進撃

□恋する楽園プラス
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眩しい。




 空は、今日も青い。澄み渡るような、快晴で。その空の色が、まるで溶け出したかのように、海は薄青。遠浅の海岸の白い砂に、日差しが反射して眩しい。リヴァイは、それらを見渡して目を細める。
 ここは、最近発見された海岸だ。それは、巨人がやって来ていたのとは別の方向の、山を越え入り組んだ道を行ったその先にある。壁内からは、馬で一日半もかかった。
 今日から一週間、泊まり込んで周辺を調査する。それが兵団上層部からの、命令だった。メンバーは、リヴァイの自由でいいという指示の元、かつてリヴァイの班にいた、104期の面々を中心に連れて来ている。
「周囲の警戒は、怠るな」
「今のうちに、馬の世話、済ませとけよ」
「日が沈む前に、とっとと食事の準備に取り掛かりますよ」
「安全が確認できたら、僕たちは今晩からの寝床作りにかかりましょう」
 あの頃、まだひよっこだった彼らも、今や一端の班長だ。何かを言わなくとも、てきぱきと自身の班員たちに指示を出している。もっとも今回の調査のための、臨時の班ではあるけれど。
「兵長、今から何人かで、海に潜って夕食の足しを捕って来ようと思うのですが、一緒にどうですか」
 銛を手にした、エレンだった。その背後で、何人かがぎょっと驚きの目を向けているが、彼の同期達は平然としたものだ。
「俺がか?」
「はい。この季節ならきっと気持ちがいいですよ。それに、近くに真水の川もあるようなので、身体もすぐ洗えますし」
 少し考える。以前、ハンジらと海へ行ったときは、まんまと落されたのだ。口に入った海水の塩辛さと、纏わりつくようなべたつきが思い出されて。
「いや、遠慮しておく。俺は、お前らが海へ入っている間の警戒に回る」
「そうですか」
 エレンは、あからさまにがっかりと肩を落とす。そんな風に素直に感情を出されると、罪悪感が胸をチクリと刺して、戸惑う。
「じゃあ、大物捕って来るので、期待していて下さいね兵長」
「分かった。期待している」
 だが当のエレンは、既に気を取り直したようで、もう満面の笑みだ。若者は、気切り替えも早い。リヴァイは、独りごちる。
 エレンは、自身の班員を連れて、さっそく砂浜へ降りて行った。すらりと伸びた背中を、リヴァイも視線で追う。今年入団の少年兵士が、エレンに何かを話しかけている。おそらくは、エレンに憧れているのだろうキラキラした目を向けていた。
 ああ、エレンにもあんな頃があった。
 リヴァイは、懐かしい記憶を掘り起こす。まだ古城を拠点にしていた頃だ。あんな風に親しげに話せる環境ではなかったけれど、エレンからの遠巻きの視線は、常に感じていた。
 例えば、立体起動装置を使っての訓練中、リヴァイが舞う姿を、誰よりも熱心に見つめていた。あの時は、気をよくしたリヴァイ自身も、少し調子に乗って、新兵には絶対マネ出来ないだろう複雑な操作方法までも披露して、エルドらに呆れた顔をされた。
 例えば、班員皆で囲んだ食卓、一番遠い席から、ちらちらと上目に見てきた。エレン本人は、バレないように盗み見ていたつもりだろうけれど、バレバレで、よくオルオ辺りにどやされていた。
 例えば、何もない空き時間、他の班員と無駄話に興じている時。特に気になったのは、ペトラと話していた時だったけれど、少し離れた場所から、様子を窺うように見ていた。目が合うと頬を染めて、あの大きな金緑の瞳をキラキラさせていたから。あの頃は、てっきりペトラに気があるのかと、思っていたけれど。
 あのキラキラは、何故だか今も消えていなくて、時々リヴァイの冷めた瞳をも眩ませるから困る。
「へーちょー、行ってきまーす」
 向こうから、間延びしたエレンの声が聞こえた。上半身は裸、下は裸足で裾をまくり上げた姿で、勢いよく手を振っている。同じ格好の班員たちが、何人もいるというのに、エレンだけが日差しを浴びて、キラキラと輝いて見える。
「おう」
 軽く手を上げて答えると、にかっと笑顔を残して、真っ先に薄青の中に飛び込んでいった。
 その瞬間、少なからず連れてきていた女性兵の一部からは、黄色い悲鳴があがったけれど、幸いにかリヴァイの耳には届かなかった。何故ならリヴァイは、先程のエレンの、まるで太陽の申し子のような笑顔に射抜かれた心臓が、鼓動を止めてしまったかのように苦しくて。
「兵長、大丈夫ですか。息してください」
 すぐ近くでアルミンの声が聞こえるまで、自分が息を止めている事にも気づかないで、固まっていた。
「本当にエレンってやつは、《兵長たらし》なんだから。困ったもんです」
「なんだ、それは」
 聞き捨てならない言葉を残して、台詞の主であるサシャは、自身の班員と共に既に通り過ぎていた。それぞれ手に桶を持っているから、水を汲みに行く途中だったのか。
 答える者のない問いだけが、空に溶けた。
 ふと視線を移動させると、アルミンはまだそこに居る。目が合うと、海の色より青い瞳でにこりと笑う。
