長編【下弦は宵闇に嗤う】
□23.命を賭す
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これほどまでに長時間走り続けられたのは、この無限城に来る前の柱稽古のおかげだと思う。引き連れた鬼の数が十を越えようとしていた矢先、何処からか飛んできたクイナが私を呼んだ。白い羽根がところどころ赤い血が滲んでいる。クイナ達も無限城の中を奔走しているのだ。
「ヒツメ、鬼を撒いて!」
クイナが焦ったように言う。私は考えていた通り、稀血のついた羽織の袖を切り、走る速度を上げる。クイナは私の少し前を飛んでいるが、その飛び方は怪我のせいなのかフラフラと安定していない。
「クイナ、大丈夫?」
「私は大丈夫。それよりその稀血のことなんだけど…」
さっき愈史郎から貰った稀血のことだろうか。試薬段階だとか言っていた気はするが、詳しくは聞けないままだった。
「その血には損傷した細胞を活性化させる成分が入ってる。簡単に言えば、傷の治りが早くなる。」
傷の治りが早くなる薬なんて聞いたことがない。しのぶさんが調合したにしては蝶屋敷で使っているところも知らない。そもそもそんな薬があるのならどうして愈史郎は善逸に使わず私に預けたのか。
心臓がどくん、と大きく脈を打つ。
もしかしてこの血には…
「鬼の、血…?」
「…そう。鬼の血の成分が混じっている。」
人間を鬼にできるのは基本的に無惨だけだ。だからこれを使ったところで鬼になるわけでは無い。だとしても鬼の血を身体に取り込んで大丈夫だという保証はない。
「その血は鬼を人間に戻す薬を作る過程で出来たものなの。愈史郎が使っていた鬼気止めとは少し違う。」
説明しながら、クイナが案内してくれたのは開けた部屋だった。天井が高く、それを支える柱が幾つも伸びている。その一本の柱の下で倒れているのは時透さんだった。
「時透さん!!」
側に落ちている時透さんの日輪刀には真っ赤な血が付いている。私は前屈みになって呻く時透さんの身体を支えるようにして傷の具合を確かめようとした。すると時透さんの血だらけの手が伸びてきて、私を制した。
「僕はもう助からない。…だから少しでも役に立たなきゃ。」
立ち上がろうとする時透さんの膝が震えている。まともに立つ事もままならないというのに。でも時透さんのことだ、止めても鬼の元へと行ってしまうだろう。
「…稀血を使って。」
はっとして顔を上げるとクイナが真っ直ぐに私を見ていた。ついさっき、この稀血が危険な物だと説明してくれたのはクイナなのに。
「嫌だ、こんな危ない物を時透さんに使えない。」
「でもこのままじゃ…」
「ヒツメ、」
時透さんが掠れた声で私の名前を呼んだ。この声が、匂いが、消えてしまうなんて。想像するだけでも恐ろしい。
「僕はこのまま死ねない…皆の、役に立ちたいんだ。」
自分の死がすぐそこまで迫っているというのに、残された人達のことを考えられるなんて。果たして私のやっていることは本当に時透さんの為になるのだろうか。
私はただ、自分の所為で時透さんが死んでしまうのが怖いだけだ。
覚悟を決めた時透さんの命を無駄には出来ない。
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