長編【蛍石は鈍く耀う】
□(2)向日葵の音
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その後、家に帰ってヒツメに連絡を入れた。炭治郎とヒツメの家が近いことは分かっていたけど、炭治郎が何故外に出ていたのか。なんだか嫌な感じがした。
『もしもし。』
なんだか疲れたような声色のヒツメに、胸が痛くなる。
「あ、ごめんね、文化祭の事なんだけど…」
適当に話を続けていると、電話の向こう側でヒツメが息を呑んだのが分かった。
「どうしたの?」
『ごめん、なんでもない。寝ちゃいそうだから、電話切るね。』
寝ちゃいそう、だなんて嘘だ。ヒツメは俺を頼ってくれない。助けてほしい、という音が俺には痛いほど聞こえてるのに。
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朝、いつもよりほんの少しだけ早く出る。炭治郎がヒツメの耳元で何が呟いているところが視界に入る。遠くて、流石に聞こえなかったけど、ヒツメが凄く緊張しながら頷いていたから、また炭治郎が酷いことを言ったんだと理解した。
「ごめんよぉ!!お待たせ!2人ともおはよ!」
今、来たかのように努めて明るく言うと2人とも、おはよう、と返してくれた。
それから炭治郎に変わった様子は無かった。以前の変わらず、登下校もお昼ご飯も、一緒にいるけどヒツメを怖がることはなかった。ただ、嫌な音だけは変わらず聞こえていたけれど。
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金曜日。文化祭の準備でヒツメと吉田が一緒に居残りする日が来てしまった。でも幸い、俺は風紀委員の関係で学校に残らなくてはならない。今回だけは冨岡先生に感謝しよう。今回だけは。
「文化祭の準備で風紀委員は体育館の椅子を…」
冨岡先生が何やら喋っているけど、俺はそれどころじゃなかった。窓を少し開けて、注意深く耳を澄ませる。俺たちの教室は、この近くだからヒツメに何かあればすぐに聞こえる。今は寒くない季節だし、どこの教室も窓は空いている。文化祭の準備をしているクラスは俺たちのクラスだけじゃないから、校内には生徒の声が幾つか聞こえていた。
近藤さんの声しなくない?もしかして吉田と2人っきりなの?そんなの絶対許せないんだけど!全神経を耳に集中させて、会話を聞こうと必死になっていたら、冨岡先生が俺の事を見ていることに気付いた。
「なんだ、体調でも悪いのか。」
「…っそうなんです!お腹が痛くて…あー痛い痛い…!」
委員会なんてやってられるか。ヒツメの事で頭がいっぱいなのだ。あれ、俺ストーカーみたいになってない?大丈夫かな?
委員会が行われていた教室を抜け出すことに成功した俺は、自分の教室へ向かおうとした。その時、はっきりと聞こえた。集中しなくても、俺の普段の耳でも聞こえる声。ヒツメの声だ。だけど、一緒にいるはずの吉田の声がしない。
体が勝手に教室へと向かう。近づくにつれ、やり取りが聞こえて、俺は焦った。
「助けて、善いっ…!」
はっきりと、聞こえた。語尾が途切れていたけど、俺の名前をヒツメが呼んでいる。助けて、と。
「お前、まじでなにしてんの。」
勝手にそう口走っていた。ヒツメを机に押し倒しているのは紛れもない炭治郎で。俺が声をかける前、こいつはヒツメにキスしてた。訳が分からない。
「善逸…」
「俺言ったよな?ヒツメを傷つけるなら炭治郎でも許さないって。」
怒りでどうにかなってしまいそうだ。ヒツメから聞こえる怯えた音が俺を更に苛立たせた。なんでこんな怖がってる子に、そんな事できんの?
動かない炭治郎に早歩きで近づいてヒツメから引き剥がす。
「ヒツメがお前にずっと怯えてるの、わかってるんだろ?」
炭治郎は、分かってる。他人の事によく気づく炭治郎なら、ヒツメが炭治郎をずっと怖いと思ってる事なんて分かってるはずだ。
「分かっててこんな事してんの?ヒツメの気持ち考えてんの?!」
腹が立つ。炭治郎は素知らぬ顔で、はぁ、とためいきを吐いた。
「炭治郎を怒らない…で……」
ヒツメが後ろで倒れそうになるのを、俺は急いで支える。ヒツメの身体は熱くて、呼吸も浅い。恐らく熱があるんだと思う。
「お前、本当になんとも思わないのかよ!」
「ヒツメは、襲われたって自分で何とかするって言ってたぞ。」
全く出来てなかったけど、と炭治郎は冷たく吐き捨てた。熱が出てることも、男が女を押さえ込むなんて容易だってことも、分かってるはずなのに。
「俺は吉田と二人なんて危ないからやめとけって昨日ヒツメの為に忠告したんだ。」
「違う、自分の為だろ。」
ヒツメの為、と炭治郎は本気で言っているのか?いや、本気でヒツメを心配していたなら、こんな傷つけるような事はしないだろう。その証拠に、炭治郎は俺の言葉に動揺していた。
「自分の為、だって?」
「だってそうだろ。ヒツメが大事なら、どうしてヒツメを傷つけるような事ばかりしてんの?」
「俺から離れようとするから仕方ないじゃないか。」
「その考え方も方法も、間違ってるってなんで分かんないの?!」
ヒツメを早く連れて帰りたい。熱が出ているのに、こんなところに置いておきたくない。炭治郎は俺の言葉に、返答し兼ねている。何か思うところがあったのだろう。
だけど今はそれどころじゃない。ヒツメを家へ連れて帰らないと行けない。ヒツメをやっと思いで、おぶると炭治郎が後ろでぽつりと言った。
「すまない。」
「ヒツメにもちゃんと謝れよな。」
その言葉は、俺とヒツメの二人に言ったものだと俺は思った。ヒツメは意識が朦朧としているだろうから聞こえていないだろう。背中にヒツメの温もりを感じながら、ヒツメの家へ向かう。教室に炭治郎の悲しい音だけが残っていた。
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