BOOK2
□弓張月
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草木も眠る丑三つ時。
一寸先さえも不確かな闇の中を、若い男は必死に駆け巡る。
津波のように押し寄せる恐怖は、己を嘲笑うかのようにぴったりと付いてきていた。
時折聞こえる女の高い声。
路地裏に入り込んだ若い男は追跡者をまいたことに安堵したが、気がつくと目の前に"それ"がいて腰を抜かしてしまった。
助けて。
そう言おうとしたが、体が震えてうまく言葉が出ない。
「そんなに怯えないで。すぐに楽にしてあげる」
楽しそうな声が辺りに響く。
細い月の僅かな光が照らすのは、艶やかな黒髪の妖艶な美女。
世の全ての男が堕ちるであろう容姿に似合わぬ冷たい光をその瞳に携えて、彼女は男を見下ろしていた。
「光栄に思いなさいな。この私と共にいられるのだから」
「だ、誰か・・・」
恐怖が体を支配する。
これが夢であったならどんなにいいか。
だが現実は、冷たい風が頬を撫でていた。
動けない。
「こんな時分、誰も来ないわ。いるのはあなたと私だけ」
彼女は男の顎をくい、と持ち上げた。
「さぁ、受けてご覧なさい。呪いの口吸い――」
互いの唇が触れる、その瞬間。
「止めろ!!!」
突然現れた男は、驚いた女を尻目に若者をぐいと引き離した。
「死にたくなければさっさと失せろ!」
睨まれた若い男は立つこともままならないらしく、ヒィヒィと喘ぎながら這うように逃げて行った。
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