布団2
□名無しさんの朱傘
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暖簾の外を見やれば、やっぱり降り続いている大粒の雨玉。
天気予報の嘘吐き。
「午後には晴れ間が覗くでしょう」なんて、一瞬も覗かないじゃないか。
予報士の力説を信じて傘を持ってこなかったのに。
(うそつき)
空に向かって呟いてみる。
しかし雨が弱まる素振りは一向に見えず、諦めて、さてどうしたものかと小さな甘味屋の中へと戻った。
店の中には私と男性店員の二人だけ。
この状況だけでも堪えきれないというのに、この男はまったくと言っていいほど愛想がなく、皿を下げた後は何をするでもなくテレビに見入っている。
おまけに黒いサングラスをしているものだから何を考えているのか予想しづらく、また柄が悪く見えた。
(傘ありませんか、なんて)
こんな人に聞けるわけがない。
今のご時世、また来るかも分からない見ず知らずの女に傘を貸すなんてどうかしているし、せいぜい前の客が置き忘れたぼろ傘がいいところだ。
しかしそんな傘を借りたとして、私にそれを差して大手を振って街を闊歩するほどの度胸があるわけでもない。
「なんじゃ、注文がか」
ふとこちらを向いた彼と目が合ってしまった。
いつの間にサングラスを外したのか(それにも気付かない程、彼の横顔を見つめていた)、真っ黒な瞳が私を見ている。
「い、いえ」
それまでの想像がどうしようもない馬鹿なことに思えてきて顔が熱くなった。
自分は一体、この店員に何を期待していたのか。
簡単なことだ、傘がないのなら走ればいい。
「ごちそうさまでした」
踏ん切りがつくと面白いもので、それまでの杞憂が嘘のように行動が敏速になる。
私も例に漏れず、勘定を済ませるとその場から逃げるように暖簾を潜った。
先程より雨脚が強くなっているが構う由もない。
「待て」
ほんの少し走ったところで呼び止められ、振り向くと今しがたの店員が店先で朱色の和傘を片手に立っていた。
どうしたのだろうと雨の中で立ち尽くしていると、彼は傘も差さず泥水が跳ねるのも気にしないで走り寄ってきた。
「これ、使え」
ぐいっと差し出されたそれに目を見張った。
何故私が傘を持っていないと分かったのだろう。
「どうして…」
「何遍も外を見るおまんを見りゃあ、誰だって気付くぜよ」
そう言って、彼は面倒臭そうに滴の垂れるぼさぼさの髪を掻いた。
私は、「ああ」と声を漏らして、そんなに外を見ていただろうかと思いつつも傘を受け取る。
案外大きな傘を差すと紙越しに、「わしのじゃきに、はよう返せよ」と聞こえた。
なるほど、確かに穴は空いていない。
「ありがとう、必ずお返しに来ます」
何だか無性に嬉しくて、傘を差したままお礼を言うと彼も笑った(気がした)。
名無しさんの朱傘
あ、名前聞くの忘れたや。
まあいいか。
返す時に聞こう。