BOOK1
□雪山ノ理
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深い深い雪山を、男はひたすら歩いていた。
一歩一歩、足を踏み出すたびに膝まで雪に埋まる。
目を開けることすら困難な猛吹雪。
凍てつく風は、寒さを通り越して痛かった。
男はただ、東北に趣味の登山に来ただけだったのだ。
それが、どこをどう道を誤ったのか。
どのくらい経ったか、どちらへ向かっているかすら分からない。
ただ、立ち止まれば命は尽きるだろう事を本能で感じ取り、男は無心で歩き続けた。
「―――……」
声が、聞こえた気がした。
男は足を止めた。
唸る風の中、どんな小さな音も聞き漏らすまいと耳をすます。
「……もし………」
今度ははっきりと聞こえた。
鈴の鳴るような、綺麗な女の声だ。
「…もし、そこの殿方…」
男の前に美しい女性がいた。
いつからいたのか、気配を全く感じなかった。
色彩の無い世界で、彼女の髪の鮮やかな桃色が目に眩しい。
そもそも、まともに顔が見えないのに美しいも何もないが、男には何故か美しいと分かった。
「道に迷われたのですか…?」
彼女は尋ねた。
舌が動かなくなっていたので、男は小さく頷いた。
「…そう」
男の判断能力が正常であったなら、彼女の声に感情が込められていない事に気付いただろう。
唇が触れるまでに彼女が近付いた時、男はその金の瞳に魅入られていた。
「――此処は遠野。今なお妖怪の息づく隠れ里。人間は決して侵してはならないのよ…」
ふぅ、と息が吹きかけられた。
そこで男の意識は途切れ、二度と目覚める事はなかった。
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