長編【下弦は宵闇に嗤う】

□13.上弦の鬼
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善逸を殴り飛ばしたという蕨姫花魁。恐らく彼女が鬼で間違いない。姿こそ見ていないが鬼の臭いはしっかりと覚えた。後は「荻本屋」での鬼と照らし合わせるだけだ。

陽が沈んだ頃、化粧をそのままに私は隊服に身を包んで「京極屋」の旦那さんの部屋へと来ていた。

「旦那さん。」

「ヒツメ、お前…。」

部屋で一人静かに項垂れていた旦那さんは私の姿を見て大きく目を見開いた。それから私の握る刀の鞘を見ると安堵の匂いをさせながら自嘲気味に笑った。

「そうか、あんた鬼狩りか。」

「…騙していてごめんなさい。」

旦那さんは何も言わずに視線を自らの手の中へと戻す。握られていたのは女物の着物で、一部分には黒い滲みが出来ている。微かに乾いた血の臭いがして、私は思わず開こうとした口を噤んだ。

「…薄情だよな。あんたらがもう少し早く来てくれていれば、って思っちまったよ。」

旦那さんの着物を握る拳が震えている。残された人の気持ちは私が背負う。それが私の新しい生き方だ。

「私達をいくら責めても構いません、でも自分を責めることはしないでほしい。」

女将さんの言葉に耳を傾けていれば。
今更悔やんでも仕方のない事だと頭では理解しているのに、責めずにはいられないんだろう。

「…蕨姫花魁だ。」

旦那さんが呟く。旦那さんも蕨姫花魁を怪しいとは思っていたのだ。ただ、刀を扱えない、一般人にはどうすることも出来ない。私がそうだったように。

「善子と雛鶴さんの行方は分かりますか?」

「善子は知らない。雛鶴は病気で切見世に…。」

瞬間、私は懐から脇差を抜いて旦那さんへと向ける。がきん、という金属の音がしてクナイが畳へと落ちた。

「何の真似だ?」

「宇髄さん、この人に手荒なことはしないでください。」

旦那さんが小さく悲鳴を上げて後退る。宇髄さんは私をじっと睨むと、呆れた顔でため息をついた。
ただ宇髄さんは知らぬ存ぜぬの押し問答が面倒なだけで、傷つける気なんて最初から無いのは匂いで分かる。
例えそうだとしても、見過ごすことは出来ない。旦那さんが脅されていい理由にはならない。

「ほんとに甘いな、お前らは。」

「どうとでも。」

宇髄さんの落としたクナイを拾い、私は窓から瓦へと降りる。宇髄さんも私の後へと続く。後ろを振り返ると私達を見送る旦那さんが見えた。

「生きてください。」

他人を生かせるほどの力なんて持っていない。私に出来るのは、少しだけでも説得力のある言葉をかけることくらいだ。

「恋人が死んでるかもしれねぇのに、随分と余裕じゃねぇか。」

「宇髄さんもでしょう。」

この人のペースに巻き込まれたくないという意地もある。若い鬼殺隊がぬるい、と言われているのも知っている。だけど、私は鬼殺隊である前に、一人の人間だ。知人や恋人を失いたくない、悲しませたくないと思うのは当然のことだ。
短い間だったけど旦那さんにはお世話になった。だから宇髄さんに甘いとか言われようが、関係ないし手出しはさせない。

「私は、この目で善逸の死体を見るまでは意地でも信じないんで。」

色んな可能性に一喜一憂するのも疲れるから、と自分に言い聞かせる。本当はそんな可能性を信じたくないだけだけど。

「生意気で、頑固。お前を嫁にする奴は大変だな。」

「その言葉、そのまま返しますよ。」

私は足を止めて窓に手を掛ける。静かに蕨姫花魁の部屋を覗き込むが、中には誰もいなかった。

「人を狩りに出ているな。」

宇髄さんは険しい表情のまま、何か考えている。

「私はこのまま鬼の臭いを辿ります。宇髄さんは雛鶴さんのところへ…。」

このまま二人で切見世へ向かっても仕方ない。それに、今ならまだ部屋から続く鬼の臭いを辿れる。ここは二手に分かれた方がいい。
私が善逸の安否を心配している様に、宇髄さんだって嫁のことが気がかりなはずだ。

「俺に指図するとは良い度胸だな。…戻ったら覚えておけよ。」

少し不服そうに宇髄さんは言うと煙のように一瞬で姿を消した。私は残された蕨姫花魁の臭いを追いかけて瓦の上を走った。


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