短編

□1日彼女
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私には幼馴染みがいる。男とは思えないほど情けなくて、私がいなくちゃ今頃は事故にでも遭って、この世に居ないかもしれないと本気で思う。まぁ、鬼だとか化け物だとかが居ない平和な時代に生まれたことが救いだ。

「すいません、抹茶のパフェを一つ追加で。」

側を通りかかった店員さんに声を掛ける。一瞬驚いた顔をされたけど気にしない。
私はホットコーヒーを一口飲んでから向かいに座る幼馴染みに目線を戻す。

「で、善逸。お願いってなに?」

「その事なんだけど…。」

いつもの彼なら、人の金だからって遠慮なく注文しやがって!くらい言うだろう。だけど今日の善逸は妙にしおらしい。

「明日だけ、俺の彼女になってくれない…?」

「っ、…いきなり何の話?!」

心臓が一気にばくばくと早くなる。そんなに突然激しく動いて大丈夫なのか、私の心臓。

「頼むよ、俺このままじゃ嘘つきになっちゃうよぉ!」

いや、そもそも嘘をつかなければいい話なんだけど。どうせ、大学で知り合った友人に見栄を張って彼女が居るんだとか言ってしまったとかそんな感じだろう。
今更、時間を巻き戻せないし、頼み事をされるのも日常茶飯事だ。ただ、今回は正直私も嬉しいと思うところもある。
私はこの情けない幼馴染みを好いているからだ。

「分かった。それで、どうしたらいいの?」

「ほ、本当にいいの?!」

「散々注文しといて断るのも悪いし。」

「ヒツメちゃんは女神様だぁ…!」

テーブルに涙と鼻水の池を作りながら善逸は喜んでいる。
どうしてこんな醜態を晒すような人を好きになってしまったんだろうと自分に溜息を吐く。

「明日、駅前の居酒屋に17時に集合なの!ちゃんと迎えに行くから!!」

「いや、迎えに行くって言っても隣じゃん…。」

「いいから!明日は彼氏なんだからそれくらいさせて!!」

水を得た魚のように生き生きとしている善逸。私は嬉しいという感情を出来るだけ表に出さないように努めることに精一杯だった。



「嘘でしょ、スカートじゃん…!!」

善逸は私の家の前で大袈裟に、目を両手で隠す。指の隙間から蜂蜜色の目が覗いていて、思わず笑ってしまう。

「見えてる見えてる。」

「うそ、見てたのバレてた?!」

「善逸の瞳の色、珍しすぎるから分かるよ。」

彼が私のスカートに驚いたのは無理もないと思う。私は普段、スキニーしか履かない。スカートに足を通すのは制服以来だ。私のスカート姿に良い意味で驚いてくれているようで嬉しい。

「なんでスカートなの?!もしかして乗り気?!」

「善逸が好きな女の子は可愛らしい子でしょ。だからスカートを選んだだけ。」

善逸は私の言葉に、ぽかんと口を開けていた。間抜けな顔をしているなぁ、なんて思いながら眼前で手をひらひらと振ってみる。

「俺、確かにそう言ってるけどさ…。」

「…違うの?」

善逸が忘れても私は忘れない。高校の夏、同じクラスの友人何人かと出掛けた時に善逸が言っていたのだ。
スカートが似合う女の子が好きだ、と。私はその頃には既にパンツしか履かなくなっていたし、それを聞いてスカートを履ける神経の持ち主でもない。それに気付いたのか、慌ててヒツメは別だから!なんて言われたことまで覚えている。
だから私がスカートを履かないのは一つの意地でもあるのだ。

「違わないけど、違うんだよなぁ。」

「…?」

この珍妙なたんぽぽは今、自分で何を言ってるのか分かっているんだろうか。
ふと、腕時計に目をやると16時30分を切っている。ここから駅まではそう遠くはないけど、初対面の人に会うのにギリギリに着くのも気が引ける。

「はやく行こ。」

私は善逸の側を通りぬけて歩き出す。
居酒屋で出会った善逸の友人は気さくで話しやすい人だった。

「ヒツメは善逸のどんなところを好きになったんだ?」

時折答えにくい質問をしてくるけど、悪気はないのだと思う。隣に座る善逸はあまり喋らないしで、空気的に私は質問に答えるしかなかった。

「頼もしいところ…かな。」

「っ、ぶ!」

「おい!炭治郎、何笑ってんだ!」

すかさず横から野次が飛ぶ。まぁ、普段の善逸を見ていれば正反対のことを言ったのだから笑われるのも頷ける。こんな時は適当に優しいところが好きだとでも言っておくのが妥当だろう。ただ、向かいに座る炭治郎くんが偶に目を細める時があって、それが何か見透かされているように感じるのだ。

