Kurz
□着陸は死神だのみ?
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今日も、赤い旅客機が大氷原の上を滑空していた。
エコノミーは旅費を節約するためにチョイスするバックパッカー御用達で満席の密状態になっていたが、カーテンで隔てられた先は、別世界。わずか数人が、たっぷりディスタンスを保って寛いでいた。
「おい、今どこらへんだ?」
ビジネスクラスの広いシートに完全に埋もれちゃうくらい小柄な体から、不機嫌な問いかけが発せられる。それでも、壊れそうに繊細な容貌は損なわれない。もし妖精に出会ったら、きっとこんな姿をしているのだろう。ただし、眼光の強さは、戦士のものだ。
「シベリア上空だよ」
答えるのは、耳がトロけそうにエロティックな、無駄にいい声。その上、360度どこから見ても整った、365日ノンストップで眺めていられる精巧な造形の美丈夫だ。
「さっきも、そう言ってたじゃねーか。この飛行機、のろ過ぎんだろ」
「シベリアの広さを甘く見ちゃいけないよ、仔猫ちゃん。学校で地理は習ってないのかい?」
「オレの学年は歴史しかやってねぇ。ヴィクトルも、もうオッサンだな。そんなことも忘れちまってるのか」
学生のカリキュラムなど、大人が細かく把握しているはずなどない。それに思いいたらないほど、彼はまだ幼い。
「はー……まだ着かねーのかよ」
言動がトゲトゲしくなるのは、長時間のフライトに退屈しているせいだ。
「ユーリは、まだあんまり遠征したことがないんだね」
「うっせーよ。飛行機なんか、十回は乗ってるっつーの」
「十回、ねぇ。年のわりには多いのかな」
フィギュアスケート界の英雄で皇帝で、数えきれない金メダルを獲得、生きながらにして伝説を作り続けているヴィクトル。
いまだジュニアクラスだが、世界大会を何度も制覇した次世代の新星、ユーリ。
同じ試合に出るわけでもないのに行動を共にしているのは、たまたまどこかの国に何かの用で出向くタイミングが重なったためで、ここでは詳述しない。
ともかく、このイケメンと美少年の2人づれがビジネス席を陣取って、彩って、華やげていた。
客室乗務員は色めきたって、むやみやたらと過剰なサービスを提供したがるが。
「ありがとう。しばらく眠りたいから、気にしないでね」とスマートに断ったり、『いらねぇっつってんだろ、ババァ!』ではなくて、クールな無表情で「No thank you」と言うくらいの演技力は持ち合わせている。後者の方は、まだまだ世馴れぬ初々しいイメージ作りに大いに貢献した、というのは蛇足だ。
機内が消灯されて、しばらく経った頃。前触れもなく衝撃が走った。
「「?!」」
機体が大きく揺れたため、まどろんでいた誰もが目を覚ます。
「おいおい、飛行機がこんなになるなんて、聞いてねーぞ!」
「低気圧、乱気流、鳥の羽、機長の気まぐれetc. の、どれかだと思うよー。もしテロリストだったら、潔く昇天するしかないね」
世界中を遠征しまくってきた男は動じないが。
「てめぇ、呑気すぎだ! 揺れっぱなしじゃねーか!」
赤い飛行機がテロリストに襲撃されたニュースが、頭をよぎる。
「俺達は酔ったりしないよ。大丈夫」
案の定、他の乗客たちは恐怖か酔いか両方か、がっくり頭を下げて動かなくなっている。フィギュアスケーターは、常日頃ジャンプとスピンと氷上のツルツルに慣れているから、この程度の物理的衝撃はダメージにならないのだ。
しかし。
「はぁい★ アナタの最期の夜に、こんばんは」
「「ひゃっ!!」」
薄暗闇の中からいきなり現れた存在には、さすがに驚かずにいられない。
「死すべき人間の魂の狩人、死神界の深紅の巨星こと、グレル・サトクリフDEATH★」
氷上でもないのに、何度か華麗に回転したソレは、大見得を切るような動きをして、2人の前でポーズを取った。
グレルは、ヴィクトルを穴のあくほど頭の先から足の先まで見回してから、赤面して、ひとしきり黄色い声ではしゃいだ。その詳細は、着ボイスか何かの形で商品化すれば市場がじゅんじゅん潤いまくるだろうから、ここでは詳述を控えておく。
