妄想物

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その日の安倍邸は平穏そのものだった。

陽がそろそろ頂点に届くかという時間。朝廷に勤める希代の大陰陽師・安倍晴明は庭に面した縁側でお茶を飲んでいた。今の晴明は蔵人所陰陽師で、毎日の出仕は必要ない。とはいっても大陰陽師はなんだかんだで忙しい。公務がなくても個人的な仕事があちらこちらから引っ切りなしに舞い込んでくる。年寄りをこき使うでない、と思いながらも外面のためにそうとも言えずにせっせと働く。それが一段落ついたので、こうして休憩をとっていたのだ。

ぼーっと庭に目はやりつつも思考は別の所に飛んでいた。
先日まで密やかに迫りきていた異邦の妖異をこれまた密やかに退治。その際に孫が負った傷も癒え、今朝も元気に白い物の怪と連れ立って出仕していった。
その件に関連して世話をすることになった某家の姫も、順応性が高く、我が家の生活に馴染んできたようで。時折風に乗って義娘との笑い声が聞こえてくる。

平和だ。

「(これが、いつまで続いてくれるのか……)」

晴明はそんなことを思いながらずっ、とお茶をすすった。少し温い。

《――おい》

ぼーっと池を眺める晴明に声がかかった。しかし辺りに人影はない。

「おぉ。どうした、青龍よ」

座ったままの体制で、肩越しに後ろを振り返った。やはりそこにはなにもいない。いや、"見えない"。

《いつまでそうしているつもりだ》

刺々しい声音にしか聞こえないが、それに隠れた優しい気遣い…心配を晴明は感じ取る。

「いつまでかのぉ…冗談じゃ。だがああも仕事が減らんとなぁ……」

心配をしてくれることが嬉しくて、ついふざけて返せば凄まじい怒気で無言のうちに責められた。無言のくせに目だけは正直に言葉を伝えてくるのだからある意味素直だと晴明は思った。
怒らせても恐くないと言うと悪いが、得策ではないな、と本音で嘆息してみせるが正論で切られた。

《ここでこうしていたところで終わらん》
「わかっておる…」

すっかり冷えたお茶を飲み干し立ち上がる。「年寄りはこんなに使うもんではないとゆうに…」ぶつぶつと文句を吐いていると、ふいに晴明は背後を振り返った。

《――どうした》

そんな主を見留めて青龍は声をかけたが応えはない。庭に身体を向けたまま目を閉じている。
薄く目を開いて今度は空を見上げた。視線の先を追いながら青龍は再び声をかける。

《おい、晴明――…っ!》

急に空に穴が開いた。見鬼のないただびとには見ることが出来ないだろう、強い霊力を感じる穴が。
青龍は素早く隠形を解き、何かあっても対応できるようにすっと身構えた。
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