長編【下弦は宵闇に嗤う】
□16.帰る場所
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懐かしい匂いに、私は目隠しをされたまま眠りから覚めた。硫黄と鉄の混ざった独特な匂い。刀鍛冶の里に帰ってきたのだ。
「丁度お目覚めですか、目隠しを外しますね。」
眠る前は霞さんにおぶわれていたが、目隠しを外されると全く別の隠に変わっていた。当然の事だけど、なんだか不思議な感じだ。私の後ろでは爆睡していたらしい善逸が隠に強めに叩かれて目を覚ましているところだった。
「善逸、こっち。」
「ヒツメちゃん、おはよー…って、何処ここ?!」
「何処って、刀鍛冶の里だよ。」
何を今更寝ぼけたことを言っているんだ。半ば無理やりに着いてきたことを忘れてるんじゃないだろうな。里の入り口で右往左往する恥ずかしい善逸を連れて里の中へと足を踏み入れる。先ずはおじいちゃんのところへ行かなくちゃ。いや、待て。こんな状態の善逸をおじいちゃんに会わせても大丈夫なんだろうか。
逡巡した挙句、私は結局そのままおじいちゃんの家へと向かった。
こんな状態の善逸を、なんて考えたところで意味がない。善逸はいつもこんな感じなんだから。
見慣れた懐かしい屋敷の中を奥へと進む。振り返ると善逸はきょろきょろしながらも私に着いて歩いてきていた。緊張しているのか、背筋が伸びていて姿勢が良い。今だけでなく、いつも堂々としててくれてもいいんだけど。
「おじいちゃん、ただいま。」
「うわっ?!」
「きゃあ?!」
襖を勢いよく開け放つと、中からおじいちゃんと女の人の声が聞こえた。私は襖に手をかけたまま、はぁ、とため息を漏らす。
「勝手に襖を開けるなと何回言えば…!」
「ヒツメちゃん、これは鉄珍様がね…!」
「また若い子に膝枕を…甘露寺さん?!」
おじいちゃんの側にいたのは恋柱の甘露寺さんだった。おじいちゃんが若い女の子に膝枕を強請るのは珍しくない。ただ、今回は甘露寺さんがここにいるとは思っていなかった。
「甘露寺さんごめんなさい、おじいちゃん、ほら座って。」
「なんや、なんか用事でもあるんか。」
あまりにも涼しい顔でそう言うものだから、私は一瞬里に帰ってきた理由を忘れかけた。おじいちゃんは普段、忙しいこともあって手紙に目を通す機会があまり無い。差出人が私であれば尚更読むのを後回していることだろう。まぁ、あまり期待はしていなかったし想定内だ。
おじいちゃんが座布団の上にちょこんと座り直したのを確認すると、私は襖の影に隠れていた善逸を部屋の中へと招き入れる。
「おじいちゃん、この人が…」
「我妻善逸です!結婚を前提にヒツメちゃんとお付き合いをさせていただいてます!!」
「……。」
早口で捲し立てるように自己紹介する善逸に、おじいちゃんと甘露寺さんは呆気に取られていた。善逸らしい挨拶だなぁ、なんて思うのはきっと私だけだろう。
「きゃー!君が噂の善逸君?!」
「噂…?」
「ちょ、ちょっと甘露寺さん!!」
甘露寺さんは顔を赤らめて善逸をじっと見つめる。これは色々と恥ずかしいことを言われてしまいそうだと思った私は思わず腰を上げて制止する。ゆっくりと善逸の方を振り返ると、彼はにやにやしながらこっちを見ていた。
「ほう、君がヒツメからの手紙によく出てくる善逸くんか。」
「私は別にそんなつもりで善逸のこと…!」
おじいちゃん、勝手に襖を開けられて膝枕を辞めさせられたことを根に持っているな。これ以上、ここに居ると良くないことになりそうだ。里に帰ってきたという報告と、なんだかんだで善逸の紹介も済んだ。
「善逸を温泉に案内してくる。」
「ヒツメは工房行っとき。…善逸君はここに残ってワシとお話や。」
「お、俺?!」
「ヒツメちゃん、行きましょ!」
「え、ちょっ…?!」
甘露寺さんが私の身体を引き摺るようにして部屋から連れ出す。突然のことに頭がついていかない。おじいちゃんと善逸を二人にして大丈夫なんだろうか。情けないところを見せなければいいんだけど。…って、もうどっちの心配をすればいいのか分からなくなってきた。
成るようになるだろうと思った私は甘露寺さんに連れられて屋敷を出たのだった。
鉄が焼ける独特の匂い。決して良い匂いとはいえないけど、私にとっては何よりも安心する匂いだ。
「お、久しぶりに見る顔だな!元気だったか?」
「鉄広さんこそ、お元気そうでなによりです。」
工房の前で甘露寺さんと別れ、中に入ると里の人達が数人、作業をしていた。懐かしい音と匂いに、自然と顔が綻ぶ。
「ここ、借りますね。」
小さな腰掛けを指差しながら、私は鉄広おじさんに断りを入れた。持ってきたのは雷の様な紋様が綺麗に浮き出た、善逸の刀。鞘走りの音と共にその刀身が煌めく。
親指の腹で刃先をなぞりながら、静かに深く息を吐き、集中する。
私は善逸の刀を研ぎ直しにかかったのだった。
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