短編
□苦手なもの
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「ほんと頼りないなぁ、善逸は。」
「いや、だってしょうがなくない?!俺死んじゃうところだったよ?!」
はぁ、と分かりやすく溜息を吐きながら、ヒツメちゃんは笑う。俺のことをいつも助けてくれて、優しくて、可愛くて。こんなの好きにならないわけがない。今まで人を好きになったことは何度もあるけど、ヒツメちゃんに抱く感情はもっと強くて、壊したくないものだった。
守ってあげたい、って本気で思うくらいに。
実際は助けられてばっかりなんだけど…。
「善逸は鬼の気を引いてくれてたんだよね、優しいなぁ。」
「ま、まぁね!」
ヒツメちゃんは俺にとって、非の打ちどころがない女の子だった。今まで好きになった女の子の中で一番好きなのに、一番それを口に出来ない。告白することってこんなにも勇気が要ることだったっけ、なんて思ってしまう。
「…雨の匂いがする。」
眉を顰めて曇った空を見つめるヒツメちゃん。炭治郎と同じく鼻が利くヒツメちゃんだから、もうすぐ雨が降ることも分かるんだろう。
ヒツメちゃんは異様に雨を嫌う。屋敷の中に居れば濡れることもないのに、雨が降るってだけでもこの表情だ。
だけど今は任務を終えたばかりで、屋敷もまだ遠いから怪訝な顔をするのは当然といえば当然か。
「ごめん、私急ぐね。」
「待って、俺も一緒に走るから!」
そう言って走り出すヒツメちゃんはめちゃくちゃ速かった。
鬼と対峙してる時くらいの本気の走りに、俺は驚きながらも着いて行く。
距離が離れることはないけど、それにしたってそんな焦らなくても良くない?濡れるのがそんなに嫌なのかな。
「ごめん、やっぱり私、適当に雨宿りしてから帰ることにする。」
いきなり足を止め、神妙な面持ちでヒツメちゃんはそう言った。いや、普通そこまでする?何か別の理由があるんじゃないか?そんな真剣な顔しちゃって。
「じゃあ俺もヒツメちゃんと一緒に居る。」
ヒツメちゃんの音が変わった。ずっと焦っている音がしていたんだけど、今特にそれが大きく聞こえた。何か隠してることがあるんだろうな。
まぁ、俺はどんなヒツメちゃんでも嫌いにならない自信はあるけど。
「駄目、お願いだから。」
「なんでそんなに強く拒否すんの!傷つくよぉ?!」
次第に狼狽るヒツメちゃんがなんだか可愛くて、俺は益々引き下がることをしなかった。ヒツメちゃんが本気で嫌がってたら俺も、分かった、って言ったんだろうけど。
ヒツメちゃんが少し嬉しそうだったから。
「…分かった。そのかわり、付き合ってもらうから。」
俺はこの後その意味を、身をもって知ることになる。
「ちょ、ちょっと待って、すごく待って欲しい!」
一緒に居るって言ったけど、まさかこんなことになるなんて誰も思わないでしょ!!
雨を凌そうなほどの大きな木。その根元に俺とヒツメちゃんは居た。
胡座をかいた俺の足の間にヒツメちゃんの体がある。隊服を脱いだ意外と華奢な体が身動ぐだけで当たる位置にある。俺の胸の前には石鹸の香りがまだ残るヒツメちゃんのさらさらとした髪。
俺の両手は行き場をなくして空を掻くしかなかった。
「ねぇ、俺だって健全な男の子じゃないの!いくらなんでもさぁ!!」
「お願い、じっとしてて。」
俺の理性は擦り切れる寸前。なんか色々とやばい。信用されてるのか、男として見られてないのか。なんでもいいけど、ヒツメちゃんを裏切るような事はしたくない。
「…ヒツメちゃん?」
ふと見下ろすと、ヒツメちゃんの体が震えていることに気づいた。寒いということは無いと思う。雨が降り始めて少し湿気が高いにも関わらず、今は暑い。俺のことが嫌すぎる…こともないか。あったらそもそもこんな状況にはならないだろうし。いや、こんな状況を作ったのは俺か。
って、そんなことよりも。
「なんで震えて…」
「…ひぃっ…!」
びくっと体を強張らせて俺の服を掴む。
ちょっと待って、俺は炭治郎とは違うんだよ!
自分の気持ちに正直に生きてるから、我慢なんてものとは程遠いんだよ!むしろ一番遠いまである。
両手で握り拳を作って必死に耐える。
「こ、わい…!!」
掠れた声。え、まさか泣いてる?
あのヒツメちゃんが?
「ど、どうしたの?!俺、気持ち悪い?!」
「私、駄目なの…その、」
ぱっ、と辺りが一瞬明るくなる。少し遅れて灰色の空が低く鳴く。
「もしかして雷、苦手なの?!」
何も言わずに頭をこくこくと縦に振るヒツメちゃんに俺は焦りと同時に嬉しくもあった。
いつも俺の先をいく、非の打ち所がない彼女にこんな弱点があるなんて。
って、そんなことを言ってる場合じゃない。
「ごめん、情けないよね、こんな子どもみたいなこと…!」
「そんなことないよ、人間なんだから一つや二つ怖いものくらいあるよ。」
「でも雷くらいで…」
俺の隊服をきつく握り締めながら、ヒツメちゃんは息を詰める。俺は行き場を失った両腕を、そっとヒツメちゃんの背中に回す。拒否されたら全力で謝ろうと身構えたけど、意外にもそんなことは無かった。むしろ安心したかのように強張っていた体から力が抜けるのを感じた。
「…雷止んだら俺すぐに離れるから、安心して。」
「ありが…と……。」
小さな子どもが親に縋るように、身体を縮こまらせながらヒツメちゃんは目を閉じた。すぐに規則正しい呼吸が聞こえてきて、眠ったのだと分かった。
人を頼れないヒツメちゃんは、今まで雷が鳴るたびに一人で震えていたんだろうか。そんな姿を想像してしまうと益々放っておけない。
空はまだごろごろと音を立てているが、雨や雷の気配はしない。でもせっかく眠ったんだからヒツメちゃんが自然に目を覚ますまでは起こさないでおこう。
「…いつ、」
誰かが俺の名前を呼んでいる、気がする。ふわふわとした意識から浮上して俺は目蓋を開いた。
目下には丸い瞳が不思議そうに俺を見つめていて、一瞬、時が止まったかと思った。
「あ、起きた?」
「待っ、俺…なん…?!」
驚きすぎて声が出ない。いや、色んな言葉が一気に出てこようとして、結果一つも出てこないと言う方が正しい。座ったまま、項垂れる様にして寝ていた俺の体は思うように動かない。
どうして俺はヒツメちゃんを膝枕していたんだろう。
「ごめん、なんか私寝ちゃってたみたいで…。」
申し訳なさそうに笑うヒツメちゃんを見て、可愛いなぁ、なんて思いながら徐々に記憶が戻ってくる。そうだ、雷だ。
「あ、もう晴れたん…、っ?!」
喋っている途中の俺の口を、ヒツメちゃんが慌てたように手で塞ぐ。
「早く帰ろう!」
ね?と首を傾げるヒツメちゃんは相変わらず可愛くて。俺は塞がれた手を払うこともせずに無言で焦ったように頷いた。
「…二人だけの秘密にしといてね。」
ヒツメちゃんは顔を赤らめながら恥ずかしそうにそう言った。
ヒツメちゃんと俺の、二人だけの秘密。
俺はその言葉を頭の中で何度も反芻したのだった。