短編

□離れるなんて言わないで
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「薬ちゃんと持ってるか?鎹鴉は?」

炭治郎が不安そうに私を見つめている。大丈夫、と言って着物の袖から丸薬の入った小さな箱を見せた。それを確認しても尚、炭治郎は表情を曇らせたままだった。炭治郎とは恋仲になってから暫く経つ。始めの頃はこんなに心配されることもなかった。変わったのは数年前、私が任務で大怪我をした時からだ。

「心配しないでよ。」

「変な人に着いていったら駄目だぞ!」

「子どもじゃないんだから!」

私が笑うと、炭治郎は困ったような表情をした。任務に経つ炭治郎を見送り、街へ出かける。特に欲しいものがあるわけでは無かったけど、蝶屋敷にばかり篭っているのも流石に飽きてくる。数年前の大怪我のせいで、薬が無ければ身体を動かす事が難しくなってしまった。大きな任務をこなせなくなった私は以前よりも蝶屋敷に居る事が増えていった。
たまには街へと出掛けるのも気分が晴れる。大きな通りにある小物店で簪を見ている時だった。

「…っ!」

胸が痛い。ずきりと痛んで、思わず膝をついてしまう。いつもならゆっくり痛みが襲ってくるのに、今日は突然刺すような痛みだった。呼吸が乱れるが、落ち着け、と自分に言い聞かせる。丸薬を、取り出して飲む事は出来た。

「蝶、屋敷に…!」

鎹鴉を飛ばし、小物屋を出たところまでは覚えていたが、そこで意識は途切れた。気がつくと蝶屋敷のベットの上だった。炭治郎が側で座りながら眠っていた。任務には2日はかかると言っていたような気がする。どれくらい眠っていたのか、背中が痛い。

「たんじろ…、」

炭治郎はひどく疲れた顔をしていた。私は倒れたときとは違う、胸の痛みを感じた。炭治郎に迷惑と心配ばかりかけている。私はこんな身体で鬼殺隊に居てもいいのだろうか。

「ん…」

炭治郎が眉を顰めて声を漏らした。ゆっくり開かれた赫い瞳と視線が合う。

「ヒツメ…?!」

勢いよく立ち上がったせいで、座っていた椅子が後ろに倒れた。だがそんな事に構う事なく布団の上から私を抱きしめる。

「良かった、本当に…!ヒツメが目を覚さなかったら俺は…!」

「ごめん、ごめんね。もう大丈夫だよ。」

しのぶさんに話を聞くと、倒れてから2日は眠っていたらしい。炭治郎は任務を1日で終わらせて帰ってきてから、ずっと私の側から離れなかったと聞いた。炭治郎は任務に立つ前から嫌な予感がしていたそうだった。

「痛くなってからでも薬飲めば大丈夫って言ってたから、心配しないでよ。」

「この前みたいに突然痛くなって、薬を飲む前に意識を失ったらどうするんだ。」

どこへ出掛けるにも、誰かと一緒じゃないとダメだと言われてしまうようになった。善逸や伊之助も私の身体のことを理解してくれて協力してくれた。ある時、善逸は言った。

「最近の炭治郎は、なんだか怖いんだ。早く任務を終わらせて帰る事ばかり気にしてる。」

善逸が何を言いたいのか、何を思っているのか、私には分かった。炭治郎が『俺が側にいない時に、ヒツメの身に何かあってほしくない。』と言っていたのは記憶に新しかった。

「炭治郎、私の事は大丈夫だから。発作も最近は出てないし…。」

炭治郎は私がどれだけ大丈夫だと言っても聞かなかった。そのうち、私は自分の存在は炭治郎を苦しめているだけなんじゃないかと思うようになってしまった。

「炭治郎はどうしていつも辛い顔をしているの。」

私は縁側に並んで座る彼に、問いかけた。月が出ていて、夜なのに少し明るい。炭治郎は驚いた顔をしていて、私の方が何か話さなきゃいけない気がしてしまう。

「私と一緒にいる事が炭治郎を苦しめているなら、もう終わりにしよう。」

「どうしてそんな事を言い出すんだ。」

「私は炭治郎にそんな顔をさせたくて付き合ってる訳じゃない。」

どうして察してくれないのか。そのよく利く鼻で、感じてくれればいいのに。いや、炭治郎も分かっているのかもしれない。敢えて言わない、言えないんだ。

「私、炭治郎の太陽みたいな笑顔が大好き。でもずっと見てない。」

炭治郎の太陽のように眩しい笑顔を最後に見たのはいつだっただろう。最近は一緒に居ても困ったように微笑むだけで、以前のような笑顔は見せてくれない。

「もう、終わりにしようよ。」

「本気で言ってるのか。」

「うん、ごめんね。今までありがとう。」

炭治郎は私のウソを見抜いている。だけど彼は何も言わなかった。彼自身も私がどんな気持ちでこんな事を言い出したのか、分かっているのだ。

「ヒツメ、待っ…」

去ろうとした私の腕を、炭治郎が掴もうと手を伸ばす。私はその手を勢いよく払い退けた。炭治郎は弾かれて行き場をなくした手を、ゆっくりと握りしめた。

「嫌だ、俺はヒツメと離れたくない。」

炭治郎の泣きそうな声を無視してその場を去る。歩きながら、涙がぼろぼろと流れる。私だって、別れたくない。でも仕方がないのだ。どうすることも出来ない。
炭治郎の声が脳裏に焼き付いて離れない。振り払った手が痛い。胸が張り裂けるように苦しい。

