Rot U
□Willkommen〜葬儀屋へようこそ
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翌朝。
「それじゃあ、行ってくるよぉ」
「行ってらっしゃーい! 気を付けてネ! 後のコトは心配いらないからネ!」
ぶんぶん手を振って送り出す大きな声は、狭い横丁に反響する。
「さぁっ! いよいよ、このグレル・サトクリフが美人の売り子としてノクターン横丁にデビューする時が来たワっ! 人間どもをトリコにしちゃいますDEATH★」
と、誰も見ていないのに決めポーズを作るグレルだった。
〈お客・その1〉
「さぁて。愛するダーリンを送り出した後は、まずは掃除よネ。冬だけど、水撒きしまショ。凍り付いて、誰かがすっ転んだって、そいつのサダメよ。スッキリさっぱり清潔にするのは基本よネー!」
外気温はけっこう低いのに、赤い神父服の袖を肘まで捲り上げているのは、体感温度が無闇に高いからなのか、赤血球が煮えたぎっているからなのか。
その姿を見て猥雑だと感じるか、快活だと感じるかは、見る者次第だ。
バチャッと水を撒いたところに、見るからに高価そうな身なりをした壮年の女性が立ち止まった。
「あああああ、失礼を……!」
こういううっかりに対しては、かつて演じた「貴族のレディに仕える執事」のキャラクターが有効だ。だから、とりあえず平謝りに謝る。
続けて、「死んでお詫びをぉぉ」とでも叫べば、たいていの人間は許してくれるものだ。だが、相手は。
「この前のお葬式の代金を支払いに来ました」
能面のごとく固めた表情で、ぼそりと来意を告げる。
「え……」
どうすれば良いのだろう。
価格も、売上金の管理方法も、管理場所もわからない。八百屋か何かのようにレジもなければ金庫もないのだ。少なくとも、グレルの知る範囲では。ラミネート加工された、メニューとプラン一覧表(価格表示付き)も、常備されているはずなどない。
だが。
「あ、あのー、えっと……」
舞台を仕切る女優が、客の前で「知らない、わからない」などと言うのは、プライドが許さない。
ぐるぐると思考回路をめぐらせるグレルをどう思ったのか、その客は。
「お値段を聞きそびれていたので、この前ご店主が他のお客さんから受け取っていらした額の3倍つつんで来ました。これで足りると思います」
「あ……じゃあお釣りは……」
「いりません。そのままお納め下さい。その代わり、私どものことは、どうか内密にして下さい」
なるほど。そういうことか。
大金を持った奥様が、一人で歩いてくること自体、他人に知られたくない事情があることの証だ。
「わかりました」
すぐさま空気を解読したグレルは、ニヤリと口角を上げて、タチの悪い笑いを浮かべる。
「でも、店主が他のお客様と間違えるといけないので、こちらにサインだけお願いしますわね」
「はい……では、お世話になりました」
鳥の足跡のようなサインを残して、お客はグレルを見ようともせずに、そそくさと出て行った。
死神の特殊な視力をもってすれば、本名を探り当て、その縁者のシネマティック・レコードを死神図書館で特定することも出来るが。
「ま、そこまでしなくてもイイでしょ。アンダーテイカーだって気付いてるわよネ」
自分が気付いたことに、葬儀屋が気付いていないワケがない。
人間社会の隠れたところで悪事が行われていようとも、虐げられる者がいようとも。
「当事者が泣き寝入りを選んだのなら、知ったこっちゃないワ。復讐なり裁判沙汰なり、したけりゃ自分でヤルでしょ。それにしても……」
これまでは、葬儀屋の仕事といえば、検死や埋葬の作業か、教会でのセレモニーの様子しか知らなかったが、裏にはこんな人間模様も隠されているものなのか。
「ふーん……意外にいろいろアリな商売なのネ。退屈せずにすみそう」
グレルは、獲物を前にした爬虫類のように、赤い舌をぺロッと出して引っ込めた。
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