「いや、善逸がヒツメを好きになる理由が分かるなぁと思っただけだ。」

「余計なこと言うなってば!そしてしれっとヒツメを呼び捨てにすんな!」

ごめんごめん、と言いながら炭治郎くんは嬉しそうに笑う。私は善逸と大学は離れてしまったから寂しく思っていた。それと同時に私がいなくても大丈夫なのかという不安もあった。善逸が子どもじゃないことは分かっているけど、ずっと一緒に居たからそう思ってしまっていた。だけど、それは杞憂だったらしい。

「ヒツメ、こいつ天然の人たらしだから靡かないでね。」

人たらし、と言われても炭治郎くんは表情を変えない。この様子だときっと普段から散々言われているんだろう。

「俺トイレ行ってくるから!ヒツメに手出したら、いくら炭治郎でも許さないからな!!」

「俺がそんなことするような奴に見えるか?」

含んだような笑いに善逸は、むっとしながらも席を立って通路の方へと出て行く。二人にされて気まずいかも、と思ったけど炭治郎くんが気を使ってくれたのか、口を開いた。

「それで、いつから好きなんだ?」

店に来るまでに善逸と打ち合わせをしておいた内容を思い出す。

「私と善逸は幼馴染みで、大学に入る前に…」

「…違うな、質問を変えようか。」

炭治郎くんは少しだけ残っていたビールを煽り、テーブルの上に静かに置く。飲み物を飲む、ただそれだけの動作。なのに妙な色気を放っているのだ。これが善逸の言う、天然の人たらしということか。

いや、それよりも。

「どうして善逸に告白しないんだ?」

炭治郎は目を細めて清々しい笑顔でそう言った。何故だか分からないけど、やっぱり嘘を見抜かれている。これ以上嘘を貫き通すのも時間の無駄だし、そもそもこの嘘は炭治郎を騙すための嘘なのだ。バレてしまったなら続ける意味もないだろう。

「…振られたようなものだから。」

「振られたようなもの?」

目の前に座る炭治郎は先ほどよりも楽しそうだ。
…ちょっと悪魔に見えてきた。

「可愛らしい女の子が好きだって言ってたから。」

「スカートが似合う女の子、とか?」

「…まぁ、そういうこと。」

もしかして騙されてるのは私の方なんじゃないかと疑いたくなる程に、的確に言い当ててくる。
なんだか尋問されているような感覚に、私は自然と善逸に助けを求め始めていた。

「善逸は大学でも同じことを言っているからな。そのせいか、善逸に話しかける女の子は可愛らしい子が多いんだ。」

善逸は大学でも同じことを言っているんだ、知らなかった。
って、そうじゃなくて。その後の言葉に心がもやもやしてしまう。

「…そう、善逸って大学で人気者なんだね。」

やっと言えたのがこんな台詞とは本当に情け無い。今にでも泣いてしまいそうだけど、初対面の人の前でそんなこと出来ない。はぁ、と溜息を吐きながら汗のかいたグラスを掴む。

「…ヒツメ。」

心臓が大きく跳ねる。グラスを掴んだ私の手の上に、炭治郎が手を重ねてきたのだ。突然のことに驚いて声が出なかった。固まる私に、炭治郎が身を乗り出して耳元で小さく言った。

「いつか善逸を取られてしまうぞ。」

善逸を取られてしまう。
一番側にいて、告白する機会なんて何度も逃してきて、それでも諦められなくて。
なのに大学で知り合った人に突然取られてしまう。
私は何を安心していたんだろう。確かに善逸は情け無いし煩い。だけど女の子の為なら身を挺してでも守ろうとしてくれる男らしさもある。
私はそれに惹かれてしまったのだ。
私以外の人が惹かれない確証なんてどこにもないんだ。

「っ…それは嫌!」

「ちょっと、ヒツメに意地悪しないでくれる?」

トイレから帰ってきた善逸は見るからに不機嫌そうだった。私の手の上に炭治郎の手が重なっているのを見て、善逸は更に眉間に皺を寄せた。

「なんで手なんか握ってるの?手出さないでって言ったじゃん。」

「爪が綺麗だなと思って見せてもらってたんだ。そうだよな?」

どうすればいいのか分からず、私は炭治郎に話を合わせるように頷いた。善逸はそれでも表情を変えない。

「もう帰る。」

「え、ちょっと善逸!」

「ああ、また明日。」

善逸が私の手を強く引いて店を出る。炭治郎は善逸の突然の行動に驚きもせず、あっさりと笑顔で見送ってくれた。
お会計も終わってないのに、と慌てる私を無視して善逸は歩いて行く。

