短編

□諦めたいなんて微塵も思ってない
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ふう、とトイレで息を吐く。嫌な話を聞いてしまった。1人でメイクを軽く直して、唇にルージュを乗せる。怪しまれないように、早く戻ろう。

「ヒツメ、こっちこっち。」

炭治郎が手を振って、隣の席を指差してくる。嬉しい気持ちを抑えて、平然を装って炭治郎の隣へ座る。私を喜ばせることばかりしてくる彼は、私の幼なじみ。私は彼をずっと好きなのだ。けれど彼はそんな風に私を見てはいない。それは少し離れたところに座っている男が嫌というほど教えてくれる。

「ヒツメ、楽しくないのか?」

炭治郎が私の顔を覗き込むように、見つめてくる。同じ大学内で合コンなんて。人数合わせといえど、参加するんじゃなかった。とは言えないから、そんなことないよ、と返す。

「ここに来てるってことは、彼氏が欲しいということなんだろう?」

真面目で真っ直ぐな彼は、合コンに来る人は恋愛する相手を探しているのだと本気で思っているのだろう。人数合わせ、なんて負けてるみたいで、なんだか嫌だ。

「そういう炭治郎もじゃないの?」

否定も肯定もせず、聞いてみる。そういう炭治郎もここに居るということは、つまりそういうことなんだろうとは思うけど。

「まぁ、そんなところだな。」

「炭治郎は、好きな人いないの?」

「居たら、ここには来てないよ。」

眩しいほどの笑顔。かっこいい、なんて思ってしまう。なのに、痛いくらい胸に突き刺さる言葉。少し期待していた。私と同じように、人数合わせだったとか。

「そっか、そうだよね。」

自分がとても惨めに感じる。人数合わせだとしても、炭治郎と一緒に居れるなら、なんて期待してた。彼を好きになってしまった自分を殴ってやりたい。

「善逸、お前飲み過ぎじゃないか?」

「大丈夫だよぉ、ちゃんとヒツメは俺が送るから!」

店の前で、各々が散り散りに帰っていく。炭治郎が善逸に声をかけるが、見たところ善逸も大分飲んでいるようだった。

「いつもすまないな。ヒツメ、もし善逸に襲われそうになったら連絡してくれ。」

「俺は無理やりそんなことしないし!」

「分かった。炭治郎も気をつけてね。」

炭治郎は大学に入ってから、一人暮らしを始めていて、帰る方向が全く逆になってしまった。だから飲み会などの帰りは、もう1人の幼なじみに送ってもらうことが当たり前になっていた。

「ねぇ、ヒツメ。」

「…なに?」

「炭治郎のこと諦めないの?」

駅から家までの道の途中で、善逸に言われた一言。胸が痛くなる台詞。彼は、私が炭治郎のことを好きということを知っている。言った覚えもないのだが、幼なじみ故に分かってしまったのだろうか。

「うるさいなぁ、私だって思ってるよ。」

善逸は、ふうん、とつまらなさそうに息を吐く。

「炭治郎はヒツメを幼なじみとしか思ってないよ?」

「だから、何回も言わないでってば。分かってるよ。」

「ヒツメが喜ぶ理由を分かってないよ、あいつ。」

「喜ぶ理由、ってなに?」

「炭治郎がヒツメに優しくするのは、ヒツメが喜ぶから、だよ。」

ああ、そういうこと。つまり、私は炭治郎に優しくされたら嬉しくなる。嬉しくなるから、炭治郎は優しくなるし、気にかけてくれる、と。そんなの、炭治郎の事が好きなのだから嬉しくなるし喜ぶに決まってる。

「なにそれ、辛すぎじゃない?」

「ほんとだよねぇ。ヒツメ可哀想。」

他人事だと思って、こいつは。お酒が入ると、触れて欲しくない事ばかり言うから嫌なんだ、なんて思っていた。

「炭治郎のこと諦めさせてあげよっか?」

先程とは少し違う質問。いや、質問ではないのかもしれない。私の気持ちを知っていて、こんな事を聞くなんて。諦められるものなら、諦めたい。それが容易に出来ないから困っているというのに。

