BOOK(牛頭雪)

□憂いの月見酒
1ページ/2ページ


捩眼山の牛鬼組と言えば、指折りの武闘派として名を馳せる。

厳粛な佇まいの、その屋敷の濡れ縁に、青年は座していた。

立てた片膝に肘を乗せ、盃を持つ手を口許に運ぶ。

ころころと、蟋蟀が鳴いている。

満ちた月が、中空に浮かんでいる。

月見酒にはもってこいの、秋の宵であった。

黙したまま、青年は空になった盃を、傍らの女の目前に出す。

氷麗は、たどたどしい手つきでそれに酒を注いだ。

まるで夫婦のようだ、と氷麗は思った。

否、実際そうであるのだが、慣れないのだ。

「……どうした」

面を上げれば、牛頭丸が横目でこちらを伺っている。

「…別に、どうもしないわ」

ふい、と氷麗は視線をはずす。

「そうかよ」

牛頭丸は盃を傾けている。

表情が読み取れない。

ただ、慣れないだけ。

それだけの筈なのに、この胸にわだかまるものは何。

「アイツが気になるか?」

ぴくり、と肩が反応した。

誰のことかなんて、聞くまでもない。

かぶりを振りかけたが、今さら誤魔化しても無意味だ。

「…えぇ。気にならないはず、ないでしょう」

静かにとは努めたが、思いの外、声音が硬くなってしまった。

あぁ、そうか。

慣れないのは、隣にいるのが彼ではないから。

意にそまぬ婚姻ではない。

後悔している訳でもなければ、寂しい訳でもない。

あえてこの感情を言葉にするなら……そう、懐かしい。

氷麗を思考の渦から引き上げたのは、目の前に迫った盃だった。

見ればそれは、未使用のもの。

「お前も、少しどうだ」

どうだと言いながら押しつける牛頭丸を一瞥して、氷麗は盃を受け取った。

牛頭丸の手から、濁りのない液体が注がれる。

揺れる波紋と、そこに映る月を氷麗は見つめた。

きっと彼も、同じ月を愛でているのだろう。

祖父と父の血を色濃く受け継ぎ、情緒を愛する彼だから。

それから、氷麗は盃を静かに傾けた。

喉が熱い。

けれど、不快ではなかった。

氷麗は頭をもたげた。

曇りのない丸い月が、夜闇を照らしている。

「…なんて綺麗」

捩眼山の上空に浮かぶ望月を、氷麗と牛頭丸は無言で見はるかしていた。



《後書き→》
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