長編【下弦は宵闇に嗤う】
□22.無限城
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「それ以上動くなよ。怪我人が増えたらたまったもんじゃない。」
聞いた事のない声が一瞬だけ聞こえて、獪岳の腕を蹴り飛ばす。千切れた腕は灰のように崩れていき、私はやっと身動きが出来るようになった。若い男の声だったが、間違いなく鬼だ。善逸を追いかけてすぐに下へと降りていったが、残り香で分かる。
「追いかけないと…!」
善逸と男を追いかけて私も下へと降りていく。その途中で、善逸を抱えた男が適当な部屋へ入るのが見えた。善逸をそっと寝かせると男は胸ポケットから注射器のようなものを取り出した。獪岳の血鬼術によってひび割れた皮膚にそれを近づける。私は反射的に男の手首を掴む。
「なにするつもり?」
「俺に気安く触るな。このままこいつを死なせるつもりか?」
じっ、と男の目を見つめる。人間に巧妙に似せた瞳が怪訝そうに私を睨む。確かに目つきは悪いかもしれないが、悪意の匂いはしない。
私はゆっくりと男を掴んでいた手を離した。
注射器の中身は血鬼止めという薬で血鬼術による怪我を抑えてくれるそうだ。男は愈史郎と名乗り、手早く隊服を脱がせて包帯をくるくると巻いていく。
「…まずい、遭遇する。」
愈史郎は呻く善逸を抱え、その場から離れようとする。直後、複数の鬼の臭いがこちらに向かってくるのを利いた。
「行って。」
「全員相手にするつもりか?」
「まさか。そんなわけ無いでしょ。」
上弦ではない鬼だとしても、数十匹の鬼を全て相手することは不可能だ。だから私が囮になって善逸と愈史郎から鬼を引き離す。私の行動を察した愈史郎が、待て、と言って何かを投げ渡してきた。
「特殊な稀血だ。使い方はお前に任せる。」
「…稀血?」
どうしてこんなものを持っているのかは分からないが、とりあえず今はこちらに向かってきている鬼を誘き寄せるには丁度良い。
よく見れば透明なガラス細工の小瓶の中には真っ赤な液体が半分ほど入っている。蓋を開けると血の独特な臭いが鼻をついた。中身は確かに血のようだ。それを少量、羽織の袖で拭う。
「試薬段階だが、この辺りの鬼にはそれで十分だろう。」
「ありがとう、善逸を頼みます。」
莫耶を抜き、善逸と愈史郎の側から離れるように走る。近くにいる鬼が叫びながらこちらへ近づいてくるのが分かる。いざとなれば血のついた裾を斬って逃げれば撒くことも出来るだろう。
今はとにかく、この場から離れることだけを考えよう。