BOOK3

□新茶の憩い
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薫風そよぐ皐月晴れのもと。

奴良組の庭にはござが敷かれている。

そこに座している鯉伴は、若葉の煌めきを目で楽しみつつ、昼間らしく湯飲みを傾ける。

一口すすって、おや、と唇を離した。

「今日の茶は一段とうまいな」

「さっすが鯉伴さんっ!やっぱりわかるのね!」

楽しそうに声を弾かせるのは、はす向かいに座る幼妻だ。

「何か違うのかい?」

「えぇ。それは新茶なの。組の皆さんからのおすそわけなのよ」

どうやら、季節の移り変わりをいち早く察した者がいたらしい。

「なるほどな」

鯉伴はふたたび湯飲みに口をつけ、今度は鼻を通るまろやかな香りも楽しむ。

「しんちゃってなーに?」

と、二人の間で大福にかぶりついていた息子が、興味津々に顔を上げた。

母である若菜が、口元に目一杯ついた餡や片栗粉を、おしぼりで拭ってやる。

「新茶って言うのはね、夏の一番初めに摘んだ、キレイな葉っぱから作られたお茶のことよ」

「じゃあ、とくべつなんだね!」

「そうね、特別ね」

息子は、母の話を理解したと言うより、“特別”という言葉を使いたかったのだろう。

それでも、お茶を手渡されるとごくごくと飲みほした。

幸せそうにお菓子を頬張る息子、それを慈愛に溢れる表情で見守る妻。

「……いいな」

自然と唇からこぼれた呟きに、若菜が己の方に向いた。

「ねっ!新茶はいいわよね」

満面の笑みの幼妻。

鯉伴は二・三度まばたくと、顔全体を綻ばせた。

「あぁ、そうだな」

時世は穏やかで、天から柔らかな日の恵みが注ぐ。

愛しい妻と、愛する息子。

大切だと思いたいものが、すぐそばにあって。

これ以上に“いい”と思える事があろうか。

鯉伴はゆっくり、香り立つお茶をすすった。

ずず、と音をたてれば、湯飲みの底が見えてしまった。

おかわりを要求すれば、息子も同時に湯飲みを差し出していて。

妻がころころと笑った。

つられて鯉伴も、声を出して笑った。



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