短編
□君の為なら俺は
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〜
大学に通い、一人暮らしを始めて数ヶ月が経つ。家を出る前から、家事を手伝っていたから一人暮らしで困ることはほとんど無かった。生活面においては。
大学の課題をしようと分厚いテキストをパラパラとめくる音に重なって、家のチャイムが鳴った。
「ヒツメちゃーん!居るの分かってるよー!」
玄関の方から無駄に明るい声が聞こえる。ドアの郵便の受け口を指で開いて喋っているに違いない。
まぁ、いつものことだ。
「ヒツメは居ません。」
「居なかったら返事しないでしょ!」
玄関を開けると、派手な金髪の幼馴染みがそこに立っていた。にひひ、と笑みを浮かべる彼は我妻善逸。私の幼馴染みで、最近の悩みの種でもある。
「コーヒー買ってきたんだぁ!甘いやつ!」
善逸は嬉々としてガサガサと袋からコーヒーを取り出して私に渡してくる。透明なパッケージの中には白に近い色の液体が見える。
「まぁ、貰うけどさ。」
「甘いの好きだねぇ。なんでそんなに痩せてるのか不思議。」
善逸は私の脇腹をシャツの上からさらりと撫でる。すぐに、こそばゆい。と言って払い除けたら残念そうな表情をして肩を落とした。
「俺のこと嫌い?」
「普通。」
「それが一番嫌だよぉ!」
泣きながらお腹に抱きついてくる。なんでこんなに善逸は情けないんだろう。おまけにこのやりとりを誰とでもしている。善逸の中では挨拶の様に当たり前になっているのだ。
「私、出掛けるから退いてってば!」
「えー!どこ行くの!俺も着いていくー!」
「実家。着いてくる?」
「…き、急用を思い出したから帰る!!」
善逸は慌てて私から離れるとそそくさと帰っていった。
善逸にもらったコーヒーを冷蔵庫に入れて、家を出る。
向かうのは実家ではなくて、駅から近いところにあるカフェだ。家で課題をしようとすると、善逸が邪魔してくるから集中できないからだ。
あと、もう一つの理由は…。
「ホットのホワイトモカ、トールサイズで。」
緊張して声が震えそうだった。本当はショーケースの中にある宇治抹茶シフォンケーキも欲しかったけど、緊張しすぎて言えなかった。レジを挟んで向こう側にいる店員さん。名札には『竈門』と書かれている。注文を復唱して、会計をするだけの一瞬のやりとり。それでもいつも緊張してしまう。
「甘いもの好きなんですね。」
硬貨を探しながら、顔を上げると竈門さんの緋い瞳と目が合う。どきっ、として思わず視線を逸らしてしまった。
「好きです。」
なんだか告白してるみたいだ。
私の一言だけの返答に彼が困ってしまうんじゃないかと焦る。
でも緊張しすぎて何も言い出せなかった。
「俺も甘いもの好きなんですよ。」
彼の声が頭の中でふわふわと漂う。お釣りを受け取ると、もう一度目が合った。竈門さんはお釣りを渡してくれる時はいつも笑顔なんだけど、今日は少し寂しそうだった。
せっかく話しかけてくれたのに、私が素っ気なく返してしまったからだ。自分のやってしまったことを後悔してしまう。
私が竈門さんを意識するようになったのは、彼がこの店に働き出した時だった。
私は彼と出会うまで、ずっとアイスのホワイトモカを注文していたのだけど、ある日いつものように注文して出てきたのはホットのホワイトモカだった。その時会計をしてくれたのが竈門さんだった。謝る竈門さんに大丈夫ですよ、と言ったのが初めて交わした会話だった。
でもそのお陰で、ホットのホワイトモカが好きになったのだ。今では逆に感謝したいくらいなのに。
ホワイトモカを受け取り、いつも座っている窓際の二人がけの席へと座る。竈門さんに会いたいというのもあったけど、善逸に邪魔されず落ち着いて大学の課題が出来る、というのがそもそもの理由だ。
しばらく課題に集中していて、気がつくと数時間経っていた。店内が混んでくれば帰るのだけど、今日は空いているようだった。欠伸の代わりに深呼吸をして、椅子に座り直す。
「あの、」
頭上から声が降ってきて、顔を上げる。私服だったから一瞬誰だか分からなかった。すぐに竈門さんだと気付いて、慌てて姿勢を正す。
「ど、どうしたんですか。」
「ここ座ってもいいですか?」
手にはこの店のロゴがプリントされた小さめの紙袋と、アイスとホットの飲み物が二つ。竈門さんは向かいの椅子を飲み物を持った指で差していた。
「どうぞ…。」
「じゃあ、お邪魔しますね。」
両手の飲み物をテーブルに置き、かたん、と椅子を引いて座る。
何この状況…!
