「へぇ?なにが?てゆーかゆき、飲んでないじゃん。」
愁一の目が一瞬鋭くなった気がした。
不満そうにテーブルに置かれたままの瑛里のグラスを睨み、そのあとで瑛里を見上げる。
こうぴったりくっつかれては飲みづらいのだが、酔っ払いに言っても無駄というものだ。
僅かに体をずらして、左手を愁一の肩にまわして体を支えてやる。
右手で口元に運んだグラスを空けてみせれば、腕の中の愁一が満足そうに笑った。
・・・やばい。
風呂上りにくわえ、酒のせいでさらにぽかぽかした体。
ピンクがかった肌、上気した頬。
無邪気に見上げてくる潤んだ瞳と、ひらいた口から僅かに覗く赤い舌。
・・・仕事のやつらと飲むの、やめさせねぇとな・・・
そう決心し、肩を抱く腕に力を入れる。
簡単にバランスを崩してソファに倒れるかと思った・・・が。
愁一はするりと器用に瑛里の腕から抜け出すと、ソファの下のカーペットに座り込んでボトルを手にした。
「愁一・・・?」
「・・・それだけ?」
顔を上げた愁一の表情に、瑛里は息を飲む。
瑛里が右手に持った、空いたままのグラスを目で示して、ボトルのキャップを開けた。
その愁一の瞳は、どこかで見たことがあった。
「・・・おまえ」
「まさかそれだけじゃないよね?・・・由貴」
それはまさに、マイクを持ったときの愁一だった。
強気な瞳と、しっかり視線が合う。
呆気にとられている瑛里に構わず、愁一は自分と瑛里のグラスにワインを注いでボトルを置いた。
「はい、どーぞ」
にっこりと微笑み、語尾にハートマークがついたような口調でグラスを差し出された。
可愛いはずなのだが、油断のならないその笑み。
「一体何体質なんだ・・・」
予想外の展開に、少しだけ後悔が生まれた。
しかし、もう遅い。
すっかり飲ませ上手に変身した愁一に勧められるまま、瑛里はグラスを空けてゆく。
そしてそれとほぼ同じペースで飲み続ける愁一。
間もなくして、ボトルの中身はなくなった。
「っはぁ〜・・・ゆきぃ、もぉないのぉ?」
「・・・ねーよ、酔っ払い・・」
冗談じゃない。これ以上酒を渡すわけにはいかない。
とろんとした目つきに戻った愁一は、未だカーペットに座り込んだまま瑛里の膝にもたれている。
瑛里はというと、そこまで酔っ払っているわけではないがさすがに一気に飲みすぎた。
自分の膝にしがみついて眠ってしまいそうな愁一の頭に手を置き、くしゃりと髪の毛を撫でてみる。
心地よいのかふんわりと笑った愁一は、体ごと瑛里の足元にさらに近づいた。
ぼんやりと襲う睡魔に、瑛里がこのまま眠ってしまおうかと目を閉じたとき。