長編【下弦は宵闇に嗤う】

□10.対峙
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「善逸。」

私の前を歩く善逸は声をかけただけでびくっ、と肩を震わせた。膝が笑っているけど、見なかったことにしておこう。

「な、なに?!」

「言っておきたいことがある。」

鼻が利く私と炭治郎が屋敷を効率良く探れるということで、私達四人は炭治郎と伊之助、私と善逸に分かれて屋敷の中を探索することになった。
零令子と対峙する前に、善逸にどうしても言っておきたいことがあった私にとって、丁度良かった。

「無限列車での任務の後、私が善逸に言いかけたことがあったの、覚えてる?」

しのぶさんが入ってきて、言えなかった言葉。今言っておかないと、もしも言えなかった時に後悔する気がした。

「え、えぇ?!今ここで?!」

「うん、言えなくなる前に伝えておきたい。」

ぐっ、口を噤むと善逸は私の方へ向き直った。その表情は緊張していて、何故かこっちまで緊張してしまう。これじゃあ告白するみたいじゃないか。

「私の事をたくさん支えてくれて、好きになってくれてありがとう。」

なんだろう、胸が痛い。おかしいな、蝶屋敷で言おうとした時はこんな気持ちにならなかったのに。

「…ヒツメちゃん、あのね、」

この声が、匂いが、優しさが、心地良い。
ああ、私はきっと死にたくないんだ。
零令子と相討ちになってもいいと思っていた。お母さんを殺された日に自分は死んだようなものだから、零令子を斬れればそれでいいと思っていた。

「俺はヒツメちゃんだから支えてあげたいと思うし、好きになったんだよ。」

涙だってとっくに枯れたと思っていたのに、善逸と出会ってから何度流しただろう。

「だからありがとうなんて言わなくていいよ。」

「…うん、そうだね。」

ぽん、と頭に乗せられた手。髪を撫でられる感覚に心が満たされていくのを感じる。
まだ死ぬと決まった訳じゃない。鬼殺隊に入る時も、鬼と戦う時も、私は死ぬかもしれないという恐怖に怯えなかった。

でも今は善逸が側にいてくれる。私という人間を認めてくれる。
だから私はまだ、死ねない。

「…待って、ヒツメちゃん。」

私の後ろを歩く善逸が立ち止まる。その表情は険しい。一瞬遅れて、私の鼻が零令子の臭いを捉える。

「鬼の音がする。」

思わず顔を顰めてしまうほど一気に濃くなった鬼の臭いに、私は刀を抜き視線を巡らせた。
気配に気づいてその場から退くと、畳に鋭い爪のような痕が刻まれる。そしてその上に立つ零令子からはさっき斬った偽物とは比べ物にならないほど濃い鬼の臭いがした。

「あなた本体でしょ、出てきちゃって良かったの?」

私がわざと意地悪く言って見せても、零令子は肩を竦めて鼻で笑うだけだった。

「まぁ、柱じゃない鬼狩りなんていくら集まったところで怖くないしね。」

高い声で笑う零令子に苛々する。零令子は鱗滝さんに追われたことがある。鱗滝さんは、その時の零令子は逃げの一手で攻撃を一切してこなかったと話していた。
柱ほどの実力がある人とは戦わない、と徹底しているんだ。弱いものだけを狙う、卑怯で姑息な鬼。

「それより、お前はどんな親を私に食われたのか教えてよ。」

側で刀を手に立つ善逸が息を飲む。彼にはあえて話していなかったのに、まさかここで知られてしまうとは。

「お前が私の名前を知ってるのは、私がお前の親を食ったからでしょ。私はわざとそうしてるんだよ。」

「…わざと?」

胸の内から湧き上がる怒り。刀を握る手が震える。

「親を食って、子を生かす。そうすればいずれは子が私のところにやってくる。それを返り討ちにして食うのがとびきり美味しいんだよ。」

「お、まえ…!!」

畳を蹴り、飛び出す。こいつは生かしてはおけない。

「子どもってあんまり美味しくないし、今日みたいにお友達いっぱい連れて来てくれたらそれこそ有り難いしね。」

全てが零令子の思惑通りだった。かっ、と頭に血が昇る。

「お前の思い通りにはさせない!」

刀が零令子の着物を掠める。今日までが零令子の手の平の上だったとしても、そうはさせない。私達は返り討ちにはあわない。

「ヒツメちゃん!」

善逸が後ろで刀を振るう。私に迫る零令子の爪の攻撃を受け流してくれたらしい。周りを良く見ろ、怒りで倒せる相手じゃない。戦闘が長引けば長引くほど不利になるのは私達人間の方だ。

