Cannot escape from here.

□She chose.
1ページ/3ページ



「ねぇ、コア。」


いつものようにアリスが私の部屋を訪れ、いつものように他愛もない話をしていた時だった。
宝石のようにキラキラと輝くフルーツの乗った小さなタルトにフォークを突き刺しながら彼女は私の名を呼ぶ。

「なぁに。」
「小瓶の中身がね、ついにいっぱいになったの。」


複雑な表情を浮かべつつ、彼女はポケットに手を入れると、そこから小瓶を取り出した。
ハート型の蓋のついた、ガラスのような素材で出来た小瓶がキラキラと室内灯の光を反射する。


「そう。良かったじゃない。」


彼女は確かにこの世界に居るのが嫌だと言わなくなった。
けれど、未だに帰りたい。いや、帰らなければならないと言い続けていた。

だから、喜ばしいことなのだろうと返事をすると彼女は、困ったような、泣きそうな笑顔を浮かべる。


「ええ。これで帰れるのよね。…姉さんの所に。」


彼女の表情から察するに、帰りたい気持ちと帰りたくない気持ちの葛藤に苦しんでいると見える。


「そうね。これで近いうちに貴女は元の世界へ帰れるでしょうね。」

「ねぇ、コアも元の世界に戻れないの?だってほら、あなただって余所者なんでしょう?」


上品な甘さのチョコレートケーキを小さく切り分け、口に運ぶ私に縋るような目を向けつつ彼女は問い掛ける。


この世界の住人は一緒に行けないにしろ、せめて同じ余所者の私だけでも一緒に帰ろう、か。
彼女と同じくらいの歳の私なら友人として迎え入れても違和感は生じないでしょうし。

彼女の考えていることは何となく分かった。

この世界を夢だと思いたくないのね、アリス。

けれど、生憎私は元の世界の事はあまりよく覚えていない。
まして彼女一人の為にこの世界を捨てていこうだなんて思わない。


「残念ね。私は元の世界に戻りたいなんて思わないの。」


そう告げると彼女の表情はますます泣きそうなものへと変わっていく。


「ねぇ、アリス。」


酷い事を言っているけれど、私だって彼女が嫌いなわけじゃない。

小瓶に視線を落としている彼女に声を掛ける。


「貴女は”帰りたい”の?”帰らなきゃいけない”の?」


私の問いかけに、彼女は目を見開き、顔を上げる。
しかし、ゆっくりと視線を落としていき、彼女は再び俯いて黙り込んでしまう。

私はただ黙って彼女の返事を待つ。


「……分からないの。」


姉さんの待つあの陽だまりに戻りたい。
姉さんの作ったお菓子を食べながら紅茶を飲んで、姉さんと笑いあいたい。

だけど、この世界も大切で。
この世界の人達に別れを告げるのも嫌なの。

現実に戻れば私は再び姉さんと比べられて、完璧な姉さんを見て私はまた惨めな思いをしなければならない。

けれど、何だか無性にこの世界に居て笑っていてはいけないと責められている気がするの。


彼女は俯いたまま、ぽつりぽつりと呟く。


彼女が元の世界に帰りたいというのは本当なんだろう。
この世界に留まりたいというのも。

ただ、こうして聞いていると、元の世界に帰らなきゃいけないという意識が彼女から選択権を奪っているように聞こえる。


「帰らなくてもいいのよ、アリス。」

「え…?」


”帰るな”ではなく”帰らなくていい”という言葉にアリスは首を傾げる。


「貴女が”帰りたい”と思うのなら帰ればいい。”帰らなきゃいけない”と思うのなら、貴女は帰らなくてもいい。」

「うん。………私、ちょっと一人でよく考えてくるわ。」


私の言葉に余計に混乱してしまったのか、彼女は席を立つ。


「そう。後悔の無い選択を。」


彼女が帰ってしまうのが今からと分かっていたわけではないけれど、何となくそんな予感がして。


「アリス、貴女はここに居ちゃいけないなんて事はないわ。それだけは覚えておいて。」


扉に手を掛けた彼女の背中に向かってそう声を掛ける。
すると彼女は此方を振り返り、ほんの少しだけ笑って頷いた。


”またね”


そう言って私は、部屋を出て行く彼女を見送った。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