BOOK3

□淡紅恋色〜花びらを追いかけて〜
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伸ばした指のわずかに先で、風がいたずらをして、花びらがくるりとひっくり返った。

もう一度。
けれども、掴むより早く花びらがすり抜けてしまう。

「ああっ」

じっと立っていても自分のところに落ちては来ないから、夏実は見上げたまま幹の周囲をぐるぐる回ることになる。
もし誰かが近付いていたとしても、夏実にはわからない。

ぴょん、と跳んだ体を、着地と同時に何者かが押さえた。

「あっ、ごめんなさいーー」

ぶつかったと思って振り向こうとした時。
綺麗な黒い糸が視界を流れた。

「笠の……お坊さん……!」

綺麗な糸だと思ったものは、彼の長い髪だった。

遊ぶ子猫を見守る時みたいな優しい表情が、桜と澄んだ空を背景に、夏実の視界いっぱいにあった。

「あまり上ばかり見ていると、転びはせぬかと気になってしまうな」

「お坊さん……。ごめんなさい」

夏実は姿勢を直す。
首の後ろと腰が少し痛かった。

「して、何をしていた?」

「花びらを追いかけていたんです。落ちる前にキャッチできたら、何かいいことがあるかも、って」

恋が叶うかも、なんて本音は本人を前にしては言えない。
それでなくとも実際に口にしてみて、やっぱり子どもっぽい。

「ほう」

彼は笑うでもなく、何気ない風に手を手向ける。
すると、計ったように、萼のままの花がその掌(たなごころ)に落ちてきた。

花びらは気ままで、風は気まぐれ。
花びらひとひらでさえ、なかなか掴まえられなかったのに、花一輪なんて。

……お坊さんの方が桜に好かれているのかな。

「これは、飾り物のひとつも贈ってやらぬか、と、花に叱咤されたらしい」

彼はくすりと笑う。

たまたま花が落ちてきたことが、どうして叱られることになるのだろう。

彼は手中の花を、夏実の耳上あたりの髪にかぶせた。

「ひゃ……っ」

男らしく骨ばった、乾いた手が耳を掠めた。

「夏実殿に、いずれかの良いことが巡り来ることを」

唄のような深みのある声が、どきどきさせる。

彼が言うならきっと……ううん。
たぶんもう、そばにある。

夏実は、胸の上で両手をきゅっと握った。
もし彼に心の中を見られたなら、桜と同じ色に染まっていることがばれてしまう。

淡く甘い桜色は恋の色。



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