BOOK3

□春便り
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ようやく、寒気が少しやわらいだ。

ぬらりひょんは縁側に座布団を敷き、微かな梅花の匂いを感じていた。

通る風は暖かいとは言えないが、ずっと火鉢にあたっていた体が、引き締まる思いだ。

春ももうすぐである。

――口が淋しい。

ぬらりひょんは懐から煙管を取り出しかけて、やめた。

今は紫煙より、濃い目の緑茶の気分だ。

こんな時は――。

「妖様。お茶が入りましたよ」

鈴の振るような声に、頭をもたげれば。

湯飲みを乗せた盆を携えた妻が、微笑みをたたえて、佇んでいた。

おのずと、ぬらりひょんの頬も上がる。

もとは公家の姫であるが、よく気のきく女性だと思う。

欲しいと思ったものを、欲しいと思った時に、言わずとも用意してくれるのだから。

ぬらりひょんは妻を手招きする。

「流石じゃな、珱姫。ちょうど、茶が飲みたいと思うておったところじゃよ」

「まぁ、本当ですか?よかった!」

妻――珱姫は、笑顔の花を咲かせた。

ぬらりひょんは、湯気のたつ湯飲みを取った。

火傷に気をつけつつ、ひとくち啜る。

濃いお茶が体に染み渡るようだ。

「そうそう。妖様に、是非お見せしたいものがあるのです」

「なんじゃ?」

珱姫は、お茶うけの菓子が盛られた皿を掲げてみせた。

それは、白と薄紅色の、早春の花をかたどった、干菓子であった。

「ほう、梅か。これは風情があるの」

「はい。先ほど、苔姫ちゃんと一緒に市に出かけて、見つけたんです」

「そうか。市は賑わっていたかい?」

「えぇ、とっても!色々なものが売られているのですね」

声を弾ませて話す珱姫は、今の生活を楽しんでいるようだ。

「珱姫。せっかくじゃ、これを一緒に食べよう」

ぬらりひょんは、梅の形の菓子を指差す。

「いいのですか?それでは、お茶を…」

珱姫が用意したお茶は、ぬらりひょんのぶんだけである。

もう一度淹れるつもりなのか、珱姫は立ち上がりかけた。

彼はそれを制して、引き寄せた。

「茶なら、ワシのを飲めばいい」

「えぇっ!?そんな…」

困ったように眉を下げる珱姫を、ぬらりひょんは包み込んだ。

「ほれ」

と、妻の口に干菓子を押し込む。

「旨いかい?」

珱姫は頬を薄紅に染めて、こくりと頷いた。

ぬらりひょんは自分の口にも、干菓子を一つ、放り込んだ。

「うむ、旨いのう」

漂う梅花の香と、舌の上で溶ける甘さ。

まるで花そのものを食しているかのような、甘やかな感覚であった。



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