「サシャの、さっきのは聞いていたか?」
「兵長たらしって発言ですか?」
「どういう意味だ、あれは?」
「言葉のままではないかと」
「俺は、たらされてるのか?」
「兵長自身は、どう思っているんです?」
 どう?
 それを考えた時、どういう現象なのか説明できないけれど、今度は目に映る風景の全てが、世界がきらきらする気がした。
 空の鮮やかな青も、眩しくて直視できない太陽の輝きも、その光を透かす白い雲も。視界を横切る海鳥の、逆光に陰る翼も。あまり踏み荒らされていない白い砂浜、エレン達がたてる波の揺らぎ。
 いつの間にか、アルミンはいなかった。自分の仕事に、戻ったようだ。そんなに長く、考え込んだつもりはなかったけれど、それなりに時間が経っていたようだ。
 我に返り視線を海へ向けると、タイミング良く、海面から顔を出したエレンが、リヴァイに手を振り、また潜っていった。
 そんな若者らしい、はつらつとしたエレンの姿を見ると、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。彼の少年時代は過酷で、他人には計り知れない重責を背負わされていた。それは、見ていて痛々しいくらいで、いつか押し潰されてしまうかもしれない、そう心配してもいた。立場上、あまり態度には出せなかったけれど。
 勿論、地下で暮らしている子供たちの方が、もっと悲惨ではあった。けれど、それでも巨人の存在に触れなくて済んだのは、それだけは、いくらか幸いだったかもしれない。人が巨人に引き裂かれ、生きたまま食われる様を知る者としては、尚更に思った。
 そんな薄暗い過去に思いを馳せていると、不意に、跳ねる水音が耳を掠めて、リヴァイを今に帰してくれた。
 夕食の足しを捕ると言っても、食料は持って来ている。若者ばかりのこともあって、半分以上は、水遊びの延長みたいになって時々、はしゃいだ声が海を渡って砂浜まで届く。上官によっては、そういうのを許さない者もいるが、リヴァイは命の危険を冒さなければ寛容だ。特に、今の調査兵団で、そんな厳しいことを言っていたら、新人など入って来ないし続かない。
 せっかくエレン達104期の、活躍のお陰で、訓練兵団卒業時の成績優秀者も、何かの間違いのように入って来るようになったのだ。
 そもそも巨人のいない今では、兵団の意義も変わった。そんな中では、先細りの調査兵団でも、万が一に備えて存続させるのが、リヴァイたち幹部の役割だろうと理解している。ならばリヴァイも今の時代の流れに合わせて、多少の羽目を外すくらいは、大目に見てもいいだろうと考えるようになった。
 全ては、後続のため。
 それに、若者たちの楽しそうな声は、いい。平和の象徴のようで。
 海中の魚を狙う海鳥が、高く鳴いて過ぎていく。まだ夕方には遠い今、日差しはけして弱くなく、子供時代を地下で暮らしたリヴァイには、少々辛い。
「兵長、これ。ハンジ団長が、持たせてくれた」
 急にリヴァイの付近だけ、影が差した。
 女性には似つかわしくない力強さで、それを差し出したのは、ミカサだ。
 パラソルとかいうそれは、日差しの強い海岸での日除けにと、ここ数年で出回るようになった。砂浜に挿して立てると、出来た日陰に2、3人は入れる大きさだ。旧王制崩壊後に発見された、文献から再現されたものだ。
 ところで今現在、リヴァイ班というのは存在しない。そもそもが、数が居ない調査兵団員だ。巨人も居なくなった今、調査で壁外を出歩く時以外、それほどの人手もいらない。今でも変わらずリヴァイの側にいるのは、エレンくらいだ。
 リヴァイ以外の全員がエレンと同じ104期という構成の、実質最後となったリヴァイ班を解散させる話が出た時、班員全員が反対した。好かれてはいないと思っていた、ミカサも入っていて、内心驚くやら、感動するやらで。そんな記憶も、今は懐かしい。
 それがどういう手段でか、エレンだけは、兵団どころか、たった一人リヴァイ班に残った。そのからくりを、エレンは今でも明かしてはくれない。
「兵長、粗方野営の準備はできました。夕食のメニューは、彼らの戦果次第です」
 報告に来たアルミンが、ウィンクをしながら海を指さす。
 ちょうどその時、波打ち際では、歓声が上がった。
「流石ですエレンさん」
「すっげぇ」
 波に膝下まで浸かった状態で、立ち上がったエレンが手に持っている銛には、両手で抱えるほどの大きさの立派な魚が。
「兵長、やりました!」
 満面の笑顔を浮かべたエレンが、向こうで手を振っている。そのまま、バシャバシャと水を掻き分け浜へと上がってくる。
 リヴァイのところまでやって来ると、白い歯を見せてニカッと笑う。
「塩をたっぷりかけて、皮までカリカリに焼いたら、きっと美味しいですよ」
 目がチカチカする。
 今日一番、眩しい光景にリヴァイは、ただ目を細めた。

 

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