短編Novel

□華のように
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ありえないと、思っていた。
そんなはずはない、なんて思いたかった。

だけど私の希望なんてどこか薄っぺらく、冷めたものだったと、今、自覚した――。



―――――――――
―――――――

「な〜、これ、どうすんだ?」


弟の間抜けで無神経で、気遣いなんて一つもない声が――心此処に在らずで荷造りしていた私の耳に届いた。



引越し。

やっとの思いで此処から動いて新しい新転地を求め独りで暮らすことを私は決意した。

シミのついたカーペットや壁の落書き、傷のついた机。弟と背の高さを競って付けた柱の傷や、好きなアイドルのポスターを貼っていたテープの痕に懐かしさを覚える。
すべて、覚えている。

どれもこれも私が心から幸せだと感じていた日々のことだから。

出て行かなければいけなくなる日が来ると、心のどこかで解っていた。
でも、こんなカタチでなんて思っていなかった。

甘えていたと、世間知らずな甘ちゃんだったと気づかされた。アノ人、に。



離れがたい。だけど、離れなければいけない。

此処から動かなければ私はもう一歩も前に踏み出すことはできないと、やっと自覚した。



「それは――…」


それなのに、どうして。

どうして私の足を此処に、この場所に縛り付けるようなものを、我が弟は見つけてしまうのだろう?

偶然?わざと?

いや、“わざと”なんてそんな邪推、いくらなんでも失礼で。
それがただの“やつあたり”なんだって解っている。だけど。


「捨てといて」
「…え?いいの!?結構大事にしてたんじゃ、」
「いいから!捨てて!!今すぐ!」
「!?…わかった!わかったって!そんな怒らなくたっていいじゃん」


私の剣幕に恐れ慄いて弟がゴミ袋に入れたモノ。私とアノ人を繋ぐモノ。


――あぁもう、馬鹿みたいだ。


全て捨てると決めたのだ。今更、覆すなんてできないし、覆したら“負け”のような気さえしていた。
そんなことを考えること自体が今でもアノ人に心を縛り付けられていることを証明している。

勝ち負けなんてくだらなくて、“勝ち”も“負け”も、どちらも私には必要のないって解っているのに。
デリートされるはずのもの。しなければいけないもの。新しい人生、今までとは違った毎日をスタートするために。

これから私に起こることは二度と上書き保存なんてしない。そう決めた矢先の弟の拾い物だった。


「あ、ごめん。言い過ぎた。捨ててくれてありがとう」
「…いいけど」


突然不機嫌になったお返しのように、膨れっ面で私を一瞥して片づけを再開させる弟に、流石に罪悪感を覚え――抱きつく。


「ごめん、って。ね?薫、許して?大好きだから」
「…ッ、ねーちゃん、ズルいぞ」


弟が私に弱いこと甘いことを知っていて、それを利用して。
自分の武器はあざとく利用して弟を宥める。

私だって彼を責めることなんてできない。


頭をイイコイイコして弟の機嫌が直ったことを確認して、引越し作業を再開する。

捨てなければ。こんな私を、捨てるのだ。


そう、今から、全て、変えてみせる。




「じゃあ…いってきます」
「ホントに行っちゃうの?戻ってくるよね?」
「…うん。大丈夫、薫。必ず帰ってくるよ」
「絶対だよ?約束」


高校生になっても、「約束」なんて言って小指を出す弟に、心の底からの笑顔がこぼれる。
指を絡めながら伝わる暖かさを確認して。

ホントになんて可愛いんだろう。私とは大違い。
私もこんな風になりたかったな、なんて不可能な展望を抱いてしまう程だ。


「約束」


“指きりげんまん”して一歩、踏み出した。
後ろ髪をひかれる想いを振り切って、背中に追い風を感じて。


これが、スタート。
私の、再スタート。




さよなら、さよなら、さよなら。

ありがとう。







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