それから、隣に座るユーリを一瞥して、二度見して、やっぱり何か叫んでいた。年下趣味を持たないグレルにとっても、いろんな意味で将来性があふれかえっているユーリは、特別らしい。
それにしても、この得体の知れない生き物は、どこから発生したのか? 生身の人間である2人に、わかるはずがない。
「ねぇ、きみ」
ヴィクトルが恐れも怯えも含まない声をかける。
「なぁにッ? 超絶イケメン色男さんっ! アタシと話したいのっ?」
満面の笑みと弾む語尾は、グレルのテンションに比例している。
「さっきの軽やかな動き、綺麗だったよ。きみの体から音楽が流れてきたみたいだった」
「イヤン! アタシの体に興味もっちゃうなんて、最期までスキモノなのネ っ!」
『サイゴ』の響きが、何となく不穏だ。
「ただし、レクイエムだったけどね。観客の前で披露するには、悲しすぎる」
艶やかなバリトンと人懐こい笑顔はそのままに、世界一美しいと称されるヴィクトルの瞳だけは笑っていない。
何も考えていないようでも、表現者として、物事の本質を捉える感性は一流だ。
「コイツ、さっき死神とか名乗ってたよな……」
それは、ユーリとて同じだ。現実を受け止めきれないまでも、立て直しを計る。
「フフ……さすが、いいトコロに気づくわネ。アンタは、もうすぐDEATHデス★」
「「はぁっ?!」」
「正確に言うとネ……」
死神が持っているリストによれば、今夜、この機内で死人が出ることになっているから、その始末をつけるために特別な能力で切り開いたルートでやって来たのだという。
「それがネ、名前が読めないのヨ。初めて見る、ゴテゴテした文字がいっぱいで。ま、こっちは魂の収支さえ合えばイイの。アンタ達のどっちか1人、死んでチョーダイ。どうせ、世界を変えるほどの人間でない限り、絶対に従うしかない規律(ルール)だから」
「そんな話、信じろってのか?! この野郎、単なるイカれたヤツじゃねーのかよ?」
「いや……さっきの現れ方は、確かに人間技じゃないね。それにユーリ。野郎、じゃなくて、レディだよ」
さすがヴィクトル。世界一モテると評されるだけあって、わずかな間にグレルの扱い方を体得している。
「あ、あら……話がわかるじゃない」
「きみの手足の動きに合わせて長い赤毛がたなびくのは、とっても綺麗だ。俺なんて、髪を伸ばしていた時は、まとめないとうまく動けなかったよ」
サラリとグレルの前髪の一筋をつまみ上げる指先まで、計算して整えられて、自然なものに見える。それだけで、グレルは陥落まちがいなしだ。
「嗚呼ッ! ステキっ! アナタの過去に興味津々ヨ! 仮にも神であるアタシが、儚い命の人間の魂に感じ入って、涙ながらにシネマティック・レコードの審査をする……その中で、アタシの出番はラストのワンシーンだけ。最期に美しい死神に出会って、絶望しながら絶叫して、絶命する……ひときわ悲劇的なエンディングぅうっ!」
つまり、どうあっても魂を狩りたくてたまらなくなってしまう。
体を酷使しまくったアスリートが、別方向にも興奮しちゃうのと、似ていなくもない、かもしれない。
「オレ、学校で習ったぞ。気に入った人間を助けるために、死神が身代わりになる、って話。要は誰でもいいってことだろ?」
ずいぶん昔、外国で書かれた名作小説が、ロシアのリーディングの教科書に載っている。歴史の教科書には、夭逝したその作家の逸話も紹介されている。
「オレはともかく、コイツは……こんなふざけたヤツだけど、こう見えてスケートが上手いんだ。今んとこ、世界一。だから、生かしといてやってくれよ」
ヤンキー口調はそのままに、ユーリが殊勝にも命乞いする。
「何を言うんだ! 俺より、この子の方が……この年でもう数多くの技を身につけているんだ。将来は誰よりも有望。俺よりずっと若いぶん、計り知れない可能性がある」
俺は、みんなを驚かせる方法が、少しずつわからなくなってきているーーーーさすがに、それは口にしないが。
「俺が次期レジェンドをかばって文字通り空に散って星になったら、きっと世界が驚いてくれるよ」