「大丈夫、善逸と二人でなら斬れる。」

私は一人じゃない。善逸と自分に、言い聞かせるように呟く。炭治郎と伊之助も私達の戦っている音を聞いて援護に来てくれるはずだ。

「柱じゃなきゃ無駄だって言ってるのに、人間って本当に頭が悪いな。」

「黙れ、お前は絶対に生かしておかない。」

汗ばむ手で柄を握り直して呼吸に集中する。鬼の臭いが濃くなる前に零令子を斬る。

『全集中 円の呼吸 壱ノ型 干将 旋風』

零令子の爪の攻撃を避けつつ間合いに入り、真っ直ぐに首を狙う。だけど十二鬼月が簡単に首を斬られるはずもなく、零令子は体を退け反らせて刀を避ける。代わりに斬らされたのは零令子の腕だった。
斬ったところから濃い煙が溢れ出てくる。羽織で鼻と口を覆い、視界が悪くなる前に目視で零令子の姿を捉える。
息が苦しく、一度咽せてしまえば終わりだ。水の中に居るような感覚に頭がくらくらとする。
…水の中?

「お前達は私が探してる鬼狩りじゃないようだし、もういいや、死ね。」

煙の中を零令子が走り、足元の煙が渦を巻く。この様子だとこっちじゃない、善逸の方へ向かっている。

呼吸に集中して、刀を握り直す。型を、呼吸を、変える。水の中にいるような感覚なら、それを応用すればいい。甘露寺さんとの鍛錬で自分のものに出来たはずだ。

風が逆巻くような音。円の呼吸とは違う、流れるような動きを頭の中に想像する。

『全集中 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮』

煙をなるべく吸わないように姿勢を低くして畳を蹴る。私の刀の形状では、炭治郎のように重い一撃は振れない。だから炭治郎とは違う型で零令子を斬るしかない。
足を二撃で斬りながら退き、既に零令子から距離を取っていた善逸の側で呼吸を整える。

「さっきから邪魔ばかりしやがって、人間の分際で図に乗るな…!」

空気が震える。濃い鬼の臭いに怯んでいる場合じゃない。なんとか隙を見つけて首を斬らなければ。

「焦らなくていい、炭治郎達が来るまで耐えよう。」

善逸の声に、私は零令子から目を逸らさずに頷く。煙の中に立つ零令子が突然表情を変えて笑った。

「あは、お前のこと思い出した。」

何度も何度も夢で聞いた零令子の嗤い声。

「その耳飾り、あの時の子どもだろう。」

刀を持つ手が汗ばむ。
どうしてそんなに楽しいのか。
なにがそんなに面白いのか。
くつくつと嗤う零令子に、私が抱く感情は怒りだけだった。

「柱の爺が邪魔しなければ、あの時死ねたのにね?」

先に耐えられなくなったのは私ではなく、善逸だった。空気が抜けるような呼吸音が聞こえて、善逸が強く足を踏み込んだ。

『全集中 雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 六連』

速い。単発で見た時も速すぎると思ったのに、それが六連も放たれて、目で追うのがやっとだった。善逸の姿を見て、自分を奮い立たせる。

「これ以上、ヒツメちゃんを傷つけないで。」

零令子も十二鬼月なだけあって、善逸の攻撃を真面に食らうことはない。私が一緒に斬らなきゃ。
覚悟を決めろ。私はこの為に生きてきたんだ。
善逸の攻撃で零令子の体からどんどん煙が溢れていく。煙が部屋を満たす前に首を斬りたい。

