短編

□君が見る世界
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いつからか、その女性はよく店に来るようになった。窓際にある二人掛けのテーブルで見かけるその人は一人で来てモスコミュールをオーダーするのが決まりだった。このバーでバイトを初めて半年ほど経つが、彼女は毎日のように同じ時間に来て閉店時間に帰っていく。店長曰く俺がバイトに来る前からたまに見かける女性とのことだった。
いつも窓の外を眺めながら閉店時間まで誰かを待っているようだった。

「寒くないですか?」

オーダー以外のやり取りをしたのが、こんな一言だった。
他のテーブルから店内の空調を下げてほしい、と頼まれて、店長に了承を得て空調を下げ、俺は真っ先に窓際のテーブルへと向かった。
わざわざ彼女に最初にこうして声を掛けたのは、やっと話せるきっかけが出来た、と思ったからだ。

「お気遣いありがとう、私は大丈夫ですよ。」

グロスで僅かに艶めいた唇が弧を描く。隙間から覗く白い歯がひどく妖艶で俺は思わず息を飲んだ。細くて白い、陶器のような指が空調を下げてほしい、と頼んできたテーブルへと伸びる。

「でも私じゃなくて、あちらの方に言わないと。」

悪戯そうにくすくすと笑う彼女はどこか嬉しそうで、一瞬見惚れてしまったがすぐに我に帰る。彼女の指差す方をちらり、と見ると店長がテーブルの脇に立っていて、どうやら空調を下げたことにお礼を言われているようだった。

「あなたは店によく来てくださるから。」

「もしかして、認識してくれてた?」

窓の外を眺める寂しそうな一面以外を見れたことに嬉しくなっている自分が居る。

「同じ時間に同じオーダーで同じテーブル。認識しない方が変ですよ。」

「…そうね。」

女性の表情が一瞬だけ曇った気がした。俺は何か言おうと口を開いたが、結局何も言葉が出なかった。

その日から窓際を眺めている彼女とは少し話す間柄になった。名札には下の名前しか書いていなかったから、俺は自然と炭治郎くん、と呼ばれるようになっていた。

「ヒツメさんはモスコミュール以外、飲まないんですか?」

俺が知っているヒツメさんの情報はとても少ない。名前と飲み物、そしてずっと誰かを待っているということ。

ヒツメさんのことを、もっと知りたい。

俺の質問に答えてはくれるけど、それはいつも俺の求めている答えじゃなかった。
欲しいのはもっと具体的な答えだ。
だけどいつも質問に対する回答だけだったのに、今日は違った。

「そんなことないよ。…迎えが来るまで、ね。」

迎えが来るまで、と言われて俺は驚いた。

「ヒツメさんが待ってる側だと思ってました。」

「それも間違ってないけどね。」

よく分からない。ヒツメさんの考えていることが知りたい。なのに深い溝が俺とヒツメさんの間にあるみたいだ。

だけどバイトに行く度に少しずつ知れることが嬉しかった。そんな日々がずっと続くと信じて疑わなかった。このまま話していれば、いつか俺の求めるような答えを返してくれるようになるのかも、と思った。

「ジントニック。」

「…え?」

モスコミュール以外のオーダー言われて俺は心底驚くと同時に嬉しくなった。ヒツメさんの好みを一つ知れただけでこんなに嬉しくなるなんて。

透明なグラスの上にレモンが添えてあるジントニックをヒツメさんのテーブルに運ぶ。
モスコミュールからジントニックに変わっただけ。ただ、それだけなのに嬉しい。
俺がヒツメさんを好きになるまで、そう時間はかからなかった。

「ありがとう。」

俺が渡したお釣りを受け取りながらヒツメさんはそう言った。なんのお礼だろう、と一瞬思った。俺は何もしていない、と思う。きっと俺は不思議な顔をしていたんだろう、ヒツメさんは気にしないで、と悪戯に笑うと店を出て行った。

