俺屍

□明日を信じて
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さらりと流れる髪をそのままに、薄い笑みを浮かべた昼子は、ただ静かに歩を進める。
一見穏やかな表情からは窺い知るべくもないが、ただそこには冷たい陰りがあるかのように見えた。

ほぅっと息をついた昼子は、周囲にまばゆいばかりの光を放ちながら、つと、気を持ち直すように前を見上げた。
強められた光の中で、昼子がどんな表情を浮かべていたのかは知る由もないが、きっと寂しさを滲ませているのだろう、とその背を見つめながら、夕子は思った。

けれど、今の自分には、それを知った所で、何かをしてやるつもりなどない。
くるりと踵を返そうとすると、昼子は小さく唇をひらき、唄をうたい始めた。
それは、鎮魂歌のようであり、呪のようである。
ただ、夕子に理解るのは、自らが封じた悪鬼に−…否、弟に向けたものなのだという事だけ。
けれど、それを理解っていて尚、夕子の胸は罪悪感に蝕まれる事はおろか、僅か程の同情すらも無きに等しい。

彼女の、否、お業を始めとして、彼女ら家族を、神々をも自らの謀り事により殺める事となった。
けれど、それでも夕子はそんな感情を持たなかった。
否、持てなかった。
長く生きすぎた彼女にとって、それは享楽であり、償いであったのだから。

「…長生きが良いのは、短い一生を与えられた人だからこそ、求め、称えられるべきものなのでしょうね」

私は長く生きすぎました、とぽつり、呟いた夕子の存在に気付いたのか、そうでないのかは定かではないが、昼子はぴたりと唄を止めた。
そしてまた、余韻を残すかのようにゆったりと歩を進めて、行き着いた先は一つ、天橋立。
そこから、すと下界を眺める昼子の目には、寂しさと、同時に愛しさが宿って見える。
僅かばかり抑えられた光に、白銀に染まった瞳を凝らして昼子を視界に捕らえる。
そして、昼子の視線の先を見遣ると、もう一人の昼子−…否、イツ花という快活な少女が映る。

「佐知子さーん!」

似た格好で前を歩く娘へとかける姿は暘に照らされて、まさしく健やか、否、陽そのものであるかのようだ。
けれど、それはこのどこか陰りを持つ女神の生前の姿、それである。
まさしく、一の、陰を昼子が、陽をイツ花が分かちているかのようだと夕子は思う。

そして、黄川人は陰陽を分かつ事すら叶わず、幼くして死し、そして悪鬼へと堕ちた。
それは、紛れも無く夕子が望み、謀った事だ。
けれど、と思う。

そうして謀った事すらも、生き地獄だと称して、私の助力を求めて人と関わり、朱点を、黄川人を助けたいと申し出た昼子の言葉に、本当に謀っていたのは私ではないのではないか、とも思えてならない。
それは、昼子であるのかもしれないし、多く育まれ、そして短き命しか与えられなかった哀れな御子であるのかもしれない。
そして、神である私が言うのはおかしな事であるのかもしれないが、運命というものなのかも、しれない。

「…地上の様子はどうですか?」

そこまで考えて、くつりと苦笑を零す。
そんな思考を振り払うように、小さく頭を振った夕子は、すっと刺すような光に白銀の双眼を細めながら、そっと夕子に近付き問うた。

−…今度の御子は朱点に対抗しうる子でありますか?

言外に、そう滲ませながら。
それに、くっと笑った昼子は

「…朱点を、黄川人を救うに足るかは、まだ理解りませんよ。彼はまだ産まれたばかりなのですから」

静かにそう応えた。
そこに一抹の諦めが浮かんで見えるのは、気のせいではないだろう。
夕子は、昼子の隣に立つと、つと下界を見つめる。
そこにあるは小さな命。
僅かな生しか与えられない、小さな、小さな命。
確かに力こそ秘めているだろうが、朱点を倒し、救うに足るかは理解らない。
ふっと目を伏せた昼子をちらと見つめていると、なんだかこちらも無理ではないかと思えてくる。
けれど、それはそれで構わないとも、思う。
そんな自分に自嘲的に笑むと、その刹那

「大丈夫ですよぉ、明日をバーンとぉ、信じましょう!」

下界の映像から、まるでこちらの気持ちを見抜いているかのように、元気な、大丈夫だと励ますような声が響く。
そっと二人でそちらを見つめると、満面の笑みのイツ花が、ね?と一族を励ましているのが見える。

それにクスクスと笑っていると、昼子はどこか楽しげに笑いながら

「そうですね。明日を信じて」

小さく呟いた。


そうすればきっと

(いつの日にか全て上手くいくから)

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