「これ、どっちもアイスのホワイトモカです。」
「え、そんなの悪いですよ。」
「でも俺同じ味を二つも飲めませんよ。」
押し売りのようだったけど、確かに持ってきたものは仕方ない。私の飲んでいたホットのホワイトモカももう残り少なくなっていた。
「じゃあ、代金を…」
「要らないですよ、俺が勝手にやったことですから。」
「でも悪いですよ、」
「…じゃあ少しお話してくれたらそれでいいです。」
財布を出そうとした手を止めて、竈門さんを見る。真剣な瞳で私をじっと見つめてくる。
「俺、竈門炭治郎っていいます。お姉さんの名前が知りたいです。」
「天草ヒツメです。」
下の名前、炭治郎っていうんだ。かっこいい名前だなぁ。炭治郎くんはテーブルの上の、私の課題をちらり、と見やった。
「心理学ですか?」
「そうです。」
炭治郎くんは何故か、うん、と頷いて笑った。
「この近くの大学の1年生ですね。」
「…えっ?!」
「心理学、得意なんです。」
それは心理学とかいう問題じゃないんだけど。まぁでもここで勉強してたら、誰でもこの近くの大学って分かるよね。
「俺も一年なんだ。」
「あ、じゃあ同じ年になるのかな。」
「そうだな、よろしく。」
先ほどから炭治郎のペースに飲まれている気がする。話をするのが上手くて、こうやって話すのは初めてなのにストレスを感じない。別の意味でまだ緊張はしているけど、大分解れてきているのが自分でも分かる。
「聞きたいことがあるんだが、いいだろうか。」
アイスのホワイトモカを一口飲む。久しぶりに飲んだけど、やっぱり甘くて美味しい。
「あの時のこと、まだ怒ってる?」
「なに、あの時のことって。」
「俺がオーダーを間違えたときのこと。」
再びストローを咥えようとした手が止まる。オーダーを間違えた時といえば、初めて会話した日のことだ。
「いや、そんな事で怒らないよ。」
「でもあれからずっとホットを飲んでるから。」
「飲んでみたらホットも美味しいって思っただけだよ。」
これは本当のことだ。冷たいホワイトモカを手に持ちながら、横にあるさっき空になってしまったカップを見やる。
「ヒツメがそれを飲んでいると嬉しい。」
自然に名前を呼ばれて驚く。敬語じゃないんだから、それもそうか。
「どうして?」
「さぁ、どうしてだろうな?…心理学で分かるんじゃないか?」
悪戯な笑みを浮かべながら炭治郎は先ほど手に持っていた紙袋をこちらへ手渡してきた。不思議に思いながら炭治郎を見つめる。
「物欲しそうに見てただろう。」
「え、ちょっと待って…!」
炭治郎は飲み物を片手に立ち上がる。慌てて再び財布を出そうとする私の視界に、携帯の画面が映る。
携帯には有名なメッセージアプリのIDの画面が表示されていた。
「友達になってくれたら代金はいらないけど、どうする?」
こうして私のメッセージアプリに、炭治郎が追加されたのだった。
〜
「ねぇ、なんでそんなに嬉しそうなの?」
「え?何が?」
そう言って善逸の方に顔を向ける。確かに嬉しいことはあったけど、それを別に表に出していないつもりだった。
炭治郎とメッセージアプリで友達になったまでは良かった。だけどやり取りをしたのは初日だけで、それからは何も連絡をしていなかった。
「まぁ、気にしないで。それより私、出掛けるから。」
私の部屋のソファで寝転んでいた善逸は、何か考えているようだった。てっきりこの前の様に泣きつきながら『俺も行く!』なんて言うものだと思っていた。
「善逸?」
「…俺も行く!」
結局着いてくるつもりらしい。私が嬉しそうにしているとバレているのだから今更、『実家だよ』なんて言っても『嘘でしょ』と返されるのが目に見えている。善逸は私の考えていることや嘘を見抜いてくる。善逸曰く、『聞こえる』らしい。それがどういうことなのかは分からないけど、下手な嘘はつけないということだ。
「この前着いてこなかったじゃん。」
「だってこの前より嬉しそうなんだもん。」
善逸は、へらり、と笑った。実家に行く、という嘘は私が着いてきて欲しくない時に使う善逸と私の中での決まり文句のようなものだった。
駅の近くのカフェが見えてきて、なんだかドキドキしてしまう。家からここまでの間に、善逸に根掘り葉掘り聞かれた。今日はヤケにしつこく聞いてくるな。
