星に願いを


「わあっ、見た!?飛影!」
晩秋の冷たい空気の中、濃紺の夜空を見上げながら、蔵馬は瞬く星々の間を指さした。
つい今しがたそこには、淡いオレンジ色の軌跡を残しながら、流星が翔け抜けたばかりだ。
その子供のようなはしゃぎように、飛影の口元に微かな苦笑いが浮かぶ。


事の起こりは、今から数時間前ーーー
魔界での仕事が落ち着き、少しだけ取れた休暇。飛影は久しぶりに蔵馬の部屋を訪れた。
少し遅めの夕飯をすませ、いつものように、蔵馬が淹れたコーヒーを飲んでいた。先程から蔵馬は、飛影の目の前でテーブルに頬杖をつきながら、その姿をニコニコと見つめている。
「…さっきから、何だ」
「あのね、流星群を見にいきませんか?」
「流星群?」
「はい。毎年、今ぐらいの時期に見える流星群なんです。今年はちょうど今夜、1時頃から二時間位がピークだそうですよ。今日は新月だから、月明かりも観測の邪魔にならないし…」
オレも、ちょっと前に知ったんですけれど…とか、今日あなたが来るなんてグットタイミングですね等と蔵馬はいろいろと一人でしゃべっていたが、黙ったまま返事をしない飛影の方に身をのりだすと、上目使いで一言った。
「ダメ…ですか?」
期待を込めた瞳で見つめられては嫌とは言えない…。
―――最近は百足でのパトロールも忙しくて、一緒に出掛けてやれることもなかったしな…。
そう思いあたって、飛影はつきあってやることにした。


蔵馬の住む町から十数`程離れた所にある、小さな山。
その中腹は、緩やかな斜面になっている。
都会の明かりが届かないその場所は、星空を眺めるには絶好のポイントだった。
二人は並んで斜面に座り、雲一つない満天の星空を見上げていた。


「あっ、ほらまたあっちに…!」
時にはたて続けに、そうかと思うと今度は数分の間隔を開けて、夜空に星が流れていく。
その度に、蔵馬はその方向を指さしてみたり、立ち上がって一歩踏み出してみたりとせわしない。
飛影の方ははそれほど夢中になることはできず、話しかけてくる蔵馬に時折頷いてやり、あとは黙って天空を眺めているだけだった。


そうして、一時間ほどの時が流れた頃だろうか…。
つい先程に流れた星のあとを追い、立ち上がっていた蔵馬が、クルリと顔だけ飛影を振り返った。
「ねえ飛影、何か願い事ってありますか?」
唐突なその問いに、飛影は夜空から蔵馬へと視線を移す。
「何だ?いきなり…」
わずかに眉を顰めてみせながら蔵馬を見上げると、彼はニッコリと笑って飛影の方へと体を向き直らせた。
「こちらではね、流れ星に願いを掛けると、その願い事が叶うって云われているんです」
飛影はほんの少しだけ沈黙したあとに、呆れたような声を出した。
「…馬鹿馬鹿しい」
蔵馬は、おや?というように首を傾げてみせたが、構わず更に続ける。
「流星なんぞ、宇宙に漂っている塵が、この星の引力に引かれて落ちてくるだけだ。それが大気圏とやらの摩擦で、ただ燃えるだけの現象に過ぎん。そんな物に、願い事を叶える力などあるものか」
蔵馬から視線を外すことなく、そんなことを言ってきた飛影に、蔵馬はフウーッと大袈裟に溜め息をついてみせた。
「もう…!情緒がないなぁ、あなたは…。燃え尽きて、消えてゆく星の欠片の、最後の命の輝きだと思えば、何だか御利益がありそうな気がしませんか?」
そう言って唇を尖らせてみせるが、飛影は取り敢わない。
「…くだらん。そんな根拠のない迷信に縋るより、俺は自分の力ですべて叶えてみせてやる…!」
その言葉に込められた力強い響き。
それと同じ程の強さを秘めた紅い瞳が、夜の闇に負けない輝きを以て、蔵馬を見据えてくる。
まるで挑むような飛影の視線。蔵馬はただ黙って、それを受け止めた。
二人とも、お互いから目を逸らそうとはしない。……だが、やがて観念したのか、蔵馬がくすりっと笑いを漏らした。
「…うん、そうだね。貴方なら、きっとそれが言える…」
己の持つ力に対しての、揺るぎない自信と信念…。
そして彼が、そう言いきれるだけの実力も兼ね備えていることを、蔵馬は知っている。
蔵馬にとって、そんな飛影が誇らしくもあり、また時には羨ましくもあったりするのだけれど…。


