長編【蛍石は鈍く耀う】
□(1)まもりたいもの
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同じクラスの吉田が、ヒツメのことを気に入っていると気づいたときには既に遅かった。文化祭の準備でヒツメと吉田が一緒のグループに振り分けられたと聞いて俺は酷く焦っていた。吉田にはヒツメに近づいて欲しくない。近藤さんが居るから大丈夫なんて、そんなの分からないだろう。ヒツメの身が危ないから、と言い聞かせても頑なに拒否されてしまった。
「危なくなっても、自分でなんとか出来るから!」
携帯の向こう側のヒツメは声を荒げてそう言ったかと思うと通話を切った。何度か掛け直してみるけど応答はなかった。せっかく気持ちが落ち着いてきたというのに、再び焦燥感に襲われた。
ヒツメの怯えた表情を見るたびに俺は何故か悲しくなった。ついには面と向かって『最近の炭治郎、怖いし、何か変だよ。』とまで言われて泣きそうになるほど悲しくなった。
家に帰ってもヒツメの事が気になる。文化祭の準備だから仕方ないなんて言われても納得がいかない。そもそもグループ分けでヒツメと吉田が一緒になるなんて不自然だろう。真っ先に善逸が一緒になりたがるはずだ。考えれば考えるほど苛立って、いても立っても居られなくなってヒツメの元へと走った。
二人っきりじゃないと聞いていたからまだ落ち着いていた。学校へ着くまでは。校舎の中に入って、教室へ向かう途中で、違和感に気づいた。最後は走り出して、違和感を通り越して苛立ちのほうが大きくなっていた。
教室に着いて、座り込むヒツメに触れようとしている吉田を見た瞬間、かっと頭に血が昇るのがわかった。
「ヒツメに、なにしてる。」
自分でも驚くほど低い声だった。頭の中はぐちゃぐちゃで、今すぐにでも吉田を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られて拳を握りしめる。返答次第では本気で殴り飛ばしてやろうと思った。
「竈門、甘草さんが…」
「ヒツメに寄るな!」
怒りで身体が震える。どうにかなってしまいそうだ。
「大丈夫だから…。」
俺の足にしがみつくヒツメは恐怖で震えていた。そんなヒツメを見ると胸が苦しくなる。ヒツメは吉田じゃなく、俺に対して怯えていた。恐怖でヒツメを縛りつけてでも欲しいと思ったのは確かだ。なのに、何故こんなに悲しくなるんだろう。
吉田が慌ただしく教室を出て行って、俺とヒツメだけになる。静かになった教室に、ヒツメの荒い呼吸の音だけが聞こえる。
「…どうしてそんなに怒ってるの。」
「あいつと2人で何してた。」
「文化祭の準備だよ、」
「2人だけなんて聞いてない!」
どうして男と二人で居ることが危ないと分かってくれないんだ。俺はヒツメの為に言っているのに。
分からないなら。
「昨日、なんとかできるって言ったな?」
分からせてやる。
男の力の前では、自分はどれだけ無力なのか思い知ればいい。
肩を掴んでぐっと、こちらを向かせる。驚くヒツメの両脚の間に逃げられないように片足を入れる。困惑するヒツメの声が聞こえるが関係ない。上半身だけ押し倒して机にヒツメを縫い止める。
「なんとかするんだろう?」
「ちょっと、待っ…!」
この状況でも、ヒツメは必死に抗おうとしていた。ヒツメの細い腕が抵抗しようと必死にもがく。
「こんな細い腕で何が出来るんだ?」
「炭治郎、やめて…!」
片手でヒツメの両手を頭の上で纏めて押さえつける。ヒツメは俺が今まで見たことの無いほど怯えていた。押さえているヒツメの手が、足が、身体が、恐怖で震えている。
制服の上から腰をなぞるとヒツメは小さく声を漏らした。これじゃあ抵抗出来ていないどころか、煽っていると思われても仕方ないだろう。よくこれで、なんとか出来る、なんて言ったものだ。
「助けて、善いっ…!」
言い終わる前にヒツメの口を手で覆う。まさか善逸に助けを求めるなんて。
「やめろ!」
なんて情けないんだろう。先日善逸に言われた言葉を思い出して心臓が煩いほど脈打つ。
『ヒツメが俺に助けを求めてくるような事があったら。いくら炭治郎でも許さないよ。』
善逸は俺の周りの人間の中で唯一信頼できる友人だ。俺と同じできっと五感のどこかが長けていて、俺の本心をなんとなく分かっていながら、見捨てずに友人で居続けてくれたのは本当に嬉しかった。
そんな善逸がヒツメを好きなのはずっと前から知っていた。俺の中でヒツメを奪われる唯一の可能性があるのは善逸だった。
ヒツメが逃げ出そうと身を捩る。善逸のところへは行かせない。さっきより強い力で押さえつけても、ヒツメは諦めずに抵抗した。俺よりも善逸がいい、なんて思うと気が狂いそうになる。
なんだっていいからヒツメを繋ぎ止めなければ。ヒツメの唇が他の男の名前を紡ぐのが無性に腹が立って、俺の唇で塞ぐ。
「ん、う…?!」
柔らかい唇から、くぐもった声が漏れる。どうすればいい?どうすれば、ヒツメは俺から離れなくなる?
「お前、まじでなにしてんの。」
声が聞こえるまで、俺は教室の入り口に立っていた善逸に気づかなかった。匂いで分かったはずなのに、声をかけられるまで分からなかった。
「ヒツメがお前にずっと怯えてるの、わかってるんだろ?」
早歩きで近づいて、ヒツメから俺を引き剥がす。怖がらせているのは分かってる。仕向けたのは自分なのだから。善逸には俺の気持ちなんて分からないだろう。ヒツメの事が好きだから、見てられないから、頭にくるんだろう。俺の事は理解しようとしないくせに、ヒツメの事になると必死な善逸を見ているとため息が出る。
「俺は吉田と二人なんて危ないからやめとけって昨日ヒツメの為に忠告したんだ。」
そもそも、俺はヒツメを本気で襲おうとしていない。ヒツメならともかく、善逸ならそれは分かっているだろう。だけど善逸は俺がヒツメを襲おうとした事だけに怒っている訳じゃなかった。
「違う、自分の為だろ。」
善逸の思わぬ言葉に戸惑った。
「自分の為、だって?」
「だってそうだろ。ヒツメが大事なら、どうしてヒツメを傷つけるような事ばかりしてんの?」
「俺から離れようとするから仕方ないじゃないか。」
「その考え方も方法も、間違ってるってなんで分かんないの?!」
善逸に返す言葉が見つからない。間違っているなんて言われても、俺にはこの方法しか思いつかなかった。ヒツメを縛るためには仕方がない。そう思っていたはずだった。
ヒツメが俺の言葉に、行動に、怯える度に俺は胸が痛んだ。ヒツメが欲しくて、離れていかないようになんとかしようとしたのは本当の気持ちだ。だけど、怖がらせてまでそうしたかったのかといえば、きっとそうじゃなかった。
こんな方法じゃなくても、良かったんだ。
〜
「話があるんだ。」
帰り支度を終えて立ち上がるヒツメに、出来るだけ冷静に、優しく言った。ヒツメは戸惑いながら俺を見つめてくる。もっと怖がられてしまうものかと思っていた。
「ヒツメ、本当にごめん。金曜日のことも、それまでのことも、全部謝る。怖い思いをさせて、悪かった…。」
すぐに全部を許してほしい訳じゃない。俺の気持ちを分かって欲しかった。
以前と同じように一緒に居たい。
これで良かったんだ。
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