「ヒツメちゃんにつく悪い虫は俺が排除しなきゃ!」
「別にそうと決まった訳じゃないよ。」
「何言ってんの。第三者から見れば、気があるって丸わかりだよ。」
私はとにかく、炭治郎が私に気があるなんて信じられない。店内への扉を開けると、冷たい風が肌を撫でて、コーヒーの良い香りが鼻腔を擽った。レジから伸びるお客さんの最後尾へと善逸と並ぶ。レジを打つ炭治郎の姿が見えて、どきっとしてしまう。
「ねぇ、どの人?」
「声大きいってば!…今レジ打ちしてる男の人。」
やっぱり連れてくるんじゃなかった。はぁ、と深いため息を吐きながら、押し黙る善逸を見る。
「どうしたの?」
「あ、うん…。」
はは、とぎこちない笑いを零す。なんなんだ一体。そうしているうちに列がどんどん進み、炭治郎のいるレジへと進む。
「ヒツメ、来てくれたんだな。…と、あれ?」
善逸が私の後ろに隠れるようにして立っている。
「善逸、何してんの。注文しないと。」
「俺、ヒツメちゃんと同じでいい…。」
「…?じゃあアイスのホワイトモカを2つ。」
注文しながら振り返ると、まるで人見知りする子どもみたいに善逸は気まずそうに小さくなっていた。不思議に思いながらも、会計を済ませる。
「また後で。」
炭治郎はお釣りを手渡しながら、笑顔でそう言った。今一瞬、なにか不満そうな顔が見えた気がしたけど…?
「それで、何でそんなに消沈してるの。」
窓際の二人掛けの席に座った私はいつものように課題を広げて睨めっこしていた。向かいに座る善逸は元気がなくてテーブルへ突っ伏していた。
「絶対怒ってる、怖かったもん。」
「なにも怒ってないよ?」
「違うよ、ヒツメちゃんじゃなくて。」
私じゃなければ誰なんだ。結局、善逸が気になって課題に集中出来ない。諦めてテキストを閉じると、ふと人の気配を感じた。
「誰が怒ってるって?」
笑顔を浮かべながら、そう言ったのは炭治郎だった。その声に善逸は勢いよく頭を上げる。
「勘違いだよぉ、俺とヒツメちゃんは怪しい関係じゃないんだよぉ!」
「俺は別に何も言ってないぞ。」
「え、どういうこと…?」
落ち着いて思考を巡らせる。確かに私は炭治郎の事を善逸に話した。その時、善逸は何も言わなかった。いや、そもそも二人は初対面だと思っていたから私は炭治郎の名前を善逸に言ってなかったんだ。
「善逸は俺と同じ大学の友達だ。」
「え、えぇ?!」
自分でも驚くほど大きな声が口から出た。じゃあ、私と同じ大学…?!でも大学で見かけたことなんて…!
「ヒツメとは授業が被らないからな。知らないのも当然だと思うぞ。」
「じゃあ、炭治郎は私と同じ大学だって知ってたの?!」
「ああ。」
元から私の事知ってたなんて。一体いつ見られていたんだろう。炭治郎は空いている他のテーブルの椅子を持ってきて座った。
「炭治郎ってば『ヒツメちゃんが普段よく居るところを教えて』なんて言うから、ここ教えたんだ。バイトしてるなら言ってくれたら来なかったのに。」
「っ、善逸!」
炭治郎がすごく慌てて善逸を制した。私がよく居る場所を教えてほしいって、どういうこと?
「え…っと…?」
「この前、ヒツメがそれを飲んでいると嬉しいって言ったよな?」
炭治郎は深呼吸すると妙に真剣な顔で見つめてくる。少し前に彼が言っている、嬉しいということに対して私はどうして、と聞いたんだ。
「言ってた。結局分からなかったけど。」
「まぁ、そうだろうな。」
どうして私が分からなかったというのを炭治郎は知っているのか。これも心理学なの?そんな便利なものじゃないぞ、心理学は。
「好きだ。」
「……は、?」
真剣な表情のまま、一言だけそう言った。
「ヒツメのことがずっと好きだった。」
一瞬、間を空けてから頭の中で炭治郎の言葉を反芻する。理解した途端、恥ずかしくなって私は炭治郎から目を逸らした。
「だからずっとそれ飲んでくれてるの、嬉しいんだ。」
「そ、そういうことだったの…。」
全然気づかなかった。むしろ私の方が意識しているものだとばかり思っていた。
「良かったら俺と付き合ってくれないか?」
炭治郎の言葉に、私は顔を赤くしながら頷くしかなかった。
→少し前の善逸と炭治郎