「江戸を斬る」

□黎明篇
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【設定】
遠山金四郎…13〜4歳。元服前なので、本当は幼名を名乗っているはずです。
おゆき…8〜9歳。
キャストの実年齢差を元にしました。



いまだ元服前の、垂らした前髪を掻き上げながら、金四郎は思う。

剣術は、好きだ。道場でも筋が良いと言われ、同年代の少年で、金四郎と対等に立ち回ることができる者はいない。
学問もしかりだ。論語をそらんじ、孫子の兵法を学んでも、誰にも引けを取らなかった。

だが。

それが、何になる?

さきごろ、兄が元服を済ませた。家督を継ぐのは、長男である兄と決まっている。自分の将来について考えるとき、金四郎はたまらなくささくれ立った気持ちになる。

直参旗本とはいえ次男坊の自分は、部屋住みの冷や飯食いになるしかない。希望など持てない。

自らの手で道を切り開くことなど及びもつかない徳川の世で、それを考えると、気持ちが沈む。
剣の稽古も、学問も、続けていたとて役立てる機会があるのだろうか。

(かと言って、今の俺には、他にするべきこともない)


いっそ、町人に生まれていれば良かった――――ときおり、そんなことまで考える。

日本橋のたもとには、大店が立ち並んでいる。道行く者たちは活力にあふれ、生気がみなぎっている。継ぐべき「家」のことなど頓着せず、生家を離れて奉公に出ることだって、町人なら、出来るではないか。


金四郎はそんな晴れやらぬ心を持ったまま、屋敷に真っ直ぐ帰ることもなく、そぞろ歩いてみる。足取りだけは、律動的に。

遠山の本家がある四ツ谷から、後楽園や小石川あたりの大名屋敷が立ち並ぶ上品きわまりない町並みは、退屈だ。

将軍様のおはしますお城を横目に、神田川沿いをあてどなく下って行くのが、金四郎のいつもの散歩道だ。


(おや、こんなところに道場があったのか)

何となく曲がった角の奥から、竹刀がぶつかる音や、男たちの掛け声が聞こえてきて、金四郎は足を止めた。

自分が通う道場のことはよく知っているが、他はどうなのか。若い好奇心が湧きあがる。

出入口のあたりにいた幼い少年は、自分より頭ひとつぶん背の高い金四郎に向かって、それでも気丈に、「他流試合は禁止です」などと、とがめだてする。「いいじゃないか、ちょっと見学させてもらうだけさ」軽くいなして、窓にへばり付いて覗き込む。


北辰一刀流。水戸家の殿様が庇護しているという流派だ。
千葉周作に師事しているのは、たくさんのごつい少年たちだった。力など入っていないような動きで、相手を薙ぎ倒すのが特徴だと聞いているが、いま集まっている連中は、技よりも力を誇示したがる性質だと見て取れる。

(あれじゃあ、せっかくの教えも猫に小判だ)

心の中で悪態をつきながら、ある一点に目が留まる。

居並ぶ少年たちの末席に、小柄な少女が混じっているのだ。

(あんな女の子も剣術を習おうっていうのか?)

武家の娘だろうか。それにしても、やんごとなき生まれならば道場に通わせたりはするまい。

(わけあり、かな?)

そんな想像をめぐらせたくなるくらい、その少女の顔立ちは美しく目を引いた。





竹刀の音。体の大きな男の子たちの声、汗、息遣い。

(どれも嫌いじゃないわ)

大人しく座って先輩たちの技を見学しているそぶりで、おゆきの心は別のところにあった。


おゆきの「母」は、まだ手のかかる幼い妹の世話に手を焼いている。女手一つで魚屋を切り盛りするのだって、並大抵ではない。
「まったく、こう忙しくちゃあ、猫の手だって借りたいよ」そんな愚痴をこぼしているくせに。おゆきには、手伝いよりも剣の稽古を優先させる。他にも、手習いや行儀作法を、「母」から教わっている。それこそ、寝る間を惜しんで、教えてもらっている。こんなことをして、何の役に立つものか、幼心地にも不思議だ。

「わたし……もう、お稽古するのは嫌。家の手伝いをした方がいいと思うの」

思い切ってうったえてみたら、「母」の顔色が変わった。

「いけません。あなたは他の子どもたちとは違うのです」

「おっかさん……? どういうこと?」

ふだんは絶対こんな言葉は使わないのに。
ただならぬ何かを感じて、それ以上問いただすことが出来なくなってしまった。


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