蔵馬は一度ゆっくりと瞬きすると、飛影から視線を外し、再び夜空に向けて顔を上げた。
そこにちょうと゜タイミングよく、流れゆく白い一筋の光―――
「ああ、また…。綺麗ですね」
口元に緩やかな笑みをうかべて、上空を見つめている。
星々の輝きを映した瞳が、闇の中でゆらゆらとした光を放っていた。
飛影は再び星空を見ることはせず、まだ蔵馬の横顔から眼を離せないでいた。


―――願いを叶える流れ星―――
人間界によくある、くだらない迷信だ。だが…。
―――蔵馬にはあるのだろうか?その、星に掛ける願いとやらが…。
なぜだか解らないが、胸の中に苛立ちが起こる。
―――燃え尽きて消えていくものに掛ける願いなど、虚しいだけではないか…!
そんな不確かなものに望みを託すくらいなら、なぜっ……。


―――クシュンッ―――
睨むように瞠めていた飛影の視界の中で、蔵馬が小さなくしゃみをした。
「だいぶ冷え込んできましたね…」
そう言いいながら、コートの衿を立てている。
本格的な冬を迎えるのはまだ先の事とはいえ、この時期、真夜中の気温はかなり下降する。
魔界育ちの飛影には、この位の寒さは何ともないが、半分人間である蔵馬にとってはやはり違うのだろう。
指先が悴んでいるのか、胸の前でしきりに両手を擦りあわせている。
蔵馬はその手を口元に持っていくと、ハァーッと息を吹きかけた。
指先から零れ落ちた白い吐息の流れが、闇の中に吸い込まれ消えていく…。
―――自分の体温調節もままならないとは、不便なものだな…
その流れを無意識に目で追いながら、飛影はそんなことを思った。
炎の妖気を纏う飛影に、“凍える”という感覚は解らない。
今は冷えきっているであろう蔵馬の指。
……知っている。その指は細いくせに、決して女の華奢さはなく、かといって自分のような骨張ったところもなく、しなやかであることを…。


ハァーと、もう一度指先に息を吹きかける蔵馬を見て、飛影が手を伸ばし掛けた時だった。
「でも、この寒さのおかげで空気が澄んでいるから、今日は空がこんなに近い―――」
蔵馬は天上に向かって手を差し出し、夜空で一際煌めく星を両手の指の間に挟み込んでみせる。
飛影はおもわず、蔵馬が着ているコートの裾を掴んでいた。
「ほらっ、まるでオレの手の中で星が輝いているみた―――えっ?うわぁっっ!!」
その裾を勢いよく自分の方へと引っ張る。
ふいの事に思いっきりバランスを崩した蔵馬は、よろめき敢えなく後方へと倒れ込むが、そこを待ちかまえていた飛影の腕に攫われた。


「…ッ飛影!いきなり何するんですかっっ!!」
あがる抗議の声を無視して、飛影は羽織っているマントをバサリッとはためかすと、蔵馬を一緒に包み込む。
そして蔵馬の腰に手を回したかとおもうと、グイッと引き寄せ、自分の体の間に深く抱き込んだ。
蔵馬の背中に密着する飛影の広い胸…。そこからじんわりとした熱が伝わってくる。
炎の妖気をつかっているのだろう。その熱は、ゆっくりと蔵馬の体の中を巡っていった。


やはり寒さのせいで、いつのまにか体が冷えきっていたらしい…。
飛影から与えられる熱が、体の細部まで浸透していくに従い、強張っていた体が徐々に解れていく。
体を満たしていく温もりの心地よさに、蔵馬はおもわずホウッと息が漏らす。
そのまま全身の力を抜いて体を預けると、飛影も難なくその体重を受け止めてみせた。
心と体を温もりに包まれて、蔵馬がゆったりと再び夜空に目を向けようとした時だった。
フッと影が落ちたかとおもうと、視界が闇に染まった…。
顔にあたる暖かな感触。蔵馬はそれが飛影の手だということに、すぐに気がついた。
蔵馬の頭を抱え込むように腕を回して、その手で両目を覆っている。
視界を遮っている手に僅な力を加え、飛影は蔵馬の頭を自分の肩へと押しつけた。