「ちょっと待ってってば…!」

「やだ、待たない。」

私は転けないようについて行くしか無かった。お互いの家の近くの公園に入り、ベンチに座らせられる。夜の公園はなんだか見慣れなくて少し怖い。

「ねぇ、今日は俺の彼女なんだから我儘聞いてくれるよね?」

「…それはもう終わったんじゃ、」

握られた手に力が込められる。善逸は本気なんだ。でもどうしてそんな事を言い出すんだろう。

「善逸、イライラしてる?」

「…誰のせいだと思ってんの。」

何故かは分からないけど、私のせい…らしい。いや、炭治郎に怒っているという可能性もある。幼馴染みを取られたみたいな寂しさを感じたのかもしれない。

「…今めちゃくちゃ抱き締めたい。」

善逸の口から飛び出した言葉が信じられなくて、私は咄嗟に離れようとした。でもそれよりも早く、善逸に腕を引かれてしまった。
ぽすん、と善逸の胸の中に私の体が収まる。

「え、ちょっ…?!」

「お願い、少しだけでいいから…。」

私はこの善逸のお願いに弱い。捨てられた子犬のように、縋るように頼まれたら断れないのだ。それを分かっていて善逸はそうするんだからたちが悪い。

「…炭治郎になんて言われたの?」

「え、っと…いつから付き合い始めたとかそういう…」

「それじゃなくて、最後。」

最後…といえば、耳打ちされた言葉だろうか。

いつか善逸を取られてしまうぞ。

善逸に言えるわけがない。そんなの善逸に好きだと告白するようなものだ。いや、それでいいのかもしれない。いつか言わないと本当に取られてしまう。

「言わないと、俺何するか分かんないよ?」

「な、何を馬鹿なこと言ってんの…!」

「俺は本気だよ、早く言わないと今度はキスするから。」

訳が分からない。どうしてこんなに意地悪なことばかり言うんだ。酔ってしまうほど、お酒も飲んで無かったように思う。だからそんなこと言われたら、余計に期待してしまう。

「言う、言うから待って!」

頬に両手を添えられて上を向かされる。善逸の金色の瞳が私を見つめている。壊れてしまうんじゃないかと思うほど、激しく心臓が鳴っている。もうこの際どうとでもなれ!

「善逸を…取られてしまうぞ、って…。」

私の人生で初めての告白。いつもの善逸よりも今の自分がの方がよっぽど情けないと思う。
善逸からの応答がなくて、私は瞑った目をゆっくりと開ける。

「ぜん…っ?!」

唇に柔らかい何かが押し当てられる。善逸の前髪が私の額を擽る。そして何よりも、息が出来ない。抱き締められている状態だから逃げる事も出来ない。

「ごめん、嬉しすぎて…!」

そんな嬉しそうにごめん、と言われても困る。とりあえず、私は言う事を聞いたのだ。今度は善逸の番だ。

「ちょっと、どういうことか教えてよ!」

「…じゃあ本当の彼女になってくれる?」

一瞬、信じられなかった。可愛い女の子を彼女にしたい、と豪語していた善逸が。
嬉しすぎて、言葉が出て来ない。やっとのことで頷いて見せると、私を抱き締めている力が強くなった。首元に頭を埋めてぐりぐりと振られて、私は擽ったさに笑ってしまった。

「確かに可愛いらしい女の子が好きって言ってるけどさぁ、」

善逸はわざとらしく咳払いをしてみせる。首を埋めたまま。流石にそれはちょっとやめて欲しい気もする。

「その後いつも、ヒツメちゃんだけは別だけど、って言ってるでしょ。」

気づいてないの?と言いたげな声色。確かに善逸はいつも、ヒツメちゃんは別だけど、と言う。だけどあれが実は本音だったなんて思ってもみなかった。
だってそうだとしたら、ずっと私の事を好いていたということになるのだ。

「何回言っても信じてくれないからめちゃくちゃ悩んだんだよ?」

「そんなついでみたいな告白、信じるわけないでしょ!」

「何言ってんの、一回目の告白を笑い飛ばしたのはヒツメちゃんの方だよ!!」

一番近い距離にいたはずなのに、同じ気持ちだったなんて気づかなかった。
お互い、思っていたことを勢いに任せて言い合うと、なんだかすっきりした気がする。

「結果的にヒツメちゃんと付き合えたから炭治郎には感謝しないとな。…手を握った事は許さないけど。」

善逸は私に身体を預けながら、ふん、と拗ねたように鼻を鳴らした。

「炭治郎は別にそういう意味で手を握ってきたんじゃないと思うよ。」

「そういう意味じゃなかったとしても!俺は嫌だったの!!」

善逸はいつもと変わらない情けない顔をして言った。

後に炭治郎と仲良くなった私は、彼には嘘をついても意味がないこと、善逸を焚き付けるために居酒屋で、わざと私の手を握ったことを知るのだった。


 

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