布団3

□優しい鷹は爪を切った
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「トクサってどうしてキスが下手なの?」
(ぶはっ)



お茶を噴いたと同時に机に湯呑みを叩きつけ、盛大に咽るトクサ。
ああもう乱暴にするから零れちゃったじゃない、と甲斐甲斐しく拭いてやるが、彼はそんなこと眼中にないようでソファの隅でうずくまったまま咳を抑えることに必死だ。



背中を摩ってあげようにも、ひいひい鳴る口に手を当てて無理矢理な深呼吸を試みるトクサを目にして、伸ばした手は引っ込んでしまった。
真っ赤な顔で懸命に頑張っているのに、横槍を入れるのは野暮というものだ。
いや、しかしここで恩を売っておけば後々便利なのではないか。
それに辛そうなこの人を放っておくなんて、仮にも恋人の名が廃るのでは、うんぬんかんぬん。



私が母性と父性の狭間で揺れている間に、んん!とようやく調子を整えたトクサが涙目を隠しもせずにこちらを向いた。



「何を言い出すかと思えば…」
「ねえ、どうして?」



それまでと瞬時に変わった空気に、しまった、と思った。



「知りません。それに下手とはなんですか、何故そんなことがわかるんですか、比べたんですか」



次に地雷を踏んだ自分に同情した。
こうなると、彼の機嫌はなかなか直らない。



「ご、ごめん…」
「謝るくらいなら、始めから聞かないでください」



どうしたらいいのかわからなくて何も答えられないでいると、ぷい、と身体ごと顔を逸らして背を向けられた。



途端、頭を鈍器か何かで殴られたような衝撃。
地の底に落ちていくような喪失感。



(私はなんて馬鹿なことを言ったんだろう)



比べた訳じゃない。
だけど他の子たちの話を聞いていたらトクサは清潔過ぎた。
キス以上のことは求めないし、その触れ合いですから子供のような戯れに終わる。
だから少し不安になっていた。
私とは只の遊びなのではないか、と。



その動揺を勘繰られたくなくて、横着に包んで言ったことが、結果的に彼を傷付けてしまった。



(違う、違うの)



キスが上手じゃなくたっていい。
毎日嫌味を言われて泣かされたっていい。
週1で大喧嘩をしたっていい。



「…本当に、ごめんなさい」
(それでもあなたが好きなことには変わりないのよ)



文字をひとつずつ、あなたの背中から染み込むように大事に紡ぐ。
欠片でもいい、私の気持ちが伝わってくれたらそれで十分。



自然と視界が歪んできた。
拳を握って堪えていると、ふう、と息を吐く音が聞こえた。



「…比べた比べないはどうでもいいんですよ」



後ろ姿はそのままに話し続ける。



前回の男性か、それ以前か。
余程記憶に残る口付けをされていたとしても、私は過去に干渉するつもりはありませんし、その理由も見つけられません。
これまでの関係を洗いざらい問いただそうとも思ってはいません。
今は今、ですから。
先程はあなたが私をその方面に疎い人物だと認識していると感じたので腹が立ちました。
確かに、これまでの行為をみてみればそうなるでしょうね。
わかります、あなたは単純馬鹿ですから予測済みです。
ですが、ここは男のプライドとして言わせて頂きますが。



「見縊らないでくださいね」



背中がくるりと反転して、待ち侘びた顔が視界いっぱいに広がった。
その瞳は怒っているのか、悲しんでいるのかわからなかった。



「何を泣いているんです」



涙を見て、トクサは細い目を更に細める。
その濡れた道筋を親指が辿って、目尻に残っていた液体を掬った。
耳に触れる指たちがくすぐったいのに、彼の眼差しに射抜かれて金縛りにあったように動けない。



澄んだ瞳に、私が映っている。



「ト、」



言い切る前に柔らかい唇に飲み込まれた。
押し付けられたのは、これまでしてきた子供の真似事とは違う、奪うような一方的なキス。
上と下の唇で噛み付かれ、息をすることも許されない。
髪の間に指が差し込まれて、触れ合ったところから溶けていってしまう錯覚に陥る。



「ふ、う」



苦しくなるのを見計らってか、絶妙のタイミングで離れ、また口付ける。
まるで人工呼吸の逆だ。



熱い舌が絡まる。
興奮すると舌が膨張するらしい、と頭の片隅で思い出した。
冷血漢と呼ばれる彼がこんなにも情熱的なキスをするのか。



とうとう酸素が足りなくなってきて、頭がぼうっとする。
ふわふわと宙に浮く身体。
嫌だ、まだこの感覚を味わっていたいのに瞼が落ちそうになる。



「トク、サ」
「あっ…」



朧気に、たった今私の存在に気付いたとでもいうなような顔。
次に短い謝罪と、たくさんのトクサの香りが広がる。



はあ、と熱い吐息が額にかかった。
するとそれと同じくらいの熱を持った手が頭を前後する。
気持ち良くて耳をすませば、聞こえてきたどくどくと忙しなく動く向こう側の存在。



「嫌なんですよ、…こうして、抑えられなくなったら」



少しだけ息を弾ませて、でも平静を装って話そうとするあたりが意地らしい。
こんな技いつ覚えたんだと軽口を叩いてやりたいのに、熱に浮かされたように僅かに空気を漏らすことしかできない。



「口付ける度にあなたが倒れるのでは、こちらとしても困り物ですし」



何だかんだ言って、トクサは私のことを気遣っていたらしい。
ぼんやりした脳では深く物を考えられないが、それだけはわかる。



馬鹿だな、私。
一体どうして心配していたのか。
彼はこんなにも私を想ってくれているのに。



「…キス下手な理由、わかって頂けましたかね」



霞んだ世界は、どろどろの甘ったるい視線に奪われた。



優しい鷹は爪を切った



大好きな獲物ちゃんの為にパチンパチン。



(あの、だから、)
(残された私はどうすれば、と)



伸ばした爪も、すぐパッチン!




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