Gruen

□Krankheit des Geistes 〜 闇の病み
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日はとっぷり暮れているというのに、店内の灯りと言えば蝋燭だけ。奥のカウンター部分に、ぼんやり浮き上がる葬儀屋のシルエットは、変わらぬ超絶テライケメンだ。いや、それは自明の理として。

今日は明らかに、いつもと違った空気が渦巻いている。
何よりも。

「今日のシフトは、早じまいだったはずだよねぇ〜?」

取りすぎるほどに間を取って、おもむろに発せられた声は、聴覚をイイ感じに刺激するエロティック・バリトンだ。

美声ゆえ、どんなセリフもイカしているのだが。何を言っても許されるのは、美声の持ち主だけの特権だが。当然、駄声だったら生きる価値ナシだが。

今日の葬儀屋の「気」は、どこかおかしい。語尾のへにょり具合が、いつもより甚だしいのにも、殊更ゆっくり肌を撫で回されているかのようだ。

前髪の奥は見えないが、上目遣いの角度になっているし、どことなく探りを入れているようでもある。

のたうつ蛇のごとき特異な抑揚は慣れると心地よくて、愛されていることを実感させてくれる。の、だが。


ナニカガチガウ


返事にためらっていると、葬儀屋は更にたたみかけてくる。

「仕事を張り切りすぎなんじゃないかぁああい〜? 死亡予定日は、二週間も先だよねぇえ〜??」

「そっ、そんなコト知ってたの?!」

「きみのことなら、何でも知りたいからねぇえ」

引退した今でも、葬儀屋が死神派遣協会の事情に通じていることには変わりない。

その気になれば、任務の割り当てから掃除当番、タイムカードの打刻時間に給与明細にいたるまで、容易に調べがついてしまう。

あくまで、その気になれば。

これまでは、ここまでではなかったのに。

グレルのことを心配しすぎるあまりなのか。それとも、グレルを拘束したいから監視しているのか。

そんな二択が頭に浮かび上がってきて、ちょっと背筋が震える。

この時代にストーカーという言葉はなかったが、現象としてはいくつも知っている。
並以上に執念深くてねちっこい性質ゆえに、例外なく陰惨な流血沙汰に発展したので、興味を持ってシネマティック・レコードを見たものだ。

「あ、えっと、お、オフィスの片づけしてたら、遅くなっちゃって……」

「ほぉおお〜〜」

「…………」

そうだ。こんな様子でいてさえ超絶テライケメンな男も、葬儀屋以外に知らない。

いまだにグレルは、こうして見とれてしまう。魂が抜かれるのではないかと思うほど、釘付けになってしまう。

くだんのストーカー事件では、当事者が見映えのしない男と並程度の女だったから、冴えない末路をたどることになった。

自分たちなら話は違う。自分たちみたいな最強の死神カップルの場合、血みどろの深紅の事態も華麗に演出できちゃうに違いない。

そんな、根拠のない自信と思い込みが、グレルの主たる構成要素だった。

「備品の管理は管理課、整備は庶務課の仕事だよねぇ。きみみたいな回収員さん達なら、定時に退勤して仕事終わりの駆け付け一杯に繰り出して行く方が多いと思うんだけどねぇえ」

「そっ、そんな、飲み会なんて、自腹を切ってプライベートを犠牲にしてまで、めったにしないわヨ」

「……うん。そういう心の中って、わからないよねぇ。小生には、きみの心を目で見ることは出来ない」

「………ッ」

(何? 何おかしな流れになっちゃってるワケ?)

グレルが固まっている間に、更に続ける。

「調べられるのは、外側の情報だけだ、一人で待っている間、不安と寂しさで押しつぶされそうになって、君の帰りが遅いと、待たずに寝ちゃえば良かったと思っても後の祭り。きみは外を走り回ってあっという間に感じる一瞬だろうけど、小生にとっては永遠に明けない夜みたいに感じるんだよぉお」

前言撤回。あのときの女は、見た目は並レベルだったが、男の数はグレルの数倍だった。そこは、真摯に受け止めるべき事実だ。悔しいけれど、グレルは経験値において劣る。その上、対峙する相手は、レジェンド・オブ死神界の葬儀屋だ。

執念深さも、ねちっこさも、葬儀屋の右に出る人間も死神も悪魔も天使も、見たことがない。



(勝てる気がしないワ……)


デスサイズでやり合っても無理だったのだ。転がって、サシで、肉弾戦を展開した場合、グレルに勝ち目などあろうはずがない。アレもソレも葬儀屋から教わったし、葬儀屋としかシたことがないのだから、手の内など知り尽くされている。戦う前から、結果は目に見えている。

獣のごとく研ぎ澄ました戦闘本能が、警鐘を鳴らす。

防衛本能が頭をもたげる。

(アタシ、どうなっちゃうの? ナニされちゃうの?)
  
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