短編
□君に伝えたかった言葉
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講義が終わり、静かだった教室が一気に騒がしくなる。はぁ、と溜息を吐きながら参考書に挟まっていたボールペンをペンケースへと放り込む。
「ヒツメ!」
ペンケースのチャックを閉め、顔を上げると大学で知り合った友人が嬉しそうにこちらを見ていた。彼女は私の服装を上から下まで品定めするように眺めてから、よし、と小さく頷いた。
「いつもかわいいけど、今日は特別かわいい!」
満面の笑みで言ってみせる彼女は、至って真面目で本気だ。私からすれば、この子の方がよっぽどかわいいと思うのだけれど。
「あっち、人数増えたんだって。」
「そっか。」
「興味無さすぎる!折角の合コンなのに!」
ぷう、と拗ねたように頬を膨らませたかと思えば、ぱっ、と表情が明るくなる。
「良い人が来るといいね!」
「…うん。色々とありがとうね。」
私の為にセッティングしてくれた合コンを無碍にはできない。私自身、変わりたいという気持ちもある。
私と友人は駅前にある個室居酒屋へと向かった。時間は少し早めだが、問題無いだろう。今日は過去の事は忘れて新しい人との出会いを大事にしよう。
そう思っていたのに。
「すいません、遅れてしまって…!」
「なぁ、俺やっぱり…」
聞き覚えのある声に、心臓が痛いくらいに跳ねた。個室の入り口に見えたのは、高校時代の友人、炭治郎だった。そしてその後ろには元彼の善逸が立っていたのだ。
一瞬にして、頭の中が真っ白になった。二人は私の目の前に座ることになり、いやでも視界に入ってしまう。
「俺は竈門炭治郎です。こっちは急遽参加することになった善逸だ。」
「我妻善逸です…よろしく。」
人数が増えたって聞いたけど、まさか善逸が来るなんて思ってもみなかった。
私から別れを切り出したのに、未だに忘れることができない人。会わなければ諦めきれると思っていたのに、彼への想いは消えることは無かった。それを見兼ねた友人が開いてくれた合コンだというのに、まさかここで再会してしまうだなんて。
「あれ、我妻…ってヒツメの忘れられない元彼の名前…」
「飲み物!飲み物頼もうよ!!全員揃ったことだしさ!!」
友人が私にこそっと聞いてきたが、私はそれを大きな声で遮った。もちろん、友人に悪気はない。目の前にいる二人には聞こえないように配慮してくれたからだ。でもそんなことをしても意味が無いのだ。特に善逸に対しては。
「ヒツメちゃん達もビールにする?」
手前に座っていた男性が率先して全員の飲み物を聞いてくれた。こうなればアルコールでも飲んで気を紛らわせるしかない。普段飲まないビールを始め、カクテルも注文した。
「ヒツメ、大丈夫?」
「うん。でもちょっとお手洗い行ってくる。」
座っている時は気づかなかったが、立がって少し歩けば足元がおぼつかないほどには酔っていたらしい。壁に手をつきながら、店の外へ出る。外の空気が吸いたい、だなんて正直に言えば優しい友人が放っておかないだろう。
「私ってほんと最低…。」
あんなに忘れたくて仕方がなかった善逸が目の前にいる。話したい、だなんて烏滸がましいのに、頭の中はそれでいっぱいだった。私から別れを切り出しておいて、今更そんなこと言えない。お酒のせいか、いつもより悲しくなってきて深い溜息を吐く。
「あれー?こんなとこでどうしたの?」
やばい。まさか誰か追いかけて来るなんて思ってなかった。でも炭治郎と善逸ではなかったことは幸いだ。私の隣に腰を下ろして、私の顔を覗き込むのは少し離れたところに座っていた男性だった。
「ヒツメちゃんってあんまり男慣れしてないよね。」
突然話しかけてきたかと思えば、そんなことか。私が付き合ったことがあるのは後にも先にも善逸だけだし、男友達も少ない方だ。合コンだって片手で数えるほどしか来たことがない。
「そういうところ見てて可愛いなーって思ってたんだ。…ねぇねぇ、この後二人で抜けない?」
私を見る目が、気持ち悪い。こんな事を軽々しく言ってくる人が本当に居るんだな。新しい出会いを求めてこの場に来たけど、やっぱり乗り気にはなれない。
「ごめんなさい、この後用事があって。」
「あれ、もしかしてもう誰かと約束してるの?」
「いや、そういう訳じゃ…」
