位相転移

□Die letzte Blume〜最後の花
3ページ/6ページ



「ね、グレルを見なかった?」

広い屋敷で、すれ違うメイド達に尋ねてみるが、誰も知らないと言う。

今日は夜まで病院に詰めて、うんと働いた。わがままな患者の話に付き合わされたことや、寄生虫に冒されて「袋」が腫れ上がった男の話など、ワインでも酌み交わしながら話したい。

そうすることが、最近すっかり習慣になっていた。そうしないでは、眠れる気がしない。

なのに、いつもなら居間に控えているはずのグレルの姿が見当たらない。

仕方なく自分の部屋に戻って来たアンジェリーナは、すぐさま言葉にできない違和感を覚えた。続いて、奥にある寝室のドアを開けて、ぎょっとする。

探していた者が、自分のベッドに横たわっていたのだから。横たわると言うよりは、頭からシーツにくるまって、外界から身を守るように、隠れるように、小さく震えていたのだから。

「……どうしたの?」

アンジェリーナは、驚いていた。悲鳴を上げたいくらい驚いていた。

けれど、グレルの様子が尋常ではないので、ひと呼吸おいて、穏やかに問う。病苦と不安とに怯える子どもに話しかけるみたいに。

「マダム……お帰り、なさい……」

だからグレルも、たどたどしくはあっても返事が出来た。

「ベッドメイクって、したことなくて……やってみようと思ったら、マダムの匂いがして、フカフカのベッドで……いきなりカクンときちゃって……もうちょっと先のはずだったんだケド……」

まるで要領を得ない話しぶりだが、意識や言語中枢には支障がないことがわかって、少し安心する。

「熱は?」

額に手のひらをあてがうと、目に見えてビクッとするので、すぐに手を退ける。

「熱とは違うみたいね。痛いところはある? 吐き気とかだるさとかは?」

医者らしく的確に問診を始めると、グレルは意を決して、おずおずと語り出す。

「病気じゃ、ないのヨ……アタシの『第二の性』のおかげで、時々こうなるの」

第二の性。太古の昔、人間にもあったと言われるが、今では神話かおとぎ話の領域だ。アンジェリーナが修めた近代的医学の理念には相反する。

しかし、目の前で苦しむグレルの姿は、聞きかじった話の、絵本で見た姿の、まさにそのもので。さすがのアンジェリーナも動揺を隠せない。

「まさかあんた、オメガ……その状態は、ヒートなの?」

グレルは力なくうなずく。

「さすが医者ネ……知ってるなら話が早いワ……」


グレルが、ふだんは私室の奥の奥にしまいこんである私物のポーチの中に、錠剤が入っていると言うので、取って来て飲ませてやる。

本当は自分の持ち物を人に触られるの嫌なんだけど、などと憎まれ口をきけるようになるまで、さほど時間はかからなかった。

「抜かりはないワ。自分の体のコトですもの、これくらいの準備はしてるわヨ」

まだ本調子には見えなかったが、うずくまっていた体を起こして、座って話が出来るようになったので、アンジェリーナも隣に座る。

「ヒートに入ると、体がこんなになっちゃうから、何も手に付かなくってネ……抑制剤がなきゃ地獄ヨ。うじゃうじゃ寄って来る輩もいるし」

これが人間だったら、ヒート状態を目の当たりにしたところで、簡単には信じられなかっただろう。死神という種族のことだって、何ひとつ知らない。ただ、グレルが人外の存在であることだけは理解していたので、何となくストンと腑に落ちた気がした。

「そういう輩に何かされちゃったりするって……本当にあることだったの?」

訊きづらい話ではあるが、アンジェリーナの医学者としての好奇心がムクムクと沸き起こる。

古い文献に書いてあった知識しかないので、現実味などあろうはずがない。人間は、太古の昔にそうした性を持っていたが、長い長い歴史の中で「進化」して、消滅した要素のはずだ。死神という生き物には、歴史どころか現状だというのか。

グレルは、ぽつぽつと語る。

自分が生まれ育った辺境の地では、どこかしら変わった外見を持つ死神が少なくないが、尖った歯の形状を持つ者はグレルだけだった。幼い頃から冗談まじりに「お前、オメガじゃないのか?」とからかわれていたが、検査年齢に達していなかったこともあり、取り合わなかった。ずっと、他人事だと思っていた。

「死神学校のジュニア・ハイスクールの時だったワ。初めてのヒートで、アタシ自身どうしていいかわかんなくて。隣の席のブサイクが『コイツ、ヘンな匂いがする』とか言い出したのヨ。いわゆるオメガのフェロモンってヤツね。ガキだから、そういう言葉も知らなかったの。ホントだホントだ、ってみんなが騒ぎだして。
そこに入って来た教師が、一瞬で目の色を変えて、鼻息を荒くしたのに気付いたから、アタシは本能的に逃げ出したものヨ。本当に自分がオメガだったなんて、そしてオメガだと、あんなに周りの奴らを巻き込むなんてネ。
抑制剤は安くないから、充分な量を買えない時は、学校を休んで閉じこもってやりすごしてきたワ」

普段のテンションの高さはなりを潜めて、ゆっくりと語る。その口調が、長いあいだ己の「性」に苦しめられてきたことをうかがわせて、アンジェリーナは胸を締め付けられる。

「アルファに出会ってツガイを作ったら、改善されるんでしょ?」

「無理ヨ」

グレルはぱっきり言う。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