「斬れるなら斬ってみな、今度は斬れるといいね!!」

霹靂一閃の六連目が零令子の首を狙うが、避けられてしまう。間髪入れずに今度は私が零令子へと飛び込んだ。

『全集中 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮』

『血鬼術 霞煙霧』

一瞬で濃い煙に包まれて視界が悪く、方向感覚が狂う。零令子の位置が煙に紛れて分からなくなってしまったせいで、私の刀は空を掻く。

「俺様にはもうその煙は効かねぇぜ!」

伊之助の声がしたと同時に、がきん、と金属音が聞こえる。炭治郎と伊之助が援護に来てくれたんだ。尚且つ、伊之助が零令子の位置を教えてくれている。

「塵どもがいい加減に…!」

伊之助の刀を零令子が爪で受け止めている。今なら大丈夫だ、首を斬れる。間合いに飛び込もうとする私の前に炭治郎が現れる。

『ヒノカミ神楽 火車』

水の呼吸の水車と似た動きの一撃なのに、威力が比にならないほど高い。炭治郎が私の前に出たのは隙ができた首を狙ったものではなく、もう一本の腕の攻撃を遮る為だった。水車に似た動きの火車なら、残された私と善逸が連携を取りやすい。
零令子の二本の腕は伊之助と炭治郎が斬ってくれた。残るは首だ。

「殺す、お前ら全員殺して食ってやる!!」

このまま斬ってしまわないと、これ以上は息が持たない。
咽せる覚悟で息を吸うと零令子の臭いがまた濃くなった。

『血鬼術 修羅煙斬』

煙の中を刃が舞う。でも今ここで刀を振れば確実に首に届く。でも血鬼術で四肢が切り落とされるかもしれない。

「ヒツメ、斬れ!!」

炭治郎の言葉に背中を押される。斬れる瞬間は今しかない。濃い煙の中、私はもう一度深く息を吸った。

『全集中 水円の呼吸 水蛇の牙』

今の私が出来る、最速で出せる重い一撃。那田蜘蛛山と無限列車での任務の後、炭治郎は言っていた。十二鬼月の首は固いと。確かに一筋縄で斬れそうにない。
刀身が零令子の首にめり込む。大丈夫だ、斬れる。

「くっ、あああぁぁ!!」

骨が硬すぎて首が斬れない。これ以上はどうやっても限界だ。

「舐めんじゃ、ねぇぇ!」

私の刀に、刃こぼれした刀身が重なる。伊之助のもう一本の刀だ。骨に引っかかって動かなかった刀が、ゆっくりと水平に進む。

「人間風情が揃いも揃って…!!」

煙の中を飛ぶ刃が勢いを増して私達の体を切り裂く。もう息が持たないし腕に力が入らない。

「零令子、お前だけは絶対に…!」

食いしばった奥歯が軋む。この手を、刀を、絶対に離さない。視界の隅に、白い鋭利な刃が私目掛けて飛んでくるのが見えた。

「っ、善逸!」

不規則に煙の中を舞う刃を、善逸が斬り落としていく。あんなに激しい動きをすれば辛いはずだ。

「こっちは任せて、鬼に集中して…!」

善逸の掠れた呼吸音が聞こえる。まだ零令子の首には刃が半分しか通っていない。

「くそ、お前ら…!」

ヒノカミ神楽で遅いとはいえ、再生した腕が私に迫る。鋭い爪が、眼前に飛び込んでくる。
目の前に迫る死に、恐怖からか体が硬直する。

「っ…!」

細い腕が伸びてきて、零令子の爪の攻撃から私を庇った。直後、鈍い音がして二本の腕が吹っ飛ぶ。二本とも爪が鋭く伸びているから、鬼の腕で間違いない。一本は零令子で、もう一本は…。

「禰豆子ちゃん…?!」

私の側に立っていたのは禰豆子ちゃんだった。禰豆子ちゃんは口枷の下から唸るような声を上げる。吹っ飛ばされた腕から赤い炎が燃え盛り、呼吸が一気に楽になる。禰豆子ちゃんの血鬼術が煙を燃やしてくれたのだ。

後は零令子の首を斬るだけだ。私は帯刀していた脇差を取り出して零令子の首へ振るった。

「やめて、斬らないで…!」

懇願する零令子の首を三本の刀で押し切る。首は呆気なく乾いた畳の上に落ちたのだった。


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