私だって本当は離れたくない。

だけど炭治郎の笑った顔が思い出せなくなるのが嫌だった。困ったように、微笑む炭治郎。辛そうに私を気遣う炭治郎。私の記憶の中の炭治郎が、上書きされてしまうような気がして怖かった。





握りしめた手のひらが、痛い。ヒツメに拒否されるなんて思ってもいなくて、驚いたと同時に、なんと言えば良かったのか分からなかった。

「だからずっと言ってるじゃん、相手の事も考えろって。」

頭上から声が降ってきて、思わず瓦屋根を見上げる。善逸が縁側の上に居たらしい。声がするまで音がしなかったから最初から居たのだろう。

「考えてるよ。考えて、ヒツメには話さない事にしたんだ。」

善逸は俺の目の前に降り立つ。月の光に細い金糸がきらきらと映える。丸い二つの瞳が、俺を真っ直ぐに捉えて離さない。

「隠し続けるわけ?これからもずっと?恋人なのに?」

善逸からふわり、と柑橘の果物の香りがした。この距離で、やっと気づいた。屋根の上で、蜜柑でも食べていたんだろうか。

「もう、お前の鼻は一般の人よりも劣ってる。こんなに近くに寄らないと分からなくなってる。」

「偶然だよ、気付かなかっただけで…」

「偶然なんかじゃないだろ。」

善逸は俺の鼻が利かなくなってる事を、とっくに分かってた。言わなくても分かられてしまうというのは、時には厄介な事なのだと再認識する。

「ヒツメちゃんに話さないって決めたのは、なんで?」

「絶対心配するし、悲しい顔をするだろう。俺はヒツメにそんな顔を…」

思わず言葉が詰まる。

『私は炭治郎にそんな顔をさせたくて付き合ってる訳じゃない。』

ヒツメが、つい今さっき俺に言った言葉。胸が痛くなる、辛い言葉だった。ヒツメは俺にいつも、大丈夫だよ、心配しすぎだよ、と言っていた。それはもう、口癖の様に。
だけどそれは俺が言わせていたんだ。

「炭治郎はヒツメちゃんが発作で突然居なくなってしまうのが怖いんだろ?」

淡々と目の前の友人は、俺にとって想像したくもない事を口にする。

「でもヒツメちゃんは、炭治郎が任務に立つときそんな顔しないだろ。」

そうだ、俺が任務に立つとき。蝶屋敷の門の前で俺を見送るヒツメはいつも笑っていた。俺の記憶の中にヒツメの悲しい顔なんて殆ど残っていない。

「ほら、分かったなら行ってきなよ。女の子をあんまり泣かせたら俺が許さないからな!」

その言葉に背中を押される。俺はヒツメが倒れた日から笑えていないのかもしれない。ヒツメだって、俺を失ってしまう恐怖と闘っているというのに。

「ヒツメ、起きてるか?」

ヒツメの部屋の障子の前で、俺は小さく声をかける。自分の鼻はもう、他人の感情を理解できないほど利かなくなっている。

「起きてるよ、どうぞ。」

起きているか聞いただけなのに、あっさりと入室を促されて驚く。会いたくない、とでも言われてしまうかも、と身構えていたのは杞憂だったようだ。
静かにヒツメの部屋に体を滑り込ませて、後ろ手に障子を閉めた。敷かれた布団の端で、ヒツメは膝を抱えて小さく座っていた。

「気づかなくて、ごめんな。」

「……。」

ヒツメは微動だにしない。

「ヒツメも、俺と同じ気持ちだったんだよな。俺、自分のことばかりでヒツメのこと全然考えてなかった。」

変わらず、返答はない。俺は続ける。

「本当にごめん。ヒツメともう一度やり直したいんだ。」

ヒツメの表情を窺っても、灯りのない部屋では暗くてよく分からない。

「まだ、話すことあるよね。」

ヒツメの声は強い物言いとは対照的に震えていた。

「…気づいてたのか。」

「分からないわけがないでしょ、ずっと一緒に居るのに。」

ヒツメは俺が自分から話すのを待ってくれていたのだろう。なのに俺は黙っておこうとした。命に関わるものではない、としのぶさんが言っていたから。心配をかけたくなかったのは事実だけど、そのせいでヒツメを不安にさせてはいけなかった。

しのぶさんの説明してくれたことを、ヒツメへ話していく。任務で負った外傷で嗅覚障害が起きていること。命に関わる病気でもなく、心配する必要はないということ。

「俺はヒツメを心配させたくなかった。だけどそれはヒツメも同じなんだよな。」

俺の話を黙って聞いていたヒツメが、小さく息を吐いた。愛想を尽かされたとしても仕方ないだろう。

「それで、炭治郎はどうしたいの。」

膝を抱えていたヒツメが、四つん這いになって俺の方へと近づいてくる。俺がどうしたいかなんてそんなの決まってる。

「ヒツメと、もう一度やり直したい。」

「もう、隠し事しない?」

「しない、絶対に。」

ヒツメの柔らかい唇が、自分の唇に重なる。頭に手を添えると細くて綺麗な髪が指に絡まって、心地良い。自分と同じ石鹸の香りがふわりと鼻腔を擽った。


 

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