BOOK2

□柘植之蝶
1ページ/2ページ


「雪麗」

「ん?」

洗濯物を干す手を止めて、頭を後ろに巡らせば。

そこには牛鬼が、いつもの無表情で佇んでいた。

呼んだのは確かに彼のはずだが、体が横向きなら顔も横。

不審に思いながら、雪麗は問いかける。

「何よ?」

しかし、それに応えはない。

無言なら放っておこうと、再び物干しに向いた時、牛鬼が口を開いた。

「今日から霜月だな」

雪麗は洗濯物を干しながら適当にあしらう。

「そうね」

「霜月と言うのだから、霜が降りるのだろうか」

雪麗は篭を持って場所を変える。

「そうね」

牛鬼も着いてくる。

「霜が降りればもう冬だが…」

「そうね」

「そうか、もう霜月…霜月か」

雪麗はぴたりと止まった。

そして息を吸い込むと、洗濯物を篭に投げ入れてぐるりと振り返った。

「さっきからなんなの!?鬱陶しい!」

びしっと牛鬼の鼻面を差す。

「私は忙しいの!用があるならさっさと言いなさいよ、能面男!」

しかし、牛鬼は臆することなく、突き出された雪麗の手を包んだ。

「ちょっ…」

当然ながら雪麗はたじろぐ。

牛鬼は雪麗の指を開かせて、そこに懐から出したものを乗せた。

「これは…」

それは櫛だった。

柘植(つげ)に朱の漆を塗り、蒔絵で仕上げた上等な品だ。

「…どうしたの」

「市場で買い求めた」

「そうじゃなくて、どうして私にって聞いてんの」

牛鬼は視線を上げる。

ようやく目が合った。

「今日はお前の産まれた日だと聞いた」

雪麗は目を見開いた。

己ですら、忘れていたのに。

「いったい誰から……って、総大将しかいないか」

後半は独白のように呟いて、雪麗は掌に乗った櫛を眺める。

よく見れば、蝶が描かれていた。

雅な蝶が水面の上を優美に舞っている。

――この着物と同じ……。

不可抗力で胸が熱くなった。

雪麗はふと己への熱い視線を感じて、慌てて背を向けた。

「…ま、まぁ、どうせ必要なものだし、貰っておいてあげるわ」

櫛を懐にしまって、残っている洗濯物をひっつかむ。

「雪麗」

「何よ…まだなんかあるの」

「後ほど、散歩に行かないか」

何故だろう、嫌とは思わない己がいる。

「…やることがなくなって、暇で暇で死にそうだったら、付き合ってあげなくもないわ」

あとで髪を梳いてみようか。



《後書き→》
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