俺屍

□その呟きは
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綺麗な、空だった。
綺麗な、女だった。
そんな彼女を飾ったのは、綺麗な、緋だった。

「…そうして散る事が、君の望みだったのかい?」

相翼院の奥。
ぼんやりと闇を照らす蝋燭の光に、つと目を細めながら、横たわる冷たい彼女の肢体にそう、問うた。

こうして、ここに縛られた女と同じ末路を辿るのが、望みであったのか、と。

まだ、あの呪われた一族にあって、一年程しかたっていなかったというのに、寿命で死んだ初代の跡を継いだ和代は。
まだこれから一族を背負い導いていく筈であったというのに。

「…ガキなんか、庇うからだよ」

初陣に舞い上がっていた息子を庇い、敵の攻撃を受けて、地に伏した。
ざっくりと、肩から胸にかけて深くえぐったような傷痕がなんとも痛々しく、体を染め上げる緋はあんまりにも綺麗で。
いくら言葉を掛けようとも、もうそれは痛みに呻く事もなければ、強気な言葉を返す事もなく、ただそこに在るだけ。

「…母親って奴は皆そうなのかい?」

そっと眉を顰めながら、黄川人はまた物言わぬそれに問い、くつりと笑った。

だから、馬鹿だと嗤ってやったんだよ、僕は。
あんたが母さんと同じ雰囲気を持っていたから。
子供を愛していたのが、ありありと伝わったから。
それなのに君は

「何が馬鹿なもんか。テメェのガキ護って死ねたんなら、大往生じゃないのさ。あたしは、その女に母親として尊敬の念すら覚えるよ」

なんて言って、何かを覚悟したように笑ったから。
だから、来ちゃったんだよ、僕は。
酷く嫌な予感がしたから。
もう君の声を聞けないような、そんな予感が。

「…短い命しか与えられてないあんたが、もっと命短く散ってどうすんのさ」
くっと笑って、彼女の胸のあたりに手を翳してやる。
そして小さく呪詛を紡ぐと、ふわり、和代の体から彼女の魂が抜け出て半透明な、けれど確かに彼女の姿が浮かび上がる。

「……あんたも酷な事をするねぇ。せっかくあっちの世界に逝こうってのにさ」

ふわりと浮いた彼女は、ゆっくりの目を開けて、開口1番、くつりと笑いながらそう言った。
確かに死んだ人間の御霊を、こうして呼び寄せるのは良くないとは思うが、黄川人にとってそんな事は二の次で。
どうしても聞きたかった。
他の誰でもない、和代の言葉で。

「…あんた、未練はないのかい?」

ガキの為に自分が死んで、この世に未練は本当にない?

「…あんたは、まだこの世に在りたくはなかったのかい?」

大好きな家族や、一族を支える者達のいるここを離れるのに未練はないのか?

真っ直ぐに疑問を口にして、そっと和代を見遣ると、一瞬瞳に哀しみの色を宿すも、すぐにいつもの強気な笑みを浮かべて

「ないよ、んなしみったれたもん!あたしはこの世で生きられた。子を成して、愛し、護れた。それはあたしの誇りだよ」

何人にもおかされる事のない、自分の誇りであり、生きた証は息子の生の中に確かにあるのだと

「…きっと、ここに縛られた女だって、息子達が心配なだけさ。きっと後悔はないだろうよ」

それは、同じくしてここで散った私だから、理解るのだと

やはり、彼女は笑ってみせる。
何故、どうしてこうも未練も、迷いもなく彼女は在れたのだろうか。

「…僕なら、あんたをここに居させてあげる事が出来る。それでも君は」

−…満足だと、笑って逝くのかい?

そう問えば、一瞬きょとっとした後、ふんわりと優しく笑った彼女は

「当然だろ。こんな所でちんたらしてる暇なんかありゃしないよ!私は上であの子達を見守らないとならないんだから」

私はもう満足してるんだ、もう逝かせておくれよ

その御霊の縛りを抜けて、ぽうっとあたたかな光を纏って逝った。

「…あんたも自分を赦してやんなよ、黄川人」

小さくそう遺して。

「……だから、あんたは嫌いなんだ」

その姿は母を彷彿とさせて、僕の胸を軋ませる


小さく呟いた、それは

(掻き消えてしまいそうな程に弱々しく空気を震わせた)

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