novel

□ 幸せ過ぎるのは、
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幸せ過ぎるのは嫌いなんです。


僕は彼女にそう言った。






僕がそう言った時の、彼女の顔が忘れられない。
驚いたような、悲しそうな顔が。

(僕は何故‥‥)

悲しませるつもりなどなかった。
だけど、彼女といる時の、暖かい、幸せそうな雰囲気には、まだ慣れる事は出来ない。
もしかすると、ずっと慣れる事など出来はしないのかもしれない。

(幸せなど‥、儚く‥脆い‥)

慣れるなんて考えられない。
そもそも、幸せを僕は‥‥、

(‥‥知る由もない)

こんな卑屈な事を、今は考える必要などない。あの頃とは違う。
僕は、もう違う。


‥‥‥‥、そこまで考えて、目を閉じ、考えるのを止めようとした。
ずっと考えていても、泥沼に嵌まったように解決など出来ないのだから。


もう帰ろうと、目を開いた僕に、後方から聞き慣れた声で僕を呼ぶ声が聞こえてきた。

「むーくーろーさんっ!」

振り向くと其処には、彼女が、ハルさんが、いた。
突然の事に驚いて、息がつまる。
その間にもハルさんは駆け寄ってきて、僕とハルさんの距離を縮めた。

「はひ?骸さん、どうしたんですか?」
「‥いえ、何でもありません。」
「そうですか?なら良いんですけど‥。」

まだ納得していない様子で、心配そうにしているハルさん。
正直、向こうから話し掛けられるとは思ってもみなかった。

「‥ハルさんは、嫌じゃないんですか?」
「え?」
「昨日、僕があんな‥、」

(‥酷い事を言ったのに‥‥)

僕の言いたい事を察したように、ハルさんは黙ってしまった。
僕も気まずさから、口を閉ざしてしまう。
ただ静かに、重い空気が漂う中、小さな声で口火を切ったのは、ハルさんだった。

「‥‥あの、‥骸さん。」
「‥‥はい。」
「‥あれから考えてみたんです。幸せ過ぎる、って何なのかなって‥。」
「‥‥」
「例えばですね。有名なケーキ屋さんが、1日貸し切りで食べ放題なんです。」

(‥‥はい?)

何を言い出したかと思えば、どうでもよさそうな話を始めて、僕は顔をしかめる。
だが、ハルさんは甚く真剣な顔で話すので、そのまま聞き続ける事にした。

「それで、たくさんあるケーキにハルはうっとりしながら一口ずつ食べていくんです。」
「‥‥」
「そして、そのテーブルの向かいには‥‥‥骸さんがいるんです。」
「‥‥」
「骸さんはコーヒーを飲みながら、たまにケーキも食べて、‥‥ハルと、一緒に楽しそうに笑うんです。」
「‥それで、幸せは分かったんですか?」

僕の問いに、ハルさんは微笑みを向ける。しかし、その微笑みには、何故か憂いが込められていた。
ハルさんはゆっくりと応える。

「何だか、夢みたいって思って、‥‥怖くなりました。」
「‥‥、ハルさん‥。」
「‥でも、それが本当なら、ハルはとっても嬉しくなるんです。」

(‥‥怖くて、嬉しい‥‥)

幸せ過ぎるのは嫌いだと言った。
それは、幸せの奥にあるものが、幻のような、夢のようなものに感じられる怖さにあったのかも‥しれない。

幸せを知らないんじゃなかった。
だって、もう既に、僕は幸せだと感じている。
彼女と同じ世界で生きている。
それだけで、僕はいつだって幸せだと言えるだろう。

「骸さん。」
「‥何でしょう。ハルさん。」
「‥幸せを、嫌いにならないでください。怖いなんて思わないように、ハルが喜びでいっぱいにしますから!」

必死で言うハルさんに、僕は感動を越えて呆気に取られてしまう。
何も反応を返さないでいると、ハルさんは真剣に見上げてきた。
そんなハルさんを見て、僕は吹き出すように笑ってしまった。

「骸さん?!もう、何で笑うんですかー?!」
「クフフ、だって、それは男の台詞ですよ。」
「はひ?」

あぁ、何だか胸から柵が外れたようだ。

何を怖れていたんだろう。
幸せ過ぎるのが嫌いなのは、その幸せを夢のように失ってしまうのが嫌だったから。
ならば、それ以上の喜びや嬉しさで、幸せを感じればいいだけの事。

「‥ハルさん。」
「何ですか?骸さん。」

(だから、きっと僕は‥‥)

「僕も、貴方を、幸せにしてみせますね。」

(‥‥世界一、幸せです)





幸せを教えてくれた彼女は、嬉しそうに、幸せそうに、笑った。







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