短編
□あなたの一言だけで
1ページ/1ページ
〜
蟲柱でもあり、医師でもある胡蝶しのぶと向かい合うようにヒツメは座っていた。しのぶの細くて長い指がくるくると動くのをじっと見つめる。
「恐らく、痕が残るでしょうね。」
いつも笑顔のしのぶが珍しく、悲しい表情をする。ヒツメは幾重にも包帯が巻かれた右腕に視線を落とす。白く綺麗な包帯。側には先程までヒツメの腕に巻かれていた血の滲んだ赤い包帯が無造作に置かれていた。
「隊服で隠れますから大丈夫です、ありがとうございました。」
ヒツメは笑ってしのぶにそう言うと、部屋を出る。この怪我を負って蝶屋敷に来たときに、痕が残るかもしれない、と言われていた腕の傷。
鬼の爪の攻撃を食らってしまうと分かっていながら、首を斬りに飛び込んだ。あのタイミングしかない、と思ったのだ。
「ヒツメ。」
廊下に出た瞬間、申し訳なさそうな声色がヒツメを呼び止めた。
「あ、炭治郎。どうしたの?」
まさか部屋の外に炭治郎が居るとは思わなかった。直ぐにいつもの表情と冷静さを取り繕う。
「腕、大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、まだ1週間くらいは善逸のイビキに付き合わされそう。」
はは、と残念そうにヒツメは笑う。だが炭治郎は笑わずにヒツメをじっと見つめている。
「違うんだ、聞いたのは治り具合じゃなくて…」
「大丈夫だから、気にしないで。」
「でも、」
「部屋、戻るね。」
炭治郎が何を言おうとしているのかなんて、呼び止められた時に分かった。一緒に任務にあたった炭治郎が怪我の具合を気にするのは仕方がないことだと思う。だけど、炭治郎が気にしているのはきっとそれじゃない。ヒツメは廊下を歩きながら溜息を吐く。
(鬼殺隊に入るときに、覚悟を決めたはずなのに。)
鬼と人間が戦うなんて、怪我どころか死ぬ可能性だってある。そんなことは覚悟して入隊した。鬼と対峙したときに、怪我が怖くて怯んでなどいられない。
ヒツメは、あてがわれたベッドへ腰掛ける。部屋に複数あるベッドはいくつか使われている様子だが昼間の所為か、今はヒツメ以外に誰も居ない。
(流石に、この傷痕は嫌われる。)
鬼殺隊の服は特殊で、破れたり燃えたりしにくくなっている。あくまでも破れたりしにくくなっているだけで、鬼の鋭い爪で引き裂かれることだって有り得たのだ。
「なんで好きになっちゃったんだろ…。」
鬼殺隊に入隊してから何度か任務を共にした、竈門炭治郎という男。ヒツメは彼に惹かれていってしまった。鬼殺隊に入隊する、ということはお互いいつ死んでしまうか分からないということ。そんな状況で、恋仲になろうとは、ヒツメは到底思えなかった。
「もしもーし、こんにちは。」
耳元で声がしてヒツメは勢いよく顔を上げる。先ほど手当てをしてもらった、しのぶがいつの間にか横に腰掛けていた。
「すみません、気づかずに…!」
「いえいえ、お気になさらず。」
しのぶは、にこにこといつもの笑顔でヒツメに笑いかけた。部屋にはヒツメしかいないが、傷なら先ほど見せたはずだ。
「どうしましたか?」
「…ふふ、炭治郎君が、心配してましたよ。」
「そうですか。炭治郎だって、無傷じゃないのに…。」
「その心配じゃないですよ。」
あ、とヒツメは先ほどの炭治郎とのやりとりを思い出す。炭治郎だと、無理やりはぐらかす事は出来る。むしろ蝶屋敷に来てから3日ほど経つが、はぐらかしてきた。だが今隣に居るのは炭治郎ではなく、傷の具合を自分よりもよく分かっている人物なのだ。
「痕が残る、なんて女の子だったら嫌ですものね。」
「顔じゃなかっただけ、良かったって思ってますよ。」
胡蝶しのぶは、回りくどい言い方などしない。あるとすれば、自分の意思が伴わないとき、だろう。例えば、
「炭治郎が何か言ったんですか?」
炭治郎が、とりつく島がないヒツメの事をしのぶに相談した、とか。
でないと、しのぶがここへ来た理由が全く分からない。
「炭治郎君は自分のせいで、ヒツメさんが怪我をした、と言ってましたよ。」
「え?」
「炭治郎君の話を、聞いてあげてくださいね。」
しのぶが念を押すように強く言うと腰を上げる。どういう訳か分からず、ヒツメはしのぶを見上げていると、部屋の入り口に誰かの気配を感じた。
「あ…。」
炭治郎が部屋へ入ってきて、ヒツメの横に腰掛ける。ヒツメは炭治郎を避けていたのもあって、かける言葉が見当たらない。
「ヒツメ、俺とお付き合いをしてくれないか。」
「……はい?!」
いきなり何を言い出すかと思えば。善逸でもあるまいし。
「炭治郎君、それではダメですよ。順を追ってお話しないと。」
部屋を出て行こうとしていたしのぶが、思わず足を止めた。しのぶの少し怒っているような声色に、思わず炭治郎は背筋を伸ばして座り直す。
「あの時、まさかヒツメが飛び込むだなんて思ってなかったんだ。もう少し早く気づいていれば、俺は鬼の腕を斬れた。そうすれば、ヒツメが怪我をすることも無かった。」
「別に炭治郎のせいじゃない。私が勝手に斬りにいっただけだよ。」
「…そうだとしても、俺はあのとき、」
炭治郎は言葉を詰まらせる。ヒツメは炭治郎の言葉の続きを静かに待つ。
「ヒツメを失うかもしれない、と思った。」
ヒツメは鬼の首を斬ったときの事を思い出す。日輪刀が鬼の首に食い込み、力強く振り抜いた。弧を描くように鬼の首は跳ね、ヒツメは受け身を取ろうと身構えた。炭治郎が自分の名前を呼んだと同時に右腕に鋭い痛みが走って、受け身を取れずに地面に叩きつけられて気を失った。
「大袈裟だよ。」
炭治郎はヒツメの手を取って両手で包むように握る。
「だから失ってしまう前に、伝えておかなくちゃいけないんだ。俺はヒツメが好きだ、って。」
ヒツメは炭治郎の言葉に瞳を開いたまま、ぽろぽろと涙を流す。鬼殺隊員として、お互いがいつ死ぬかも分からないこんな状況で幸せになってもいい、なんて。
「わ、たしも…炭治郎が好き。」
ヒツメはしゃくりをあげながら炭治郎の手を握り返す。炭治郎の手が、そっと右腕の包帯に添えられる。
「ヒツメを失わずに済んで良かった。」
痕が残るだとか、鬼殺隊員だから幸せになれないだとか、考えていたのに炭治郎の一言だけで、こんなにも簡単に嬉しくなってしまう。
「…この傷、多分炭治郎が思ってるよりも汚いよ。」
「ヒツメを失う事に比べたら、こっちの方がいいよ。」
炭治郎は微笑みながらヒツメの右腕を摩る。その手に、ヒツメは自分の両手をそっと重ねる。
「でも無理は駄目だ。その事に関しては話し合う必要があるな。」
「うっ…。」
ヒツメは、ぐっと言葉を詰まらせて苦い顔をする。その後、炭治郎から絶対に無理はしないように、とヒツメは強く念を押されたのだった。