短編
□レンタル彼女
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「こんにちは、今日はよろしくお願いしますね。」
お決まりの挨拶と共に、にっこりと笑顔を作ってみせる。初対面だし、後から面倒なことになるのも嫌だ。
なのに、相手は少し不満げな表情をしたから私は内心驚いた。
「よろしく、俺のことは炭治郎でいい。敬語も必要ない。」
「……分かった、よろしく。」
赫の混じった髪がふわり、と揺れる。掻き上げた前髪から覗く額の痣が気にならないくらい、整った顔。炭治郎という名前は珍しいけど、私にとっては珍しいものでもない。
ただ、初恋の相手が炭治郎という名前だっただけ。
どうしてこんな人がわざわざレンタル彼女なんて使うんだろう。まぁ、理由は人それぞれだし、私にとっては関係ないけど。
「行きたいところは?」
「ないよ、レンタルなんだから炭治郎の好きにしていいよ。」
少し前を歩く炭治郎がちらり、と私の方を見る。あ、また不満そうな顔をしてる。訳が分からない。普通はもっと楽しそうだったり、嬉しそうだったりするのに、どうしてこの人はずっと不貞腐れているんだろう。
「…レンタルとか商品とか、言わないで欲しいな。」
「あ、ごめんね。」
なるほど、私の言葉が気が削ぐわなかったらしい。彼女という設定自体に腹立たしいということか。それならレンタル彼女なんて使わなければいいのに。
この辺りでは少し有名な、パスタとピザのお店で食事を済ませ、ショッピングモールで買い物に付き合う。極普通のデートを今日会ったばかりの人とするのは楽しいんだろうか。
私は幾らデートしたってそんな風には思えない。
ただ、今日は少しだけ楽しいと思えた。確かに今日の相手は顔も整っているし気配りも出来る。私を彼女として隣を歩かせてくれているのが不思議なくらいだ。
だけど楽しいと思える理由はそれだけじゃない。
「甘いもの、好きだろう?」
休憩で立ち入ったカフェで、炭治郎はコーヒーの他にパフェを注文してくれた。総じて女の子は甘いものが好きなものだと思っているんだろうか。
…確かに私は甘いものが好きだけど。
「楽しくないのか?」
どきっ、と心臓が跳ねる。心の中では赤の他人とのデートなんて楽しくないと思っている。でもそれを表に出さないようにすることにも慣れていた。今日だってそうだ。行ったことのあるお店に喜んで見せたり、買い物だって真剣に似合うものを選ぶフリをしたり。
…カフェで食べたパフェは本当に美味しかったけど。
今までに、楽しくなさそうなんて一度でも言われたことはなかった。
「どうして?」
「…そういう匂いがする。」
驚く私をじっと見つめる炭治郎に、記憶が蘇る。匂いがする、と言われたのは初めてじゃない。
きっと石鹸や香水の匂いのことを言ってるんじゃない。この人の言う匂い、とはそれじゃないと分かってしまった。
「…君はどうしてこんなことをしているんだ。」
「こんなことって?」
「俺が何を言いたいか、分からないのか?」
通りかかった公園のベンチに座るように促される。頭が急速に冷えていくような感覚がする。
まさかこの人は…
「もしかして、炭治郎…?」
「分かったなら、答えてくれ。どうしてこんなことをしている?」
小学校の時に好きだった人。炭治郎という名前は偶然じゃなかったんだ。私の知る炭治郎は額に傷なんて無かったし、髪だってこんなに赫くはなかった。でももしそうだとしたら、この状況は非常にまずい。
「お金、欲しかっただけだよ。」
「何の為に?」
「……。」
炭治郎にはバレたくない。でも嘘はつけない。ついても意味がないことは分かっている。
でもレンタル彼女でお金を稼いでいるのがバレてしまった今、隠したって何の意味もないか。
「…お父さんが借金しちゃってね、」
「っ…ちょっと待ってくれ。」
素直に全てを曝け出そうと口を開くと、炭治郎が思わぬ反応をした。ずっと不満そうな表情をしていたのに、今は何故か泣きそうな顔をしている。
「その、ごめん。」
「どうして炭治郎が謝るの?」
訳が分からない。両手で顔を覆いながら項垂れている炭治郎が深い息を吐く。まさか、借金なんて単語が飛び出してくるとは想像していなかったんだろう。
「勘違いしていたんだ、君が少し…嬉しそうにしていたから。」
嬉しそうと言われて、内心恥ずかしく思ってしまった。確かに、初恋の相手を私はずっと忘れられなかったし、今日は特に炭治郎を初恋の人に重ねて見ていたところもあった。実際、本人だったというのは今分かった話だし。
「それは炭治郎だからだよ。」
今更取り繕ってももう遅い。レンタル彼女でお金を稼いでいたのは事実だし、炭治郎のことがずっと頭から離れないのも事実だ。それに、もう会うことは無いと思っていた相手にこんな形だったとしても再会出来たのだ。
今しかチャンスがないんなら、もう言うしかない。
「炭治郎のことがずっと忘れられなかった。今日だって、炭治郎とデートしてるんだって勝手に重ねて見てしまって…。」
気持ち悪いだろうな。炭治郎からしてみれば、久しぶりに会った友人が、いきなり自分のことを忘れられなかったと言い出すんだから。挙句、レンタル彼女なんてサービスをしてお金を稼いでいたなんて、真面目な彼からしてみれば気持ち悪いの一言に尽きるだろう。
「実は俺が今日ここにいるのは偶然じゃないんだ。」
「え?」
「君がこんな事をしているのを見てられなかった。だから…止めようと思ったんだ。」
見てられなかった、ということは、もしかして見られていたってこと…?!いつから、どこで、なんて疑問が頭の中をぐるぐると巡る。
「そこで提案なんだが…、」
炭治郎の行動が読めない。付き合ってほしいとは言わなかったけど、私は炭治郎に告白したのだ。なのにこの流れは一体どういうこと…?
「君さえ良かったら、俺の店で働かないか?」
「俺の店…って、あの?!」
炭治郎の実家は、この辺りでは美味しいと評判のパン屋さんだ。そんなお店に私が…?!っていうか、炭治郎と一緒に働けるなんて。
「君を助けたいと思ってただけだったんだが…どうやらそうはいかないかもな。」
「どういうこと?」
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ。」
少し顔を赤くしながら炭治郎は笑う。私は不思議に思いながらも、明日からの毎日に思いを馳せるのだった。