Small fragment.

□愛せないから触れないで
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「エイプリルシーズン、終わっちゃったわね。」

監房内に座り込み、冷たい石壁に背を預けながら彼に語りかける。

「役立たず。」

彼は鉄格子に寄りかかったまま黙っている。
私に背を向けている彼からは、今どんな表情をしているのか伺い知れない。
だがその端整な顔にはいつものように仮面のような笑顔を貼り付けているのだろう。

「……君は、どうして彼女を捕まえたいの?」
「貴方ボケたの?」

此方を振り向いた彼はやはり予想通りの表情だった。
優しい声で問いかける彼の馬鹿げた質問に、私は呆れたような目を向ける。
私が彼女を捕まえたい理由はもう何度も何度も伝えているのだ。
彼がそれをわかって居ない筈は無い。

「いいや。ボケてなんかいないよ。……ただ、彼女を捕まえずとも君の望みは果たされているんじゃない?」
「何が言いたいのよ。」

要点を言わない彼に対する苛立ちを隠しもせずに率直に投げつける。
彼はそんな私の様子に苦笑しつつ鉄格子を開いて此方に歩み寄ってくる。

「あの子を捕まえたって、君は幸せになんかなれないよ。あの空っぽな人形に君の求めているような物が詰まっているとは思えない。ただ監獄に入っていたいだけなら、鍵なんかあっても無くても君は出て行かないんだから無くたっていいじゃないか。」
「何、あの女を捕まえられなかった言い訳でもしたいの?」
「君には君のままでいてほしいんだ。」
「あれだって私よ。寸分違わず全く同じ物よ。」
「全く違う物だよ。」

私の前に膝をついた彼は私の温度の無い頬を大きな掌でするりと撫でる。
それと同時に彼が私へ向ける瞳の色には見覚えがあった。
そう、私が殺した愛しい愛しい姉が、愛した男に向けていたのとよく似ている。
愛情に満ちた美しい赤色。
私はこれが自分だけに向けられる事をずっと望んでいたというのに、残念ながら怨念の塊でしかない私は何も感じる事は出来ない。

「……私を愛しているだとかいうのは嘘じゃなかったのね。随分と面白い嘘を吐くものだと感心していたのに。」
「おや、それはそれは。嘘にしておいた方が良かったかな。」

彼は私の頬から手を離すとわざとらしく残念そうに肩を落とす。
私はその彼の頬で揺れる血のような赤色の髪を一束掴んで引き寄せた。

「どちらにせよ、くだらないわ。貴方って想像以上に馬鹿なのね。」
「恋愛っていうのはそういう物だろう?」
「わからないわ。した事も無いし、今の私には出来ないもの。あの女を捕まえてくれたら分かるかもしれないけれどね。」

苛立ち気味に厳しい言葉を投げつけても尚、間近で向けられるこの微笑みにときめく事が出来たらどんなに良かっただろう。
きっと、私が愛を渇望し続けたあの優しい姉よりも、目の前の彼は私を想ってくれている。
欲しい物はこうして目の前にあるのに。
それをそれと認識することの出来ない不完全な自分が憎い。

「君は、俺が嫌い?」
「いいえ。でも愛してもいないわ。」
「それで十分だよ。あんなナイトメアが作った紛い物と一緒になった君なんて要らない。」

私の唇に彼の唇が重ねられる。
それは触れるだけの軽いもので、彼の体温はすぐに離れていった。
私の瞳を真っ直ぐに見つめ、満足気に細められたその瞳に腹が立った。

ぱしん。

彼の白い頬を平手で打つと、静まり返った監獄に乾いた音が高らかに響いた。
彼はそれすらも愛おしいというように薄ら笑いを浮かべながら私を見つめ続ける。
それが気に入らない私は彼の胸を力いっぱい突き飛ばす。
彼は戦闘向きではないと常々言っているが、それでも私ごときの力に負けるほど弱くは無い。
けれども彼は私に逆らう気は無いのか簡単に私と彼の間には距離が開く。
ある程度身動きが自由になると私は僅かに傾いた彼の体を再び押して石畳に押し付け、彼に馬乗りになり、胸倉を掴む。

「つまらない男。私が好きだというのなら私からの見返りも求めなさいよ。」
「見返りの為に君を損なわなきゃならないのなら、そんなもの要らないよ。」

彼の顔に掛かる私の長い髪に指を絡めながら彼は言う。
本当につまらない男だ。
無償の愛と言えば聞こえはいいが、そんなもの、結局は私を愛している自分が愛しいだけではないのか。

「私の気持ちなんかお構いなしなのね。」
「だって、君は俺なんか好きじゃないし、好きにもなれないだろう?」
「なれるものならなりたいつってんのよ。あんたを愛したいと言っているのよ。皆まで言わせないでちょうだい。つまらない上に気も利かないのね。最低だわ。」

私の視線の先で彼は意外そうに目を丸くしていた。
彼は私の事を少しも分かってなどいなかったのだ。
私の味方の居ないこの世界で、唯一の理解者だと想っていたのに。

「私は恨みの化身である以前に罪悪感の塊なのよ。貴方に一方的に愛されて、それを受け取ることも返すことも出来ないことがどれだけ申し訳なくて仕方ないか分かる?凄く悲しくて辛いのよ。それを知りもしないで、見返りなんて要らないと言って私を罪悪感でがんじがらめにして。苦しくて息も出来ないわ。いい加減にしてよ。」

私を求めない彼の態度に腹が立って腹が立って気付けば私の目からは涙が零れていた。
彼は長い指でそれを拭おうとするが、次から次へと溢れてくるそれはいくら拭ってもきりがない。
すると彼は私の背に腕を回し、私を抱きしめようとする。
私は体に力を入れてそれを拒むが、さっきと違って彼は強引に私を腕に収める。

「愛しの君がそこまで言うのなら、仕方ないね。道化師として君をこうして泣かせておくのは忍びないし。……次は必ず彼女を捕まえてきてあげる。」

彼から離れようと腕に力を込める私を、それ以上の力で押し付けながら彼はやる気がなさそうに言った。

嘘つきめ。きっと彼は本気で私の願いを叶えるつもりなどないのだ。
なんてもどかしい。こんな男に頼るんじゃなかった。
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