Rot U
□Liebes licht(1)
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少し乱れた前髪の隙間から覗く左目に、唇を落とす。軽くついばんで、銀色のまつげの舌触りを楽しむ。葬儀屋の骨ばった手は、グレルの上体を支えるようにも見えながら、はだけられたシャツの袷に侵入して、胸元を這い回る。
「ア……っ」
そちらに気を取られていると、思わせぶりに首筋に吐息を吹きかけられたので、お返しとばかりに瞳を横切る傷跡を舌で辿る。
「ヒヒ……仔犬ちゃんの柔らかい舌が、気持ちいいねぇ……」
「良かったワ。だったらコッチも」
してやったりと、グレルは気を良くして首を横切る傷跡を征しにかかる。
いちど傷ついたところは敏感になると教わってから、葬儀屋の傷跡をイジるのが日課になった。他にも、ふだんは人目につかない胸板や背中や腹にも、細かい傷はたくさんある。そのうち多くはグレルの歯や爪によって出来たもので、ひとつ治癒したかと思えば新しいものが幾つも出来るような営みを、飽きることなく繰り返しているのだ。
知ってしまった歓びを、知らなかった頃には戻れない。等価交換が、この世の理(ことわり)だが。
「小生は、きみといると、いいことずくめだよぉお」
「アタシも、アタシもヨ!」
グレルは力をこめて同意する。
物心ついた時分から周囲と相容れないものがあって、ろくな友達もいなかった。好きになった相手は男ばかり、それも、誰一人グレルに応えてはくれなかった。一人だけ特別な存在だった女がいたが、皮肉にも、彼女の髪よりも赤い血を流して引導を渡したのは、グレル自身だ。
そんな過去を振り返れば、葬儀屋とラブラブモード全開でイチャイチャ出来る現状は幸せの絶頂を突き抜けて、今すぐ昇天しないのが不思議なくらいだ。
「……ただ、ネ……」
それでも、気になることはあるわけで。
「……朝に弱くなった、ワ……」
不似合いなほどモゴモゴして、小声で言ったのは、そんな言葉だった。
日がな一日ノンストップなハイテンションと汲めども尽きぬ体力を誇るグレルだが、さすがに「翌朝」は、いろいろ後遺症が残っていたりする。
それでも、他ならぬグレルがこれ以上ないくらいに楽しんで燃えたぎった結果なので、基本的には何も言えない。下手に言い立てると、葬儀屋がコトに及ばなくなったりしたら大変だ。いくらでも及びまくってほしいのだから。
……と心配していたら。
「責任とって、小生がぜぇえんぶ面倒みるよぉお」
「アンダーテイカぁぁ……」
嬉しい。ハートマークを乱舞させた口調になっちゃうほど、嬉しい。
嬉しいのは間違いないのだが。
あんなトコロやそんなトコロまで丁寧を通り越した執拗な手つきで拭われマッサージされるのは、恥ずかしいし、下手をすれば熱が再発してしまう。
「う……ほどほどに、お願いします……」
明日は峠を越えて、少し離れた湖畔の町まで足を伸ばす予定だ。人間みたいに、山道に咲くエーデルワイスを摘んでみたい。お花畑があったら、駆け回ってもみたい。お昼寝は……一人で無防備に眠ると叱られるから、葬儀屋と一緒に、してみたい。
「ちょっとでも万全に近い状態で、行きたいデス……」
「だぁあめ。すぐにはイカせてあげないよ」
「イクって、あの、ソッチの意味じゃなくて……」
葬儀屋を受け入れることに慣れつつある体は、否応なく反応を示す。
山に特有の冷えた空気が室内に満ちる。それを心地よく感じるほど、2人の体は熱をはらんでゆく。
そんな小屋の外には、一頭の雄山羊が様子を伺いでもしているかのごとく佇んでいた。
ヨーロッパの山に山羊が棲息しているのは、当たり前のことなのに。通りかかる人間がいたとしとしても、気にも留めないくらいのことなのに。
山羊は、有益な家畜であると同時に、悪魔の使いとされている。
山は、人間の手が入りにくいことから、往々にして悪魔の宴の場となることがある。こんな闇夜の晩には特に、人間が近づくはずもない。
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