「おい! そこまでカラダ張って、いやイノチ張らなくていいだろ。若手芸人かよ」
「アナタの声を聞いてるとォ」
2人の形容しがたい掛け合いに、グレルが口をはさむ。
「艶やかなエロスが耳から侵入してきて、子宮に響くのよネ。疼いてきちゃうぅ」
んなモン、ねーだろ! とツッこむには、ユーリはまだお子ちゃまだった。
「それは大人だけの楽しみに取っておくとして。アンタたち、仲いいのか悪いのか、わかんないわネ。イケメンさん、先輩なんでしょ? 星になる前に、この子にわかるように教えてやれば?」
「そうだぜ。オレがシニアデビューする時には、あんたに役に立って……いや、利用し……」
「協力してください、くらい言うものだよ。ま、できることはしてあげる。誰も驚いてくれないかも、しれないけどね……」
珍しいことに、ヴィクトルが歯切れ悪くなる。
「人とは違ったことをヤッてパーッ盛り上げたいわけネ。だったら、こんな動きに、付いて来られるかしらッ?!」
不意にグレルが腰を落とす。限られた空間の中で、チェーンソーをひとふりしたような残像を見た一瞬の後、2人の髪がひとふさずつ床に葬られた。まともに観覧できるギャラリー(乗客)がいないのが残念だ。
「死神と勝負したってことになれば、ハクが付くわヨ。どう?」
「よし、オレが……」
ユーリが自慢の足で床を蹴って、飛びかかる。
が、人ならざる敵は、1秒後にはユーリの背後に移動していた。
「えっ?!」
ユーリは、倒れないようにタタラを踏むのがやっとだった。
「生憎だけど、アタシだって実戦の場数を踏んできてるの。お子ちゃまでは役者不足ネ」
改めて、狩人の目をヴィクトルに向ける。
「いいね……」
獲物になるべき人間が、低くうなるような声を出す。
「そういうの、大好きだよ!」
何がツボだったのか、ヴィクトルはハート型の、つまり満面の笑みをたたえる。いよいよ、経験値を重ねてきた大人の真骨頂が発揮されるのかーーーーユーリは、固唾をのむ。
「きみの動きを、もっとよく見せてほしいな。この目に焼き付けて、俺の演技に取り入れたい。世界中の人間を見取ってきた、美しい死神さん 」
「きゃ……」
ヴィクトルが一歩距離をつめると、グレルは一歩退く。
「その艶々した赤毛の生気があれば、5回転くらいできそうだ……」
「精気……性、、、器……ま、また耳からエロスが……きゃぴるん……ッ」
謎の音声とともに、グレルがへたり込む。 腰が抜けたのだろうか。
ユーリは幼心に、色仕掛けというものを理解した。以前、ヴィクトルは稀代の色男を演じたことがあったっけ。ほとんど素のままだと評され、絶賛されたものだが。
(マジに、素だったのか)
「ねぇ……死神さん」
なおも畳みかけると。
「あああ、そう言えば!」
グレルは、どこからともなく分厚い手帳のようなものを取り出した。
「ここ! このページ、読めない文字ばっかりなのヨ!」
「これは、ロシアで使われている文字だよ」「えー? アルファベットとは違うのォ? だったら、アナタの名前は……」
しばらくキリル文字のレクチャーを聞いて、グレルはすっくと立ち上がった。
「ひと違い、というか場所違い、だったワ。てへぺろ★」
「すると、きみの本当のターゲットは?」
「今頃は、はるか遠い空の下DEATH。お騒がせしましたッ」
「そうかぁ。良かったー」
和やかに笑い合う大人と死神の姿に、ユーリは、何となく釈然としない。
「アナタ、世界記録は出したことあるの?」
「何度かね」
「それなら、世界を変える有益な人間として、申請できるワ。死神派遣協会に戻ったら悪いようにはしないから、安心してスポーツに精力を注ぎ込んで、激熱な肉体の躍動をヤッちゃいなさいな」
「ありがとう。綺麗な死神のレディ」
「アナタのエロティックな断末魔が聞けるのを楽しみに待ってるワ。ばいばいフリップ★」
謎の挨拶的な言葉を残して、グレルの姿は霧のように消えた。
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