「そんなこと、」

「うっ…!」

善逸が突然、口を抑えてしゃがみ込む。ずっと酒臭いな、何杯飲んだんだろうとか思っていたけど。まさか、吐きそうになるくらい飲んでるなんて。

「ちょっと、大丈夫なの?」

「ううー…気持ち悪い…。」

送るから!なんて言っといて、どっちが送られてるんだ。善逸の家は私の家を過ぎたところにある。仕方がないので、私の家へ寄ろう。善逸は幼なじみだし、何度も家には遊びに来たこともあるから大丈夫だろう。

「水入れてくるから。」

「ごめんよぉ、ありがとうねぇ…。」

とりあえず善逸をベットへ座らせて、水をグラスへ入れて持っていく。座らせたはずなのに、ベットへ寝転んでいる。

「ねぇ、外着のまま寝転ばない、で…っ?!」

グラスをテーブルに置き、善逸の身体を起こそうとした途端、手を引っ張られて視界がぐるりと回った。掛け布団の空気が耳元で音を立てて抜ける。

「俺だからって無防備すぎじゃない?」

「、なにしてんのっ…!」

「炭治郎のこと諦めたいんでしょ?」

「いや、だからって…!」

押し倒された時に両手を押さえられてしまっていて、抵抗できない。普段と違う善逸に、胸が熱くなる。真っ直ぐ見つめられて、思わず目を逸らしてしまう。

「俺ずっとヒツメのこと好きなの。」

「ちょっとふざけないでってば…!」

「じゃあ明日も言ってあげようか?なんなら毎日言ってもいいけど?」

にやりといつもの笑顔でそう言われる。ぐっと、何も言えなくなる私に、善逸は続けた。

「ヒツメがずっと炭治郎を好きなように、俺もヒツメがずっと好きなの。まぁ、俺は諦めたいなんて微塵も思ってないけど。」

私が炭治郎の好きなのを知っていて、善逸は私を諦めないなんて。炭治郎には好きな相手がいないのだから私の方がずっと成就しやすいはずだ。
だけど私は諦めようとしている。報われないなら、諦めたい、と思うのだ。

「諦めたいなら、俺を好きになればいいよ。」

甘い言葉で囁かれる。こんなの、甘えたくなってしまう。善逸は、身体を起こすとテーブルの上に置いたグラスを手に取る。

「そんなの、ずるいじゃん…。」

「いいじゃん、別に。俺はヒツメを振り向かせたいんだから。」

善逸はグラスをゆっくり煽り、テーブルへ置くと玄関へ歩いていく。ベットから立ち上がって、後を追う。

「あと、俺と炭治郎以外を家にあげないほうがいいよ。本当に危ないから。」

「危ないって、襲った人が言う台詞なの?」

「俺は特別なの。だってヒツメの彼氏になる予定の男だし?」

う、と何も言えなくなる。善逸はいつも通りの口調で言った。顔は赤いが、たしかにいつもの善逸だ。

「それとも、俺に無理やり襲われたって炭治郎に言う?」

くすくすと彼は意地悪く笑う。この男は私が炭治郎に言わない事を分かっているのだ。私が甘い言葉にいずれなびいてしまうと、確信している。

「随分と自信あるみたいじゃない。」

「まぁね。俺は誰かさんにみたいに諦めたいなんて微塵も思ってないからね。」

さっきと同じ事をまた言われた。わざと心に突き刺さる台詞を簡単に吐く。押し黙るしかないなんて、なんと惨めなことだろう。

「覚悟してね。」

善逸は勝ち誇った顔で帰っていく。まだ負けてもいないのに、悔しいなんて。
絶対思い通りになってなんかやらない。


 

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