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□薄荷のど飴
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それはほんの少し。
爪の先にも満たないような、本当に微かなものだったけれど、それでも確かに。

惹かれているのかもしれない。




「翼君!居るのっ!?」



バタン、とけたたましい音を響かせてバカサイユに現れた、今年の翼様の担任、南悠里。
肩で息をしている様を見れば、あちこちを探し回っていたのだろうと予測される。
キョロキョロと主の名を呼びながら中を見渡す先生に、後ろからそっと声を掛けた。



「南先生」

「きゃあああっ!?」

「すいません、驚かせてしまいましたか」

「な、永田さん?いえ、こちらこそ大声出してすいません…」



先生は目をまん丸くさせ、次には力が抜けたように笑った。

くるくると変わる表情。
そこには嘘も計算もない。
あるのは真っ直ぐで穢れのない心だけ。
以前より随分と柔らかく自然に笑うようになった我が主。
多分、こういうところが、翼様を初めB6の方々の心をゆっくりと溶かしていっているのではないかと思う。



「翼様からの伝言です。今日は急遽モデルの仕事が入ってしまったために補習をお休みするとか」

「ええ?翼君から聞いてませんよ」

「翼様も直前まで先生を探してらしたようですが…」

「そ、そうなんですか…じゃあ仕方有りませんね」



彼の生い立ちを知り、尚且つ理解しようとしたのは私が覚えている限りこの南先生だけ。
笑顔に込められた優しさと、全てを包み込む暖かさ。
私には到底、与えられることがないもの。
そんな当たり前な事実が、何故だか不意に胸をチリリと焼いた。

コホ、と小さく咳を洩らす。
何てことない、只の風邪の軽い初期症状。
一晩眠ってしまえば、簡単に治ってしまう程度の。
けれども南先生の前でそういう素振りをしてしまったのは失敗だった。
何せ翼様の担任なのだから。



「……永田さん、風邪ですか?」

「いえ、ただの咳です。お気になさらず」



キッパリと言い切ってしまえば心配そうに眉を下げた先生はそれ以上は何も言わなかったが、私の言葉に納得できなかったらしく。
少し考え込む仕草をした後、何か思い付いたようにポケットを探った。



「コレ、宜しければどうぞ」

「…のど飴、ですか」

「はい、生徒からの貰い物なんですけど…あ、薄荷大丈夫ですか?」

「平気ですが……」



彼女の手のひらに乗せられた、半透明の包み紙の二つの飴玉。
それを受け取ることに一瞬逡巡し、結局手を差し出した。
フワリと笑い、彼女は私の手の上に飴玉を乗せた。



「…ありがとう、ございます」

「いいえ。でも風邪には気を付けて下さいね?」

「重々承知しております。翼様に菌を移すような真似は決して致しません」

「そうじゃなくて!」

「はい?」

「永田さんが、心配なんです」

「!」

「例え姿が見えなくても、傍に居てくれないと私も翼君も安心出来ませんから」



そう微笑んだ先生の顔はやはり優しさに満ち溢れていて。
何故だか私にも注がれているような錯覚を起こさせる。


未だ名前の付け難いこの感情を持て余し、掌にある二つの飴玉を強く握り締めた。






end.
 

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