次の日、ヒツメさんは店に来なかった。店長曰く、たまに店に来ない日は元からあったのだそうだ。むしろ俺がバイトを始めてから毎日来るようになった、ということらしい。
明日になったら会えるだろうか。
ヒツメさんだって予定があるだろうし、一日くらい店に来ない日だってあっても普通だ。
なのに、嫌な胸騒ぎがして落ち着かなかった。



翌日、店に来たヒツメさんを見て、俺はとても安心した。嬉しいという感情を表に出さないようにしながらオーダーを取りに窓際の席へと向かう。
今日はモスコミュールだろうか?なんて考えていた俺の足が止まる。

彼女は静かに泣いていた。

「ここには、もう来ない。」

ヒツメさんはそう言うと店を出て行った。扉の向こうに消えていくヒツメさんの背中を追いかけるようにして俺も店を出る。

俺は鼻が利く。人の感情を嗅ぎ分けることが出来るほどに。だから彼女が待つことに疲れているのも気づいてた。だから迎えが来るまで、と言った時、胸の内を吐露したことに嬉しく思いつつも安心した。でもそれは違った。

「待って、待ってください…!」

華奢な背中に叫ぶ。聞こえているはずなのに、止まってくれなくて、俺は後ろからヒツメさんの腕を掴んだ。

振り向いたヒツメさんは泣いていて、俺は怯む。

「もう、疲れた。」

どう声をかけたらいいのか。彼女がどうして泣いているのか、見当もつかない。

「誰も来ない、来るはずない。」

声を荒げるヒツメさんの瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れる。

「だってもう、死んじゃった。」

ヒツメさんの言葉が痛いくらい、胸にささる。窓の外を眺めて、来るはずのない誰かをずっと待っていた。時折携帯を見て、通知が来ていないか確認しては虚しくなって。

「迎えが来るまで、って…、」

「…待つのは疲れたから、私も…」

「っ、…それは駄目だ!」

ヒツメさんが何を言っているのか、やっと理解した。彼女は迎えが来るまで、と言っていたがそれは違う。追いかけようとしているんだ。
ヒツメさんからしてみれば、俺はよく行く店の店員でしかない。でも、それでも、放ってはおけない。

「死ぬなんて、怖くて出来なかったよ…。」

涙で濡れた瞳が俺を見つめる。もしかして、昨日店に来なかったのは、そういう理由だったのか?
俺はヒツメさんの変化に気づいていたのに、自分のことばかり考えて。

「頼むからもうそんなことしないでくれ…お願いだ…!」

なんて言えばヒツメさんに俺の気持ちが伝わる?どうすればいいか、考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになる。

「炭治郎くんには、関係ない。」

「…っは、?」

ぐるぐると巡らせていた思考がぴたりと止まる。
関係ない?

「私がどうしようが、炭治郎くんには…!」

「それ、本気で言っているのか?」

ふつふつと自分の中に、怒りがこみ上げてくる。確かに関係ない、と言われればそうだ。だけど、俺にとっては大いに関係ある話だ。

「それは…っ、」

「俺に嘘は通用しない、思ってもないことを言うんじゃない。」

俺の低い声に、ヒツメさんはびくっと肩を震わせる。怖がらせるつもりはなかったけど、仕方ない。彼女だって本当は助けて欲しいって思ってるのに、どうしてそんな事を言うんだ。

「どうして、私に構うの?」

絞り出した言葉は、俺に対する疑問だった。

「俺がヒツメを好きだからだ。」

正直に言うことで、ヒツメが俺を頼ってくれるなら、助けを求めてくれるなら、幾らでも言ってやる。
ヒツメの瞳が一際大きく開いて固まる。

「好きだから、ヒツメの力になりたい。関係ないなんて悲しいこと言わないでくれ。」

俺の言うことを理解したのか、途端に顔を赤らめて慌てる。

「悩んでるなら俺を頼ったらいい。」

「本当に、いいの…?」

いいよ、と言いながら頷いてみせるとヒツメは、安心したように笑った。


 

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