Rot U

□Badezeit〜バスタイム
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「入浴剤、どれがいいかぁい? 用意があるのは、ワイルド・フラワーの香りと、シトラスの香りと、それから……」

のったりと蛇行するイントネーションは、葬儀屋の常だ。今はバスルームに入ったばかりの通常運転の状態だから、その威力は、さほどでもない。長くは待たずして、体の中から黄泉の底まで響くような艶を帯びたエロティック・バリトンを奏でて、聴く者を官能の極みへといざなうことになるのは間違いないだろう。それも、葬儀屋の常だ。

葬儀屋の声を耳もとで聞いて、その双眸を間近で見てしまえば、何者とて骨抜きになる。ひょろりと長い指で骨型クッキーをつまんでかざされでもすれば、自ら進んで魂を差し出してしまう。

グレルとて、これまでずっとそうだった。人一倍イイ男に目がない性質だから、葬儀屋と出会って恋に落ちるのは、運命であり、必然だった。


だと、いうのに。


「イラナイ。時間ないから」

今夜のグレルの反応は、まったく味気もなければ微塵の色気すらない。恋人同士がバスタイムを共にしているというのに、甘みの欠片すらない。

かたや死神界の伝説で超絶テライケメン。かたや実技評価トリプルAの規定違反常習問題児。

そんな二人の共通点は、「恐いもの知らず」だ。たいていの言い分が通る。無理でも無茶でも我が儘でも、たいていの言い分は通せてしまう。

周囲が受け入れざるを得ない空気的な、要因的な何かを持っている。まったく違う意味で。

周囲が平伏して後ずさるのか、ドン引いて遠巻きにするのか。結果的に、状況は大差ないのだが。

そんな二人は死神様なのに、何やかんやで人間界に住み着き、人間のまねごとをして暮らし、人目もかまわず朝な夕な、イチャつきまくっているのが常だ。なのに。そんな二人が、こんなことで良いのだろうか、いや良くない。

その異常事態の原因は、グレルの明日の予定にあった。

曰く、「アタシ的には激しく大きな、百年に一度くらいの大舞台なの!」

つまり、朝イチで回収に出向くことになっているという。

大仕事と言っても、葬儀屋のごとき元・高官には、ごく日常の茶飯事と言える程度かもしれないが、グレルにとっては意味が違う。

「今夜はチャチャッと行動しなきゃ。明日は余裕を持って現場に到着、もちろん万全の身支度を整えてネ」

こう見えて、こと仕事に関するモチベーションは結構ハイテンションで、ポリシーもプライドも備えて、それなりのリテラシーとスキルをキープしている。

「お風呂で汚れを落とせば終わりってワケじゃないのヨ。髪を乾かして、スキンケアしてマッサージして、爪にはトップコートを塗り直して、」

デスサイズを扱う時は手袋をはめるので、爪は見えないが、大好きな深紅のマニキュアを塗っているだけで気持ちがアガるのだという。

「とにかく、明日、最高のコンディションで臨むために、ヤルことはたくさんなのッ!」

「小生が洗ってあげるよぉお」

「いらないってば。手出ししないで、黙ってお湯につかってなさいヨ」

ああ、忙しい忙しい。急がなきゃ。全力で温まって体をほぐして、キッチリ眠りの神を受け入れる態勢を作らないと。

聞きようによっては別の方向性も妄想できてしまうワードを並べ立てて、グレルは首まで泡風呂に身を沈める。

葬儀屋も、大きくはないバスタブに並んでつかっている。かろうじて肌は接触していない。湯気で湿った前髪を後ろに掻き上げているので、テライケメンな素顔が露出している。だからグレルは目を合わせない。メガネはとっくに外してあるので、ほとんど何も見えていない状態だ。

「…………ヒッヒ……」

今日、店は開店休業状態だった。葬儀屋のお客は、来る時は行列をなして押し寄せるが、来ない時は、店のドアが錆びつくほどに来ない。そんなギャップの大きな稼業だ。だから、ここぞとばかりに家事にいそしんだ。

「可愛い仔犬ちゃんの帰りを待って、快適に過ごしてもらえるように部屋を片付けて、埃を払って、ヘルシーな夕食を作って、ベッドのシーツを取り替えて、楽しそうなオモチャだって」

「あー、はいはい。それはわかったってば!」

ある方向性を察知して、ストップをかける。

「アナタがその……そうしてアタシのためにイロイロしてくれるのは嬉しいケド、時と場合にもよるでショ。アナタといると、時間くっちゃうのヨ」

「小生は、きみと何時間でも」

「だから、それは仕事が終わってからネ」

悲しいかな、グレルの階級では僅かな油断が命取りになる。いつも全力投球していないと務まらないのが、下っ端の仕事なのだ。

「……アナタみたいなヒトには、わかんないかもしれないケド」

普段は考えないようにしているが、ふとした時に葬儀屋との格差を感じずにはいられない。

こんなことを口にしても、八つ当たりにしかならないことは百も承知で、それでも言わずにはいられない。

「……なるほどねぇ……」

指摘されるまでもなく、葬儀屋は高貴な出自と高い階級、それに見合った高い能力を兼ね備えた、死神界の英雄的な存在だ。いつまでたっても現場での回収作業をするグレルとは、雲泥の差がある。だからと言って驕りも差別意識も持っていないし、普段は悪趣味な価値観が一致することが多い二人だが、根本的なところで、葬儀屋にはグレルを理解しえないこともあるのかもしれない。

「だったら、スキルを上げるためにデスサイズでスパッと手合わせしないかい? 朝イチだと体があたたまっていないために、動きが鈍くなるかもしれないよ。まぁ、きみみたいな一流の死神さんなら、平気かもしれないけど」

「〜〜〜ッ!」

バッと立ち上がったグレルは、バスタブから出てザパッと水をかぶる。

そのアクションはレディを自称する者にしては、ずいぶんとワイルドで、いろいろ見えちゃったりした。それに葬儀屋が舌なめずりしたのは、あくまで、こっそりとだ。

二人にとって、肌を合わせるのと同じくらいのレベルで魂の交歓と言えるのが、デスサイズをふるって戦うことだ。

二人とも、その戦闘力の高さから、全力でヤり合う機会はなかなかないので、この誘いにグレルは間違いなく乗ってくる、はずなのに。

「やめて! 誘惑しないで! せっかく、いつになく仕事モードに入ってるんだからッ!」

ここで「いつになく」と客観的なことを言っちゃうあたりは、映画ならNGで撮り直しは確実だが、恋人の前でならご愛嬌と言えよう。


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