位相転移

□Kein Name〜名前なんて、ない。
3ページ/10ページ



葬儀屋にとって、あの日のことは一時の戯れだったのだ。

(アタシ、馬鹿みたいだワ)

落胆するとか悲嘆に暮れるとかいうよりも、拍子抜けだ。

「気分が悪くなった」と適当なことを言って式典を抜け出して寮の部屋に戻り、何冊かの雑誌を捨てた。最近よく読んでいた、「付き合い始めが肝心! 恋人ともっと親密に」だの「人気のデートスポット特集」だのといった見出しが付いていた。

いい気になっていたのは自分だけ。一人で重く考えて、その気になってしまっただけ。葬儀屋にとっては、ほんの暇つぶしの戯れにすぎなかったのだ。

悔しいには違いないが、あんな超絶イケメンと一度でも関係した経験は、自分に箔が付くというものだ。一度きりのことでも悪くはないと思えるくらい、イイ男なのだから。

もう忘れてしまえ。レディだ乙女だと豪語したところで、本物の女でもあるまいし。


ようやく、そこまで思い至った頃。


死神伝書鳩が一枚のメモを運んできた。日時と「アンダーテイカー」のサインが書かれているだけの簡単なものだったが、グレルを呼んでいるという意図は理解できた。

伝説の死神に呼ばれているので仕事を抜ける旨を伝えると、回収課長をはじめ死神たちはワッとどよめいた。

(ほら、ご覧なさい。やっぱり箔が付いてるワ)

ロンドンの片隅、黒くくすんだ陰気な一角。その店は、店主が発する「気」に実によく似ていた。

「ハァイ。 どういう風の吹きまわしで、伝説の死神サマともあろう御方がアタシごとき一介の死神を呼んで下さったの?」

親しげな空気は無意味。愛想を振りまいても邪魔なだけ。つとめて硬い声を装った。せめてもの意趣返しの嫌味のつもりだったけれど、それらしい笑顔は作れやしなかった。

もっともっと、なじってやりたかったのに、葬儀屋の「ヒヒヒ……」という感情の読めない笑いに制され、そのまま近づいてきた唇で呼吸を奪われ、続く愛撫で何もかも封じ込められてしまった。

良く言えば丁寧、悪く言えばしつこいほどの愛撫は、何かをこじらせているかのように、求めているかのようだった。

多少の恐怖と、違和感。けれど、だんだんグレルも慣れてきて、一度のキスでは物足りなくなる。唇が放された後、ぷるぷる震える唇をもてあまして、葬儀屋の首にしがみついてねだる。

果物でも剥くように裸にされて、あちこちをまさぐられる。

剥き出しになった中心に軽く口づけられると、さっきまで唇で捉えていた葬儀屋の冷たい口内と濡れた感触が甦って、ひどく昂奮した。

「ソ、ソレ……」

己の肉体の性に不満を持つグレルとしては、オスの象徴たるソレで性感を得ることに抵抗がある。ゆえに、いっそう昂奮する。

「んー? ココは、あんまり好きじゃないかぁい?」

それに気付かないほど経験値が低いわけでもあるまいに、葬儀屋はあえてソレを解放し、体を上にずらしてくる。

「ああ〜……こっちには、可愛らしい花が咲いているねぇえ」

そんなことを言いながら、今度は胸への愛撫を始める。

それも、先端ではなく乳輪の、さらに外側を円を描くように指を這わせ、唇で後を追って行く。

そんなところ、いくら触られたって何もないはずなのに。どうせなら、胸にほおずりでもしてくれ。女を相手にするみたいに。直接には触られなくても、葬儀屋の冷たい口内に含まれて、器用な舌で転がされるイメージが襲って来て、先端の果実はピンと硬度を持ち始める。まるで、誘っているかのように、熟れてゆく。

そんな行為を、飽きることなく続けた。

ようやく挿入される段になるとグレルは、理性はおろか正気すらも保てていないような状態で、喘ぎを通り越した叫び声を張り上げて、葬儀屋を受け入れたのだった。

長い長い時間をかけて、再び最奥を貫かれる頃には、自ら腰を振って快感をたぐり寄せることまで覚え込まされていた。

身を貫く痛みと、快感。それを与えている、得体の知れない不気味な男。

薄れゆく意識の中で再び、こういうものなのだとグレルは理解した。


そんなことが幾度かあって、今では2人が営むことには理由付けがいらなくなっている。

葬儀屋は時間が空いた時に気軽に呼び出すし、グレルだってロンドンでの仕事の合間に立ち寄り、お茶を一杯ご馳走になるだけで帰ることもある。

そんなふうだから、いい加減はりつめた状態で、お客が来たからと放置されたこともあった。生きているお客は自分の都合で不意にやって来るものだ。グレルだって自分の都合でここにやって来るし、葬儀屋も自分の都合でグレルを呼び出す。

いかにも奇妙な、落ち着きとも言えない落ち着きをもって、2人の関係は続いていた。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