「…飛影?」
静かに呼びかける。
つかの間の沈黙のあと、飛影が口を開いた。
「おまえには、あるのか?」
問われた意味を理解できず、飛影の肩に頭をつけたままで蔵馬は少し首を傾げてみせた。
「流れ星に掛ける願いが、お前にはあるのかと訊いているっ」
口調がやや強いもの変わる。
「飛影、それは…」
蔵馬の返事を待つことなく、さらに言葉をかぶせた。
「あるのなら、オレに言え!あんな不確かな迷信を頼るくらいなら、俺に願いを掛ければいい!」
飛影の手の下で、蔵馬は少しだけ目を見開いたが、すぐに口元を綻ばせると、静かに言った。
「そうすれば、飛影が叶えてくれるの…?」
「……俺の手が届く範囲であるならな」
ボソッと答えを返す飛影に、笑いが零れそうになるのを堪える。随分な謙遜だ。
邪眼師として、S級の能力を持つ妖怪として、彼が本気を出せば叶えられない事のほうが少ないはず…。
蔵馬は思う。ここで自分がどんな無理なことを言ったとしても、彼はその望みを叶えようとするだろう。
だけど……。
蔵馬の中にある願い事は、いつだって一つだけだ。そして、それはきっと…。


蔵馬は、ゆっくりと…だがはっきりとした声で、飛影に告げる。
「…願い事は、ないよ。さっきはついムキになってしまったけれど…。オレも、流れ星に掛ける願い事なんて持っていない」
……少しの間のあと、蔵馬の耳元で飛影の溜め息が洩れた。
何となく肩透かしをくらった気がするのだろう。ひょっとしたら、蔵馬が返すその答えを、すでに予想していたのかもしれない。
耳にかかる、飛影の吐息がくすぐったい。蔵馬は何だか可笑しくて、とうとう堪えきれずにクスクスと笑い出した。
相変わらず、飛影の手はまだ両目を塞いでいる。笑いながらも、蔵馬は自分の手を重ねて、そっとその手を外した。
ひんやりとした大気があたると共に、戻ってくる視界。だけど蔵馬はもう、輝く星空をその瞳に映そうとはしなかった。
かわりに、間近にある炎の色をした瞳を覗き込む。
その瞳の中にいるのは、幸せそうな微笑みを浮かべた自分…。


「好きだよ、飛影…」
蔵馬は、飛影の唇の数p前でそう呟く。そして、その言葉を押し込むかのように、そっと唇を押し当てた。
直後にそれは、飛影からの深いキスへと変わる。
肩に回された腕に強く引き寄せられ、残る片手で顎を捕らえられた。
幾度となく、角度を変えて合わせられる唇。
段々と激しさを増していくキスの合間に、一瞬だけ飛影の唇が離れ、囁きが洩らされる。
「…俺もだ」
その言葉に何か返すより早く、蔵馬の唇は再び飛影の唇に塞がれてしまったけれど …。
だから、蔵馬は飛影の背中に手を回すと、ギュッとしがみついてみせた。
重なる飛影の顔越しに、少しだけ見える夜空で、また一つ星が落ちる。
流れる星の行く先を見ることもなく、蔵馬は、飛影が与えてくれる熱をもっと感じたくて、瞳を閉じた。
蔵馬を包み込むように抱きしめながら、飛影は呼吸さえ忘れるほどの、深く、長く、甘いキスをしてくる。


星への願いは必要ない。だって、望めばそれは簡単に叶う。ほら、こんな風に……。


―――願い事は、一つだけ…。飛影、それはいつだって、あなたの腕の中に在るのだから―――



サイトを開設する数ヶ月前に、図々しくもmiya様に差し上げたお話で、私の初の飛蔵小説となりました。
実は、サイトを運営する前には、殆ど小説を書いたことがありませんでした。
随分と前に、友人のサークルのお手伝いをしていた時に、ゲストとして書いた事か一回あるだけだったのです。
ですから、この『星に願いを』は、小説としてちゃんとお話を仕上げた作品としては、2作目にあたります。
今回、miya様にご許可を頂き、自サイトに掲載することができました。ありがとうございますvvv
2作目だけあって、初々しさ?と共に拙さが感じられる作品ですが(いえ、今でも充分拙いですが;;;)、私がサイトを立ち上げる決意を固めることが出来たお話でもあり、自分にとっては思い入れの深い作品です。



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