位相転移
□Die letzte Blume〜最後の花
1ページ/6ページ
〈ご注意〉
マダム×グレル
オメガバース設定につき、それなりに大人向けです。
「赤いドレスをいっぱい持ってるのネ。羨ましいー」
グレルはうっとりと目を輝かせながら、1枚ずつ手に取って目の前で広げて、楽しむ。
「マダム・レッドの通り名はダテじゃないのよ。それよりグレル、遊んでないでチャッチャと手を動かしなさい。仕舞っておく服と、風に当てておく服を仕分けしないと」
「だってー、こんなに綺麗な刺繍にフリル……アタシも着てみたーい!」
男爵夫人アンジェリーナ・ダレス。若くして夫に先立たれたので、今は彼女が男爵家をきりもりしている。医者として、男たちに交じって病院での勤務も遜色なくこなしている。屋敷のことを任せる使用人は、何人でも欲しいところだった。
新しく執事として雇ったグレルは、はっきり言って仕事ができない。のみならず、今もワードローブの整理を教えているところだというのに、脱線してばかりだ。
もとより仕事を覚える気などないのだ。執事と言えば、貴族の屋敷の使用人頭。そんなことではいけないのだが、グレルには別の重大な役割があるので、目をつむっている。2人だけの時は、素のままの独特な言葉遣いも許している。
「ね、この中だと、このスパンコール付きのがいちばん目立つわよネ。生地も光沢があってツヤツヤだし」
「ああ、それね。3番街の店で作らせたやつ。私も気に入ってるけど、1か月前の夜会で着ちゃったから、仕舞っておいて」
「同じ服を着ちゃいけないの?」
「貴族のプライドよ。夜会のたびに新調するくらいでないと舐められるの。ケチだとか落ち目だとか陰口をたたかれかねないの」
「……めんどくさーい」
「あんたの世界ではドレスを着るような機会、ないの?」
「残念ながら、黒いスーツで事務仕事するヤツが大半ヨ。アタシは外回り担当だから、まだ自由がきく方だけど」
グレルが所属しているという死神派遣協会とやらのことは、よくわからない。訊けば答えてくれるけれど、そもそも生ある人間が首をつっこむことなど、あってはならないのだろう。
そんなふうに、思ったまま言ってみると、誰も興味を持ちやしないわヨ、と返事が返って来た。だからアンジェリーナも面倒になって、その手の話はしないことにしている。
それ以前に、グレル相手だと話題が尽きないのだ。
グレルと話すと、なぜか心が軽くなる。何も知らない少女の頃に戻ったみたいになる。
「夜会服って、芸術的よネ」
今も、こうして女学生みたいなネタを振ってくる。
「こんなにヒラヒラでゴージャスなのに、ダンスが出来ちゃうんですもの」
「そうね、ダンスは優雅に見えて実際のところ激しい動きもあるしね。体力や筋力がないと見栄えのするポーズを取れないわ」
「人間の体って、不思議ィ」
妙なところに食いついて来るものだから。
「男は女の見た目の華やかさや可憐さ、豊満な肉付きに吸い寄せられて、隙あらば下半身の奥にずっぷりとハメ込んでやろうと、虎視坦々と狙ってるのよ」
「ずっぷり……ヤだぁー!」
ほら、この程度で赤面して黄色い声を上げる。死神とは言っても、見たところ人間と変わらない姿をしているのだから、性別が男であることは確かだろうに。
「ダンスをスムーズにこなすために、夜会服にはいろんな工夫が施されているのよ。特にスカート。それに靴」
「スカートは、張りのある生地でうーんと裾が広がってるのがいいわよネ。中もレースたっぷりのペチコートを何枚も重ねるのが、お姫様っぽいワ」
グレルは、こんなにも無邪気なこと、この上ない。
「それだと、衣擦れの音がシャカシャカするわね」
「いいじゃなーい。ゴージャスさの証。いかにもセレブって感じで」
「なに言ってんの。ひとけのない所だと、けっこう響くわよ。足元の可動域を確保しておくのも、必要だし。スカートを持ち上げる手が塞がっていたり、汚れていたりすることも考えておかないと」
「あー……」
ここまで言ってやると、ようやく思い至ったようだ。
「そうネ……アタシたちには、『その後』があるものネ」
人畜無害だったグレルの表情が、変化する。
「そっちの方が重要でしょ」
アンジェリーナが声を落として続ける。
重厚な扉ごしに声は漏れないはずだが、ことがことだけに念には念を入れなければならない。廊下を行き来するメイドたちに、ひとことたりとも聞かせないように。
「フフ……その通りネ。目的地まではアタシが飛ばしてあげるから、ターゲットを前にした時、足にまとわりついて邪魔になったりしないスカートが必要だワ」
.