長編【蛍石は鈍く耀う】

□(2)まもりたいもの
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お昼休み、いつも通り購買にお昼ご飯を買いに行こうとすると、ヒツメが声をかけてきた。いつもより少し大きなお弁当を指差して、一緒に食べよう、と嬉しそうに笑った。
ヒツメはあれから以前と変わらずに接してくれた。俺に怯える事もなく、俺の事を気にかけてくれている。理由は分からないが、俺の事を避けようとは思っていないようだった。

ヒツメがお弁当の包みを開いていく。ヒツメの作ったお弁当なのだから美味しいに決まっている。善逸が横でヒツメの事を嫁だとか騒いでいるが、俺の心は穏やかだった。ヒツメが善逸と付き合っても、それは仕方のない事だと思えたりそれで俺との関係が一切絶たれてしまうのなら許せないが、ヒツメと善逸なら、そんなことはないだろう。

全ては俺が決める事じゃない、と思えた。

携帯に目をやると約束の時間までもうすぐだった。相手が誰かは知らないが、時間に遅れて厄介な事になるのは御免だ。

「あれ、もういいの?」

箸を箸箱へ戻すと、ヒツメが少し残念そうに聞いてきた。俺だってヒツメのお弁当を食べたいと思っている。だからこそ、この一方的な用事を早く済ませたいのだ。



校舎の西側の階段を降りたところに、女の子が立っていた。俺に気づくと少し顔を赤らめて俯いた。一見、可愛らしい女の子だ。見た目とは裏腹に真っ黒で酷い匂いがするが。

「竈門先輩、こんにちは。」

ふふ、と清々しい程の笑顔で挨拶を口にする彼女。居心地が悪い。本能でそう思うほどに彼女は黒いのだと理解する。

「用件を言ってくれ。」

「甘草先輩以外には冷たいんですね。」

「…それだけか?」

「冗談ですよ。甘草先輩と付き合っているのかを聞きたくて。」

彼女は俺に好意を持っているようだった。がその好意は目的の為なら手荒な手段も厭わないものだ。
俺はこの匂いを一番よく知っている。

「付き合っていない。だとしても、ヒツメに危害を加えるな。」

「私、竈門先輩のこと好きなんですよ?」

彼女は距離を縮めて、俺の腕を抱き締める。ぎゅっと強く抱きしめられて、彼女の身体が俺の身体に当たる。その柔らかさが気持ち悪くて、吐き気がする。

「身体の関係だけでもいいんです。」

「必要ない。」

「私、竈門先輩の為ならなんだってしますよ。」

「っ…!」

その言葉に少し言葉が詰まる。なんでもする、という言葉に俺は、ある自分の思いに気づいた。俺は家族を失った時、側にいてくれるなら誰でもいいと思っていた。その相手がヒツメだっただけ。
でも今は違うとはっきり言える。

「…ヒツメが居れば何も必要ない。」

「っ…そうですか。」

彼女は悔しさに唇を噛み締めていた。
他の誰でもない、ヒツメが必要なんだ。
ヒツメ以外の人間と付き合うなんて考えられない。
押し黙ってしまった彼女を置いて、早足でその場を後にする。今は無性にヒツメに会いたくて仕方がなかった。

視界にヒツメの姿を見つけて、呼吸を落ち着かせる。てっきり善逸と一緒だと思っていたが、ヒツメは一人だった。

「ヒツメ?」

ヒツメは真剣な表情をしていて、俺の声に反応するまで少し間があった。

「ごめん、気付かなくて…!」

「いや、いいんだ。随分と真剣な顔してたな。」

何を考えていたんだろう。ヒツメは考えていた内容を話すのを渋っているようだった。

「告白でもされてたの?」

意外な質問だった。考えていた内容と違うことは分かっていたけど、そうだとしても意外だった。ヒツメは俺に、告白されたとか、どんな女の子だったとか、そんな話題は基本的にしてこないからだ。

「まぁ、そうだな。断ったけど。」

俺の言葉に、ヒツメは安堵しているようだった。俺が告白されることも、断ることも、今に始まったことじゃない。以前までは付き合うことが煩わしいと思っていたが、今は違う。

「なんで断ったの?」

「好きじゃないからかな。」

好きじゃない。自分でも分かっていない感情の名前を、知っているかのように口にする。

「じゃあ、私とは付き合えるの?」

ヒツメは真剣な目をしていた。さっきと同じ目だ。
ヒツメと付き合えるかどうか。
答えは出ている。だけど、好きかどうか分からないのに、付き合えると口にしていいのだろうか。

「……。」

「…たんじ、」

「付き合える、かな。」

隠す必要なんてない。俺は既に自分の汚い部分をヒツメに晒している。今更躊躇うことなんてない。思ったことを、そのまま言えばいい。

「ヒツメと過ごしてきた時間とか幼なじみだからとか抜きにしても、そう思った。」

おかしな事を言っていると思う。これじゃあヒツメの事を好きみたいだ。
あの時のヒツメの言葉を頭の中で反芻する。

『…相手を尊重したり、相手の為に何かしてあげたい気持ち、じゃないかな。』

俺のヒツメへの気持ちは、酷く歪で、彼女の言う好きという感情像には程遠い。

「でも俺はヒツメを好きじゃないから関係ない話だったよな。」

あの時と同じ、胸が締め付けられるような悲しくなる言葉。
俺は多分、この言葉を口にしたくないんだと思う。
心からヒツメという人間を好きになりたい。
俺はそう強く思った。


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