BOOK2
□貴女は…
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…―――タン、タタン……
弦が軽快に弾かれる。
江戸の妖怪屋敷、奴良組の咲き始めの桜を臨める座敷に、二人の女性がいた。
敷居に腰掛け三味線を弾くは雪麗。
珱姫は斜め後ろで調べに耳を傾けつつ、大きな腹をゆうるりと撫でている。
もうすぐ産み月であった。
雪麗が楽器を奏でているのは、総大将が胎教には音楽がよいとどこからか仕入れてきて、そのくせ己ではできないからである。
腹の子はさしたる問題もなく、順調に育っている。
しかし、それが雪麗には不思議でならなかった。
「ねぇ、あんた」
視線を手元に据えたまま、雪麗は呼びかける。
珱姫が顔を上げた。
「本当にいいの?あの男の子を産んで」
「え…?」
なぜそんなことを訊くのか、と珱姫が訝しんでいる。
…――タン、タン―――…
三味線の音が鳴り響く。
妖の子を成すとは、妖の血を体内に取り込むということである。
人にとって妖の血は異質で、ましてや大きすぎる力を持つぬらりひょんの血だ。
本来なら拒絶反応を起こして、暴れ狂うはず。
それなのに、珱姫には悪阻はあれど、特に異常はみられなかった。
総大将や組員たちは、懐妊とはこういうものかと思っていたようだが、女である雪麗には不可解極まりない。
なんらかの要素で妖の血を押さえているのか。
だとすれば、出産の際にそれが解放されるやも知れない。
そうなったら母体に大きな負担がかかる。
彼女の癒しの力も、作用するかすらわからない。
果たして、珱姫に耐えられるのか…。
「もしかしたら、とんでもない難産かもよ?」
できるだけ、なんでもない風に雪麗は言った。
そうしたら。
「そうですね」
珱姫もなんでもない風に返して来たので、雪麗はずり落ちそうになった。
首をぐいと後ろに回し、握り直したばちで珱姫を差す。
「あんた、ちゃんとわかってんの?妖の子を産むってことはねぇ」
「大丈夫です」
説教しだした雪麗を珱姫は遮った。
「何があっても産んでみせます」
雪麗は目を見はった。
そっと腹を抱えて目を細める珱姫は、慈愛の中に強い意思を秘めた、母の顔をしていた。
「…そう。そうだったわね」
儚い命の人であれど、珱姫は確かに"ぬらりひょんの妻"だ。
ならば己の役目は、彼らの子を守り、慈しみ、育てること。
あの男の子は、愛すべき存在だから。
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