男は変わらずしつこく話しかけてくる。普通は一度断られたら引き下がると思うけど。このままでは埒があかない。みんなの所へ戻ろうと立ち上がると、突然男に腕を掴まれた。
「なんで俺が断られないとダメなんだよ、有り得ないだろ。」
「離して下さい…!」
この人は誘いを断れたことに対して意地になってただけだ。私を見てくれてなんかいない。無理矢理掴まれた腕を振り解こうとしたときだった。
「離せよ、嫌がってるだろ。」
「なんだよ我妻、お前もヒツメちゃん狙いかよ。」
少し高い位置にある金髪が揺れる。善逸だ。店の中で皆と楽しそうに話していたはずなのに。
「いいから早く離せよ。」
「かっこいいところ見せようって魂胆か?そんなことしてもお前がヘタレってことに変わりねぇぞ。」
普段の善逸を知っているからか、男は怯まない。ただ、私の頭の中は善逸を馬鹿にされた怒りでいっぱいだった。
私は男の腕を力づくで振り解いて睨みつけた。
「あなたより善逸のほうがよっぽど男らしいし、かっこいいですから。」
男が何か反論しようとしたが、私は待たずにその場を離れた。とりあえず店から一刻も早く離れたくて、通りを歩く。
「待って!」
気持ちを落ち着かせなきゃ、と思えば思うほどイライラして仕方がない。それもそうだ、背後から必死に男が追いかけてくるからだ。我慢できずに私は足を止めて勢いよく振り返った。
「私にはずっと前から好きな人が居るんです。だから…、」
続けようとした言葉が喉で詰まる。後ろに居たのはさっきの男ではなく、善逸だったのだ。
「ご、ごめん。まさか善逸が追いかけてきてるとは思ってなくて…!あ、さっきは助けてくれてありがとう…。」
さっきまでの怒りは何処へやら、焦りと緊張で上手く話せない。吃る私を見て、善逸は特徴的な眉毛を下げて困ったように笑った。
「ヒツメちゃんは変わらないね。」
褒めているのか分からなかったけど、どうやら悪い意味では無さそうだ。善逸はこの辺をよく知っているらしく、少し歩いたところに小さな噴水があった。昼間なら待ち合わせ場所に最適な場所だろうけど、今は夜も遅いし人通りも少ない。噴水の側にはベンチが幾つか備えられていて、私はその一つに座るように促された。
「ずっと話したかったんだ。」
「…うん。」
私は小さく返事をして善逸が話し始めるのを待った。ずっと、とは今日だけのことじゃなければいいのに、と期待してしまう。
「今日、ヒツメちゃんが来るって炭治郎から聞いてさ。居ても立っても居られなくて参加したいって俺が無理に頼んだんだ。」
「急遽増えた人って善逸だったんだね。」
「うん、それで…さ。」
心臓が激しく脈打つ。きっとこれは勘違いなんかじゃない。
「俺、ずっとあの時のこと後悔してた。君のことを諦められなくて…だからもう一度、」
「待って。」
善逸が後悔することなんて何もない。私が、善逸と付き合う事に耐えきれなくて別れを切り出したのだ。傷付けたのは私の方なのだから善逸が責任を感じたり後悔することなんて何も無い。
「私は善逸を傷付けた。もう一度やり直せる自信が無い。」
本音を言えば、私だって善逸とやり直したいと思っている。
「…さっき言ってた好きな人って誰のことなの?」
「それ、は…」
「忘れられない元彼がいるって言ってたよね。」
どう答えるのが正解なのか。頭がぐちゃぐちゃで思考が追いつかない。友人が気を使って小声で言ってくれたけど、やっぱり善逸には聞こえていたらしい。
「あの時、君は言ったよね。好きだけじゃどうにもならないことだってある、って。」
声色は優しいのに、断る隙を与えない口ぶり。まるで軟禁されているかのように、逃げられない。
「追い詰めるようで悪いんだけどさ、もう俺はヒツメちゃんが何を言おうと手放す気はないよ。」
膝の上に置いていた手に、善逸の手が重なる。こんなにも強気なのはきっと、私から聞こえる音で私の気持ちが分かるからだ。
「ずるいよ…。私ばっかり意地張って馬鹿みたいじゃん…。」
「そんな事ないよ、俺だって必死なの。こんなチャンス、そうそう無いんだから。」
何も言い返せないまま、私は善逸の目を見つめ返す。この光景を、何度思い描いたことか。別れて数年も経てば、善逸は私のことなんて忘れられていると思っていた。私のように引きずったりしないんだろうと勝手に思っていたのに。
「私も、もう一度やり直したい。」
ずっとずっと、善逸に言いたかった言葉。私は今日、やっとそれを伝えたのだった。