捧げ物
□彷徨の記憶
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「…修兵」
いやに耳に残る声。
それは、いつ聞いた、誰の声なのかすらも定かではない。
最近だったのかもしれないし、遥か昔だったのかもしれない。
けれど、甘く響くそれは、確かに自分が愛したものだと理解った
「…誰なんだ?」
ぼそり、呟き、空を仰いだ。
からっと晴れた空から差す光に、つと目を細め、ふぅとそんな思考を払う為に息をついた。
今の自分には、そんな事よりも考える事は多くある筈なのだ。
破面との戦い、そして世界の為に藍染を止める事。
その為にしなくてはならない事は多くあるし、それを遂行する為ならば、自分の命すら捨てなければならない事もあるだろう。
「…いけねぇな、集中しきれてねぇ」
現に今、俺は破面を迎え撃つ為に、転送されたダミーの街の中にたてられた柱を護るという大役を授けられている。
このような散漫な意識でいたのでは、討てる筈の相手であっても、最悪負けてしまうだろう。
それだけは避けなくてはならない、なんとしても。
「…はぁ」
「…クフフ、いけませんね。仮にも任務中に簡単に背中を取られては」
「…っ!」
気を取り直そうと小さく息を吐くと、ふいに背後から男の声がする。
びくっと反応してすぐに柄に手を掛けると、その手をすっと包んだ男は
「貴方は相変わらずですね」
くすりと笑みを浮かべて、僕ですよと囁く。
−…相変わらず?
何を言ってやがんだ、こいつは。
俺はこんな奴みた覚えもない
ばっと手を払いのけて、ぐっと睨めつけながら
「…テメェ、何者だ!俺を知ってんのか?!」
ぐんと霊圧を上げて唸る。
それに動じた風もなく、変わらず笑みを浮かべた奴は、すっと寂しげに左右の色の違う目を細めて
「…僕は六道 骸。貴方にもう一度会いたくて、輪廻より舞い戻ってきました。…けれど」
−…貴方は僕を覚えてはいなかったのですね、修兵
泣き出しそうに、笑った。
こいつが、何を言っているのかなんて理解らない。
けれど、慈しむように、ただ優しく、甘く俺を呼ぶ声が、じんわりと心に染み込むようで。
ぼんやりと、あの声はこいつのものだったのかと思った。
「…すいません、でした」
なんの言葉も出ない俺に、哀しげに寄越した骸は
「…けれど、これだけは覚えていて下さい。…僕は例え貴方が覚えていなくても」
−…ただ、修兵、貴方だけを愛していますよ
ふわりと俺を抱きしめて、そっと頬に唇をおとした。
普通なら、野郎にそんな事をされるのは死んでも御免だと思う行為も、こいつからのは不快ではなくて。
ふっと離れた温もりに寂しさすら感じる。
−…俺はおかしくなってしまったのだろうか
「……む、くろ」
ぽそりと小さく名前を呼ぶと、はっと目を見開いた骸は、一瞬期待を宿してすぐに、諦めを映して
「…はい」
にこりと笑う。
それだけで、じくりと疼くような、胸を軋るような痛みを感じて、ぐっと眉が寄る。
「…俺はおまえを覚えてねぇ。そして、今はおまえに構ってる余裕も、ねぇ」
「………えぇ、そうでしょうね」
けれど、これだけは言わなくてはならない
「…だが、戦いが終わったら話は別だ」
「…修、兵?」
それはこいつに哀しい顔をさせない為に
「…俺はおまえの事がどういう訳か、気になるし、忘れたままではいたくねぇ」
なにより、自分の為に
「…どうやら俺も、おまえを愛してるみてぇだからな」
−…ここまできて、逃げはしねぇだろ、骸?
ニヤリと笑ってやれば、そんな所も変わりませんねと嬉しそうに笑った骸は
「…なら、貴方には意地でも思い出して貰わなければいけませんね」
そっと唇を重ねて、おまじないです、と耳元で甘く囁いた。
戦いで生き残れるように。
僕を、思い出せるように、と。
「…こりゃ、負けらんねぇな」
かぁっと熱を持つ頬をそのままに、ふっと笑えば、楽しみにしていますよ、と応えた骸は、そっと霧に溶けて
「…貴方が僕を必要としてくれるその時に、僕は必ず貴方の傍らに在りますよ」
ふんわりと声の余韻を残して消えていった
「…バーカ、これから戦いなんだ。暫く呼んでやらねぇよ」
残ったのは
(君への想いと、唇の余韻)